第50話 十九歳④

「ぼくは生まれてすぐに考えた。ロディヴィー・ツヴァインが本当は何をしようとしていたのか、記録を全て読み返して探した」

「……それが、世界の破滅ですか……?」

「違う。――ぼくが見つけた目的は、魔獣による人類と魔族の統治だ」


 一瞬、俺の思考は止まった。なぜその結論に至ったのか、道理が理解できない。その気配を感じたのか、ジャウラット教授は狂気染みた口調でまくしたてる。


「ロディヴィー・ツヴァインは異常者だ。魔獣を捕らえ、解剖し、生きたまま切り刻んで魔力との関係を調べていた。挙げ句の果てには、自分の体と魔獣の体を生きたまま繋いだ。その結果、生まれたのがぼくだ。人道を外れた、人でも魔獣でもない怪物がぼくだ!」

「……!」


 俺は絶句した。衝撃ゆえに涙も止まる。ツヴァイン侯爵令息は、そこまで手を汚していたのか。動物や虫を手に掛けるのとは訳が違う。魔獣は人との意思疎通を可能とする、最も人に近い生き物だ。野外研修で現れたヴォルケたちの姿は、ジャウラット教授がツヴァイン侯爵令息の意思と反して行った所業だと思ったが、そうではないのだろう。恐らく、ツヴァイン侯爵令息のままでもヴォルケたちはああなっていた。ジャウラット教授の奇行は、全てツヴァイン侯爵令息の行動に基づいている。


「ここまでしておいて、たかが婚約者の病気の治療法を見つけるための研究だと……?」


 そんなわけがない、とジャウラット教授は震える声で呟いた。両手で顔を覆い、俯き、しゃがみ込む。生まれてすぐ、本当のジャウラット教授や学院長から事情は聞いていたのだろう。そのうえで、この人は信じることができなかった。いや、信じたくなかっただけかもしれない。生まれた瞬間から背負わされている業に、心が耐えられなかったのだろう。それを正当化するためには、荒唐無稽で壮大な計画が必要だったのだろう。


 俺は、黙っていた。その気持ちに少なからず共感できてしまうから、何も言えない。生まれ変わりに気づいたとき、俺は己の境遇を受け入れられなかった。暗殺者としての人生を最後まで忌み、絶えず逃げ道を探していた。ずっと息苦しかった。それが解消されたのは、オルバート様と出会ってからだ。オルバート様を守ることが使命だと、俺は自分に都合がいい存在意義を見出した。


 だが、それでも考える。


「ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢は……ツヴァイン侯爵令息の罪も含めて、あなたを受け入れたと思います」


 父さんは、俺を殺さなかった。子供一人殺せないはずがないのに、反射的にやり返すだけで、俺の二度目の攻撃を避けようとさえしなかった。「人」の道から逃れようとした俺を、父さんは変わらず愛してくれていた。


 俺は歩み寄った。ジャウラット教授のすぐ目の前で立ち止まり、膝を突く。ジャウラット教授の足下には、小さな水溜まりがいくつかできていた。かつての俺と同じように、この人はこれまでたった一人で戦ってきたのだろう。


「本当のジャウラット教授も、学院長もそうだと思います」

「……そんなはずはない」

「本当のジャウラット教授はあなたのために名前を貸してますし、学院長も、野外研修の件であなたをかばってます。ツヴァイン侯爵令嬢は、あなたの人ならざる部分に気づいてました。そのうえで、あなたのことを諦めてません。ツーヴィア公爵令嬢も、ただ、あなたに帰ってきてほしいそうです」

「……」

「これは、俺の自惚れかもしれませんが……本当は、止めてほしかったんじゃないですか?」


 この計画を遂行するうえで、オルバート様の情報は必須ではなかったはずだ。俺のことは適当にあしらえば良く、透明化の魔法や人類と魔族への疑念を聞かせる必要もなかった。ジャウラット教授の言動は、明らかに怪しかった。それは、俺という異分子を使ってロディヴィー・ツヴァインの真似事をやめたかったからではないのか。己が行く道に、この人こそが恐怖を覚えたからではないのか。


「無罪放免とは行かないでしょう。ですが『同類』として、俺は力を尽くしてあなたを助けます」


 正直、ここから元の世界に戻る方法は未だ思いついていない。しかし、どうにかして戻ってみせる。そうなったとき、王家はジャウラット教授を捕らえて処罰を下すだろう。実質的な被害を受けたのは魔獣と使用人のみだが、見せしめとするために、魔獣を利用して王子の殺害を謀ったという罪になるはずだ。処罰の内容は、間違いなく死刑だろう。そうならないよう、俺は使える手を全て使ってこの人を助ける。


「ぼくの帰る場所は、まだあるだろうか……?」

「無くても、作ってくれると思います」


 少なくとも、本当のジャウラット教授と学院長はそうした。ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢も、新たな居場所を用意して迎え入れるだろう。そうでなければ、婚約を解消したのに他国まで捜しには来ない。


 遠くから、俺の名前を呼ぶ声がした。耳を澄ませば、それは一人だけのものではない。聞き馴染んだ複数人の声によって、俺とジャウラット教授は呼ばれている。時折、ロディヴィー・ツヴァインを呼ぶ声もする。

 俺は、虚空に向かって手を伸ばした。空間は揺らめき、外からの刺激は段々と増えていく。俺とこの人の帰りを待つ人たちが、元の世界には何人もいてくれている。それならば、ここで閉じ籠もっている理由は無い。帰りたい、早く。


 ――パチン、と空気が破れる音がした。

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