第51話 十九歳⑤
ざわざわと辺りが騒がしい。俺に触れる温もりの他にも、たくさんの人の気配がする。果たして、ジャウラット教授は一緒に帰ってこられただろうか。俺は、ゆっくりと目を開けた。
「リュード!!リュード!!」
「……オルバート様……」
「……!」
真正面に見えた太陽に目が眩んだ瞬間、俺は力強く抱き締められた。今度は慎重にまぶたを持ち上げると、オルバート様の紺色の髪が視界の端に映った。すぐ側にはライシャ様がおり、ぼろぼろと涙を流して口元を両手で覆っている。その隣のユーリルも、目を見開いて俺をじっと見詰めていた。生きている、そう俺に実感させる、今の俺の大切な人たち。ようやく体を離したオルバート様も、そのきれいな顔に大粒の涙を伝わせていた。
「痛みは?苦しいところは無いか?」
「……ありません。オルバート様も、怪我は……」
「――あるわけがないだろう!」
「!」
「リュードが守ってくれたんだ……あるわけがない……」
オルバート様は俺の頭をその膝に下ろすと、優しい手つきで俺の髪を梳いた。まるで、心の底から慈しむかのような仕草だ。母さんが俺にしてくれていた、あの柔らかな温もりを彷彿とさせる。つう、と俺の頬を涙が伝った。途端、オルバート様はぎょっとして撫でるのをやめてしまう。
「い、痛いのか?どうした?どうしたらいい?」
「違います……」
ふ、と俺は呼吸を乱した。拭えば拭うほど、涙は絶えず溢れ出てくる。どうしようもない。情けない。だが、今だけは許してほしい。言わないといけないことがあるんです、と俺がどうにかして口にすると、オルバート様は真剣に先を促してくれた。ライシャ様とユーリルも、黙って俺の言葉を待ってくれている。明かすなら、今しかない。
「俺は、父さんと母さんのことが好きなんです」
「……」
「お、オルバート様の母君を殺したのに、俺が殺したのに、父さんと母さんのことが好きで、憎めなくて……!」
「……!」
「でも、オルバート様のことも好きで、ライシャ様も、ユーリルも、旦那様も好きで」
最初は、ただ死にたくなかった。一度経験した死は恐ろしく、二度と味わいたくなかった。されど、今は少し違う。今は、この世界だからこそ生きていたい。この世界で、大切な人たちとこれからも一緒に生きていきたい。父さんと母さんにはどれほど願っても会えないが、それゆえに、俺は今のこの世界を大事に生きていきたい。単に死にたくないのではなく、日々を一生懸命に生きていたい。
「――こんな俺でも、側にいていいですか……?」
「いいに決まってる……!」
そう言って、オルバート様は俺の手を強く握った。体温を分け与えるかのように、両手で指を絡めて包む。そして、お前がいないと生きていけない、と夢のような言葉を聞かせてくれた。俺から視線を向けられたライシャ様とユーリルも、しかと頷いてくれる。
「一緒にいるよ。もう、こんな無茶はしないでね……」
「……生きて帰ってきてくれて、ありがとうございます」
俺は、オルバート様が握っていないほうの手を伸ばした。何かを掴もうとしたわけではないが、無意識に掲げてしまっていた。すると、ライシャ様とユーリルが触れてくれた。俺が緩く握れば、二人は力を込めて握り返してくれた。俺はここにいていいのか。父さんと母さんを殺した俺は、生き延びることが許されるのか。オルバート様の母君を見殺しにした俺は、この先もオルバート様の側にいることを許されるのか。それは、とても、言葉に言い表すことができないくらい。
頭を動かして周囲の様子を窺ってみると、騒動を聞きつけてやって来たらしい騎士たちが忙しくしていた。その中にはグリック殿下とサイオン様もおり、立派な剣を手元に置いたまま話している。俺は絵で見たことがあるだけだが、あれは間違いなく宝具だ。俺が自分自身でも制御できていなかった魔力を制してくれたのは、きっとグリック殿下だろう。物語においてオルバート様を殺す剣によって、この世界では俺とジャウラット教授を救ってくれた。はたと目が合い、俺は辛うじて会釈をしておく。グリック殿下のほうは、疲れた風体であるもののにっこりと笑って片手を上げてくれた。サイオン様もそっとその手を上げ、小さく振ってくれる。
俺がいい加減体を起こしたところで、ようやく再会できた三人が騎士の先導で移動しているのが見えた。
「あの人は、これからどうなるんでしょうか?」
「……王家がどう動くかにもよるが、処罰は免れないだろう」
「そうですか……」
ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢は、騎士を押しのけるようにしてジャウラット教授に寄り添っている。ジャウラット教授は、すでに二人に全てを打ち明けたのかもしれない。これまでの殺伐とした空気は消え去り、支え合って歩いている。これなら、ジャウラット教授は新たな居場所にちゃんと出会えるだろう。他人事には思えず、俺はあたかも自分のことかのように安堵してしまう。身の程知らずかもしれないが、幸せになってほしい、と心の底から思う。
オルバート様たちに手を引かれ、俺は立ち上がった。いつの間にか、俺とオルバート様は目線の高さがほとんど変わらない。出会った頃のオルバート様は、俺よりもずっと小さかった。だから、俺は守ってきた。オルバート様に恩返しをしたくて、オルバート様を幸せにしたくて、俺は今までずっとオルバート様を守ってきた。そして、それは叶えられた。もう、オルバート様の未来は暗くない。ライシャ様と共に、明るい未来を歩んでいける。そのうえで、俺はこれからもその姿を見守っていける。側にいて、オルバート様の幸せを見届けられる。
秋晴れの下、赤い木の葉が舞い落ちる道をゆっくりと歩んでいく。頬をくすぐる風は冷たい。それでも、俺から離れずに歩いてくれる三人の手は、泣いてしまいそうなほど温かかった。
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