第15話 交換条件



 ひとしきり笑いあったあと、コホンと咳払いをした女神に「顔を御上げなさい」と言われたので、恐る恐る土下座を解く。それを見て、女神は軽く頷いた。



「──ですが、その代わりに、其方に守ってもらいたい約束事がありますの」

「え? 約束事、ですか?」



 女神からの突然の要望に、ゴクリと喉を鳴らす。

 明言こそしてはいないが、これはおそらく勇者にしてもらう代わりの交換条件だろう。一体どれだけの事を要求されるのか解らないが、ここはちゃんと聞いておいた方がいいな。



「そ、それで自分は何を守れば良いのですか?」

「ふむ、其方に守ってもらいたい事柄は三つ」

「三つも、ですか?」

「ふふっ、安心しなさい。三つともそんなに難しい事ではありませんよ」

「は、はぁ」



 柔らかい物言いが、逆に怖いんだが?



「まず一つ目。従者エイジよ、勇者イオリが、この世界を好きになる様に行動なさい」

「……一発目から、かなり難しいんですけど?」



 好きになるよう行動しろって、そいつは難しくねぇか? 人の好き嫌いなんて、その人自身の感性や感覚で幾らでも変わっちまうのに。


 と、クマさんは変わらぬ表情のまま、少し困った様な口調で、



「従者エイジよ、其方は嫌いな世界に住む人を、助けたいと思いますか?」

「……なるほど、そういう事ですか」



 そうだな、女神の言う事はもっともだ。

 人間、嫌いな人を救いたいと思えるほど高尚な生き物じゃない。国を、そしてそこに住む人を好きになって初めて、何かしてあげたいと思えるもの。

 そして、勇者である立花さんもまた、人間だ。ならば、この世界を好きになってもらう方が良いに決まっている。まぁ、俺の知る勇者は、例えどんな悪者だとて困っていたら救ってみせるだろうがな。



「勇者イオリはとても若い。その若さゆえに、ちょっとした迷いでこの世界に対する印象は幾らでも変わってしまう。それが良い方向ならば良いのですが、悪い方向だと……。そうならない為に、其方の力で、勇者イオリがこの世界を好きになって心から救いたいと思って貰うようにしてほしいのです」

「この世界を、好きに……」



 異世界を好きになってもらう為の行動、か。かなり難しそうだ。

 が、女神が心配する気持ちは解るし、それに俺だって、出来る事なら立花さんにも、自分の好きな異世界ライフを気に入ってもらいたいと思う。

 よし、解った! 女子高生の一人くらい、俺の異世界に対する情熱でもって、こっち側の人間異世界好きにしてやろうじゃないか!



「分かりました。なにぶん人の気持ちに関する事なので絶対とは言えませんが、それで良いのでしたら」

「はい、構いません。宜しくお願いしますわ」



「ふふふ」と、綿がたっぷりと詰まった手を口に持っていくクマさん。言葉では笑っているのに、表情が変わらないなんて、途轍もなくシュールな光景だ。



「続いて二つ目です。従者エイジよ、其方の力を勇者イオリに勘づかれてはなりません」

「……これまた意味が解りませんが……?」

「簡単なことです」



 そう言うと、セレスティア様クマさんは柔らかい腕を組む。



「従者エイジよ、其方が勇者イオリよりもレベルが上なのは知ってます。各ステータスも勇者イオリより高いという事も。それを踏まえて聞きますが、もし其方が勇者だったとして、自分よりも従者の方が強いと判ったら、其方はどう思います?」



 ──どう思うか、か。

 俺が勇者だったとして、俺と一緒にいる仲間が俺よりも強く、魔物をバンバン倒した挙句、魔王まで倒す勢いだとしたら……。



「……お前がやれってなりますね」

「でしょう?」



 ご名答とクマさんは頷く。



「ただでさえ勇者イオリは、前の世界に早く戻りたいと願っているのです。そんな中、其方の方が強いと判ったら、勇者はこの世界を救うのを其方に譲ると思いませんか?」

「たしかに」



 まぁ、俺はそれでも全く構わない。むしろそうなってくれた方が全て丸く収まると思うのだが、それに関しては、すでに話はついている。焦ることはない。



「ちなみに、立花さんに俺の強さがバレてしまった場合、どうなるかお聞きしても?」

「あら、直接私の口から言わないと解りませんか?」

「……分かりました。気を付けます」



 声を表情も笑ってねぇよ。マジおっかねぇ。

 しかしそうなると、ステータスを誤魔化す必要があるじゃねぇか。ったく、面倒だな。ステータスを誤魔化せそうなスキルといえば、隠蔽か秘匿辺りのスキルだが、取得可能スキルの中に有ったかな?

 無ければ異世界を識る者ディープダイバーで創らなくちゃいけないか。残りの一回で、違うチートスキルを創ろうと思ってたのによ。運営側の都合で、救済措置って事にしてくれないもんかね。



「それで、最後の事柄はなんですか?」

「そうですね、最後は……」



 おもむろに腕を下ろし、何故か間を置くセレスティア様クマさん。な、なんだよ。そんな言い辛い事なのか!?



「──彼女を、勇者イオリを一人になさらないでください」



 その言葉には、深い慈愛が込められている。そう思えるくらい暖かな物言いだった。糸と綿とパッチワークで作られた顔が、優しく見えた気がした。



「……最後に、一番意味が解らないヤツがきましたね」



 今までとは明らかに違うニュアンス。曖昧というか、おぼろげというか。



「そんなに困らないでください。そのままの意味ですよ」



 その言葉に、一切の悪気を感じる事が出来ず、俺はただ「はぁ」とため息を吐く。どういった狙いがあるんだか判らないが、前の二つに比べればまだマシか。要は立花さんを一人にしなければいいんだし。そもそも、何も知らない立花さんを一人にしようなんて、始めから思っちゃいない。



「……解りませんが、取り合えず解りました。一人にしませんよ」

「えぇ。宜しくお願いしますわ」



 俺の返事に満足げに頷いたクマのぬいぐるみは、ポテポテと可愛らしい足音を立て部屋のドアへと向かう。どうやら話はこれでお終いの様だ。



「私から其方に伝えたい事は以上ですわ」

「では女神セレスティア様。不肖ふしょうこの御供瑛士が、セレスティア様の御意向に、必ずや報いてご覧になりましょう」

「その言葉、しかと受け止めました。では勇者の従者エイジよ。勇者を無事に、魔王の下に導きなさい」

「はっ!」



 頭を深く下げる。これで契約成立だな。



「良い返事ですね。では先ほどのお約束事、くれぐれもお忘れなき様に。さすれば時期勇者の座は貴方のモノ。それと、今宵の事はくれぐれも勇者に悟られてはなりませんわよ──」



 言い終わると、意味不明な空気感が薄れ、やがてポスっとクマのぬいぐるみが床に横たわる。

 それを確認した俺はゆっくりと立ち上がると、クマのぬいぐるみを優しく抱き上げた。



「了解したぜ、女神様よ……。ならば次期勇者であるこの俺様が、あの女子高生を無事に魔王の下に送り届けて、魔王討伐を果たしてやろうじゃないか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る