第23話  伊織と猪

 


 嫌になるほどの濃い緑が、まるで競争でもしているかの様に生い茂る森の中に出来た、異様とも言うべきぽっかりと開いたスペース。日の射し込むその場所で、キラリと光る剣と牙。



 少し離れた所に居る俺の視線の先で、大きな猪の魔物であるブルファンゴが、鼻息荒く駆けていく。

 その先に居た白の革鎧姿の美少女──立花さんは、向かってくるブルファンゴに勇者の剣の切っ先を向け、腰をわずかに落とした。長く黒い髪が、動きに合わせて揺れ動いた。



 ワゴン車並みの図体が自分に向けて突っ込んでくれば、避けるか腰を抜かすかという様な場面。なのに彼女に逃げるという選択肢は無い。そうなれば、待っている未来は交通事故と間違うばかりの惨事だろう。

 それを回避するには、今すぐにでも助けに向かわなければ──いや、今向かった所で到底間に合いっこないのだが、助ける為には動かなくちゃいけない。だが俺は、微塵も動くつもりは無かった。



 ブモオオォオォォォッ!!



 豚の鳴き声を何倍も狂暴にした鳴き声を上げ、立花さんへと突っ込んでいくブルファンゴは、突進したままグッと首を沈める。そのまま立花さんの目の前まで突っ込むと、大きく首を跳ね上げた。立花さんをかち上げる気か。


 それを読んでいたのか、立花さんは軽快なステップで横に飛んで回避。素早く起き上がると、「はぁ!」との裂帛の気合を放ちながら、横を通り過ぎるブルファンゴに剣を振る。


 が、ブルファンゴも躱される事を考慮していたのか、素早く首を振り、その牙で立花さんの剣を受けた。


 ギャイン!と固い物同士が擦れ合う不快音が辺りに響く。


 立花さんの剣とブルファンゴの牙が激しくせめぎ合い、まるで時間が停止した様に、剣と牙はどちらにも動かない。

 ──が、その均衡も長くは続かなかった。



 ブムッ! ブフッ!!

「ぐ、ぐうぅっ!?」



 立花さんの呻く声。それと共にジリジリと、ブルファンゴの牙が立花さんの体へと近付いていく。

 立花さんも額に汗を浮かべながら負けじと押し込んでいくが、そこは女子高生、ブルファンゴの力に敵うはずもなく、徐々にその圧力に屈していく。



 ブモオォオ!



 グッと後ろ足を沈みこませ、さらに力を籠めるブルファンゴ。恐らくヤツの脳裏には、このまま力勝負で勝ち、立花さんを上空へとかち上げた後、落ちてくる彼女を、大人の腕ほどの長さのあるその牙で突き刺そうとか考えているんだろう。


 ──が、甘い。



「──ふっ」



 ブルファンゴがここだと力を籠めた瞬間、フッと立花さんは逆に力を抜く。



 ブモッ!?



 ガクッと態勢を崩すブルファンゴ。その首を立花さんへと差し出す形となり、



「はあぁあっ!」



 独楽こまの様にくるっと回った立花さんが、気合の声とともに剣を下ろすと、ブルファンゴの頭が少しずつズレていき、キレイに落ちていた。

 遅れて大きな体が横に倒れ、地面を揺らす。その振動で近くに木に止まっていた小鳥が、慌てて飛び立っていった。あの大きさのブルファンゴを倒すとは。いやぁ、強いなほんと。



「はぁ! はぁ! はぁっ」



 消えはじめるブルファンゴの死体。その向こうで、すでに剣を仕舞った立花さんが、膝に手を付き大きく肩を揺らして息を整えている。かなりの汗を掻いたのか、黒い髪が首元に張り付いていた。初めての大物相手に、かなり力を消耗したみたいだな。


 が、俺の視線に気付き、「はあぁ」と大きく息を吐いたあと背筋を伸ばすと、こちらへと歩いてきた。

 なにかしら、今のため息? 



「お見事です、立花さん」

「……どうも」



 しかし、大物を仕留めたというのに、その顔には喜びも達成感も見られない。無表情ここに極まれり、だ。





 その顔を見て、立花さんが初めてゴブリンを倒したあの日の事を思い出していた。

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