エピローグ

第52話 二十歳①

 二十歳、春。ヴァルド学院を卒業して間もなく、俺は教会にいた。幼い頃から待ちわびていた、今日、このとき。ブーケを大切に抱え、二人が待つ控え室へと急ぐ。なびく短い白髪には、まだ慣れない。それでも、世界から顔を隠すのはもうやめると決めた。


 コン、コン、とノックすれば、ドアが開いてユーリルが顔を出した。今日はその髪をふんわりと結い上げており、参列のためにスミレ色のドレスを身にまとっている。マーメイドラインのそれは、ユーリルの華奢な体をいっそう魅力的に見せていた。


「お疲れ様です」

「入っても大丈夫?」

「はい」


 花束を潰さないように注意しながら、室内へ。――純白の衣装に身を包んだ、オルバート様とライシャ様がいる。


 伸ばされたオルバート様の手に、俺は花束を乗せた。オルバート様は、それをライシャ様に手渡す。


「ありがとう。きれいな花……」

「リュードは、準備はできてるか?」

「はい」


 俺は、思わず息を呑んだ。一年前から用意を進めてきたタキシードとウェディングドレスは、オルバート様とライシャ様を美しく飾り立てている。そこに子供のあどけない雰囲気は無く、夫婦の契りを交わすための清らかな空気が静かに流れているのみだ。俺がずっと夢見ていた、奇跡のような光景が今、ここにある。それはこの世界の何よりも素晴らしく、何よりも尊い。きっと、俺は涙を堪えるあまり奇妙な表情をしている。


 緊張を紛らわせたいのか、オルバート様は俺の服を整えた。今日は脇に控えるのではなく正面から見てほしいからと、俺も参列を命じられた。グレーのタキシードは、俺が希望した色だ。ギアシュヴィール公爵家の、そして、オルバート様の虹彩の色。父さんを殺した幼い俺が、生き延びるために忠誠を誓った色。今は、俺がこの世界で一番好きな色。


「オルバート様」

「何だ?」

「ご結婚、おめでとうございます」

「……朝から何度も聞いてる」


 何度でも言いたくなるんです、と俺がとうとう泣きながら言うと、オルバート様は呆れた様子でユーリルに手を差し出した。すかさずハンカチが渡り、俺はあろうことか主人の手によって涙を拭われてしまう。だが、皮肉にもオルバート様の緊張は解けたようだ。仕方無いな、と穏やかに笑って肩の力を抜いている。


 不意に、ドアは来訪者を告げた。ユーリルが開けると、そこにはツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢がいた。ツーヴィア公爵令嬢はカーネーション色の、ツヴァイン侯爵令嬢はオレンジ色のドレスを着ている。青と赤紫はオルバート様とライシャ様の色だから、遠慮したのかもしれない。もちろん、見慣れない色でも二人は見事に着こなしている。


「二人共、結婚おめでとう!友人として、本当に嬉しいわ。衣装も素敵ね」

「お招きありがとう。今度は、夫婦としてイルナティリスに来てちょうだい」


 オルバート様とライシャ様は、二人からの祝福を素直に受け取った。特にライシャ様は感極まった様子で、服装を乱さない程度に抱擁している。ヴァルド学院に入学して、本当に良い縁に恵まれた。これからも仲睦まじくいてほしい。


 ふと、ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢はこちらを見た。オルバート様とライシャ様に断りを入れ、俺とユーリルを部屋の隅へ連れていく。


「二人もありがとう。本当に、何てお礼を言ったらいいのか……」

「いえ、私たちは何もしていません。……ご婚約、おめでとうございます」


 恐縮したツーヴィア公爵令嬢の言葉を、俺はあえて遮った。そのうえで、新たに結んだ契りを祝う。捕まったジャウラット教授は、移送中に魔獣によって焼かれて死んだ。この人はもうこの世にはおらず、ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢との縁も切れている。そして、それに俺とユーリルは関与していない。これが、現在の「真実」だ。


 ツーヴィア公爵令嬢が目を合わせると、ツヴァイン侯爵令嬢は笑って頷いた。


「ルツィアにいい人が見つかって良かったわ、私も兄ができて嬉しいもの」

「……そうね。二人も、イルナティリスに来たときは会ってくれるかしら?」

「はい、ぜひ」

「そうですね、先輩を一人で行かせるのは信用できないので」


 そうなの、と俺がつい見下ろしてしまうと、ユーリルはふいとそっぽを向いた。無論、俺も分かっている。ユーリルはユーリルで、俺のことを心配してくれているのだろう。同僚として、この少女はずっと俺を支えてくれている。全てが終わった後も、俺の我儘を聞いて協力してくれた。いや、もはや女性と言うべきだろうか。二十歳になった俺たちは、とっくに子供ではなくなっている。決して平凡ではない子供時代を経て、出会い、いつしか俺たちは大人になっていた。


 コン、コン、と誰かがドアをノックした。ユーリルだけに任せるわけにはいかないので、今度は俺が対応する。すると、訪問者はグリック殿下とサイオン様だった。


「リュードか。やはり、灰色がよく似合うな」

「恐れ入ります。お二人も素敵です」


 グリック殿下が着用しているのは、控えめな金色の布地に深緑色で繊細な刺繍が施された、詰め襟の王族専用の正装だ。成長期を経てぐっとたくましくなった体は、王族の威厳を背負うにふさわしい。一方、サイオン様は明るい茶色のタキシードを着ている。落ち着いた赤髪も相まって、サイオン様らしい淑やかな華がある。二人はツーヴィア公爵令嬢たちにも挨拶をした後、オルバート様とライシャ様のもとへ歩み寄った。


「二人共、結婚おめでとう。心の底から祝福する」

「どうかお幸せに」


 グリック殿下の表情は、晴れ晴れしい。オルバート様と交わす握手も、友人として、一切の汚れが無いものだ。この一年間で、グリック殿下はライシャ様への恋心に区切りを付けたと聞いている。今は結婚相手を見つけるためのお見合いに忙しいそうだ。噂によると、ある伯爵息女とはいい関係を築いているそうだが。心優しく誠実なグリック殿下なら、新しい人と幸せにやっていけるだろう。


 なぜか、サイオン様は俺のもとに来た。


「リュード、おめでとう。二人が結ばれて良かったね」

「え……」

「ずっと頑張っていたでしょう?」


 言われ、俺は驚いた。時折、サイオン様はこうして俺の心理を指摘する。だが、不思議と俺に悪い気持ちは芽生えない。友人だからだろうか。いや、サイオン様こそが、友人としていたいと思わせる人柄をしているからだろう。サイオン様は、無自覚のうちに俺の背中を押し続けてくれた。一線を引いて接していたつもりだが、いつの間にか、俺はサイオン様に心を許してしまっていたのかもしれない。


「……サイオン様」

「何?」

「これからも、俺と友人でいてくれませんか?」


 言えば、サイオン様は大きく目を見開いた。我ながら、突然のことだとは思う。それでも、俺はこの世界で初めての友人を大切にしたい。決して対等な関係ではないが、唯一の存在だ。黙って待っていると、サイオン様は破顔した。す、と俺にその右手を差し出す。


「もちろん!これからもよろしくね」

「はい」


 幼い頃の俺は、今の俺を見たらどう思うだろうか。きっと、びっくりとして受け入れられないに違いない。そして、次の瞬間には涙を流して喜ぶだろう。この先も生きていていいのだと、この世界に生まれ変わった俺は、生んでくれた父さんと母さんのことを思って泣くだろう。それは、とても幸福なことだ。

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