第53話 あの人を案じて

 

 立花伊織は、焦っていた




 それは、少し離れた所に居て、こちらの動きをまるで窺うかの様に注視している、今まで見た事のない三匹の魔物。

 いや、魔物かどうかすら怪しいと、伊織は思っていた。何故か。



 その魔物は、帽子を被り小さめの槍を持ったゴブリンが、大きめの狼の背に乗っている。まるで馬に騎乗する騎手の様だ。



(もしかすると、ただ狼を調教しているだけだったり?)



 ファンタジーの知識があれば、それはゴブリンライダーという立派な魔物であることはすぐに判るのだが、知識の疎い伊織には分からなかった。



(御供さんに教えてもらった魔物の中には無かった特徴だし、違うよ、ね? 斬りかかってもし魔物じゃなくて一般の人だったら、元の世界に戻れなくなっちゃうし)



 伊織は極端に犯罪を嫌っていた。いや、犯罪だけではない。正と義に欠ける行い全てを嫌っていた。それは最愛の父が残した道場の掟であり、絶対の芯。



(向こうから襲ってこなきゃ、手を出さないでおこう)



 押し寄せるゴブリンで手一杯の伊織の、願望を込めた答えだった。



「うぇ~ん!」



 すると、どこかで泣き声がした。

 伊織がチラリとそちらに視線を送ると、木陰に隠れている女性が抱えていた赤ん坊が泣いていた。



(泣かないでよっ!)



 その声に、伊織は苛立ちを募らせる。不意に小さい頃の自分を思い出してしまったからだ。

 まだ幼く、弱く、脆く、そして泣いてばかりの大嫌いだった自分を。

 だから失ってしまったと、伊織はそんな自分を今も責め続けていた。その責めを、赤ん坊の泣き声で思い返してしまったのだ。



 そんな中、遠巻きに様子を見ていたゴブリンライダー達が、突如として動く。

 その先は、泣き止まない子供を必死にあやす母親と、「早く泣き止ませろ!」と怒鳴る男性。



「やばっ!」



 目の前に居たゴブリンを前蹴りで倒すと、伊織はゴブリンライダーの行く手を阻む様に立ち塞がる。

 それを見た三騎のゴブリンライダーは、正面と左右に別れ伊織を揺さぶる。


 一対一の戦いに慣れ親しんだ伊織の唯一の弱点である対複数戦。しかも、相手のスピードは伊織に勝っている。



「くぅ!?」



 左右に居たゴブリンライダーの槍が、伊織を貫こうと迫る。

 その槍先を、なんとか弾き返してみせた伊織だったが、真ん中に居たゴブリンライダーの進行を許してしまった。



「しまった!」



 振り返ろうとする伊織を、槍と牙で牽制する二騎のゴブリンライダー。その目はあざけり笑って、歪んでいた。


 その間にも、ゴブリンライダーと親子の距離はどんどんと短くなっていく。

「ひっ!?」と、親子に怒鳴っていた男は、まるで生贄でも差し出すかの様に親子を前面へと追いやって、逃げ出していく。



「うぇ~んっ!」

「きゃあっ!?」



 倒れ込む親子に容赦なくゴブリンライダーが近付き。その距離がゼロに近くなった所で、狼が大きな顎を目一杯に開く。鋭い犬歯の間を伝う唾液が、伊織にはハッキリと見えた。



「駄目っ!」



 これから確実にやってくる絶望的な惨状に、伊織が反射的に目を瞑った直後──




 ──ギュウオオオォオオ!!

「──なに!?」




 おこぼれを狙っていたカラスが、その声に驚きバサバサと黒い羽を広げて急いで空へと逃げ飛ぶ。それほどまでの大音量。


 それを聞いたゴブリンライダーたちは、狼の口の中に半ば入っていた赤ん坊と母親から、クルリと体の向きを変えると、その声がした方へと猛スピードで走り去っていく。それに付いていくかの様に、周りに居たゴブリン達の半数もこの場を離れて行った。



「……一体、何が?」



 後に残された伊織は、きょとんとした顔を浮かべ、ただ呆然とゴブリンライダーたちを見送る。そしてその姿が、燃え盛る畑の向こう側へと消えた時、伊織はゆっくりと緊張を解いた。



「助かった、の?」



 まだ敵が居るとは思えない発言に、ゴブリン達がギャアギャアと騒ぐ。が、気にも留めない伊織は、子供を、自分の背中に乗っていた人たちを守り通す事が出来たと安堵の表情とため息を零した。



「──っ!?」



 と、希薄だった痛みが存在を主張する様に熱を帯びる。そうして伊織は自分の姿に意識を向けた。革鎧の所々がめくれ上がり、村で買った服も破けて血が滲んでいた。戦っている時は気付かなかったが、かなりの苦戦を強いられた事に、伊織は今更ながらに気付く。



(所詮は自分も、まだ未熟者だったということってことね)



 幾ら強くなったとはいえ、このざまだ。これでは自分は勇者という存在にはなれないなと、どこかホッとしている自分が居る事に、伊織は微かな笑みを零した。



「それにしても、あの大きな声はいったい?」



 聞いた事の無い声。その声の持ち主は相当な使い手である事が、伊織には容易に想像出来た。

 そんな輩がこの村に居る。そしてこれは伊織の勘だが、その輩はおそらく誰かと戦っていて、自分にとって面白くない状況に陥ったのだ。だから、あの声を聴いた魔物たちがこの場から離れていった。


 では何と戦っているのだろうと、伊織は想像したがすぐに止めた。先ほどの狼に乗ったゴブリンの正体すら知らない自分が、何を想像したところで、それが正しいと答えを出せないのだから。




 ──ただ一つ、確信に近い予感。




 額に張り付いた前髪を払う事もせず、気を引き締めた伊織は、剣を構えながら呟いた。



「……御供さん……」



 と──

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