第48話 十九歳②

 この世界は、物語と同じ道をたどっている。俺がライシャ様を救出しても、グリック殿下がオルバート様と仲直りしても、この世界は物語と同じ結末を目指して展開している。細かな差異はあれ、本流はオルバート様の破滅へと向かっている。しかし、それも仕方無いだろう。なぜなら、俺はまだ元凶を取り除いていない。


 思考を逆にしてみれば分かることだった。この世界が物語のシナリオに沿っているなら、あたかもこの世界だけの出来事に思えることさえ、物語のそれと類似している。ライシャ様はヒロインとしてオルバート様とグリック殿下の心を奪い、ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢はヒロインを助ける友人としてライシャ様と脱出し、俺とユーリルはオルバート様とグリック殿下を仲違いさせる要因として重症を負った。そして、それはジャウラット教授とて例外ではない。むしろ、ジャウラット教授こそ大役を担っている。オルバート様を魔王化するという、この物語の最終局面を作り出すキーパーソンだ。


「グリックもサイオンも、近いうちにまた会おう」

「ルツィア、無理はしないでね。ペティカもたまには休んでね」


 俺とユーリルが荷物をトランクに積んでいる傍らで、オルバート様とライシャ様は友人たちとの別れを惜しむ。魔獣たちも数多くおり、盛大な送別会だ。もう戻ってこないと、この場にいる誰もが薄々感じ取っているのだろう。


 冬休みに入るよりも随分と早く、二人はギアシュヴィール公爵邸に帰ることになった。表向きの理由については、奥様が体調を崩したからという名目だ。実際のところは、夏休み明けに俺が書いた報告書が影響している。曰く、ジャウラット教授は人道を外れた研究を行い、オルバート様はその被験者に想定されている、と。証拠らしいものはほとんど無い、俺の推察に頼りきった手紙。だが、旦那様はそれを信用して子供たちの帰省を命じてくれた。無論、これまで積み重ねてきたジャウラット教授への危機感も大いに働いただろうが、それにしても思いきりが必要な判断だっただろう。俺が思っていたよりも、旦那様は俺を信じてくれているのだろうか。


 バタン、とトランクを閉めたところで、ユーリルは俺に対して声を発した。


「運転はどっちがしますか?」

「俺がするよ。ユーリルは助手席に座って」

「了解です」


 旦那様に手紙をしたためた後、ユーリルにも同じ内容を共有した。グリック殿下には他言無用を強いられていたが、旦那様も知っている情報なのだから、遅かれ早かれユーリルも聞かされることになっただろう。それに、俺はもう一人で動かないとユーリルに約束している。その判断は正しかったようで、俺が一通り話すと、ユーリルは微かに安堵していた。もちろん、険しい状況であることは理解しているだろう。それはそれとして、俺が歩み寄る努力をしたのは嬉しかったらしい。


 最終チェックを終える頃、ツヴァイン侯爵令嬢が俺とユーリルの側に現れた。


「二人共、色々とありがとう」

「いえ、私たちは何も……。むしろ、お力になれず申し訳ありません」


 俺がそう言うと、ツヴァイン侯爵令嬢はやや困った様子で微笑んだ。弱気な、珍しい表情だ。結局、俺はジャウラット教授がツヴァイン侯爵令息であるという決定打を見つけられなかった。尤も、今となってはその解明が最善であると言えなくなってしまったが。ツヴァイン侯爵令嬢は、兄の潔白を信じたいに違いない。ツーヴィア公爵令嬢も同様だろう。ジャウラット教授の罪が明らかにされるのは、時間の問題だ。それが兄および婚約者の所業であると確定してしまえば、二人の気持ちは想像に難くない。


 一通りの挨拶が終わったのを見計らい、俺とユーリルは後部座席のドアを開けた。オルバート様とライシャ様は名残惜しげに手を振り、こちらへと向かう。


 ――突然、地面がぐにゃりと沈んだ。


「オルバート様!」

「ライシャ様!」


 俺とユーリルは咄嗟に地面を蹴り、二人のもとへ駆けつけた。ところが、できたのはたったそれだけだ。沼地に変わった地面に、両足はずぶずぶと飲み込まれてしまっている。引き抜くことができなくもないが、あまりに重い。言わずもがな、多少離れた場所にいたグリック殿下たちも同じ危機に陥っている。近衛騎士たちは辛うじてそちらを取り囲んだが、動けはしないようだった。空を飛べず、地面に縫いつけられた魔獣たちも悲鳴を上げる。

 辺りには、重い空気が漂っている。もはや慣れたと言っても過言ではない、魔力の気配だ。


「逃げ足が速いなぁ、君たちは」


 突如、景色の揺らぎから声がした。露わになったその姿形は、漆黒の髪に炎熱の双眸。静かな足音で、ふらふらと歩いている。獰猛な獣のようにこちらを見据える瞳には、ぎらぎらと攻撃的な光があった。ジャウラット教授、と誰かがこぼした呼びかけが伴うのは、確かな疑問符。と言うのも、当人の姿はまるで病人のように不安定だった。背を丸め、一歩、一歩をゆっくりと踏み出し、覚束ない足取りでこちらへと向かっている。


「オルバート・ギアシュヴィール。君には使命がある」

「は……?」


 何を言ってる、とオルバート様は震える声で聞き返した。ライシャ様をかばい、唐突な出来事に唖然としている。ジャウラット教授の言葉は、この場にいる誰にも理解できていないだろう。俺とて、その真意を推測できてはいない。いや、完全にそうだとは言えないだろうか。俺は知っている、魔王となったオルバート様が何をするのか。


 ジャウラット教授との距離が数メートルになったところで、俺は息を吸った。


「――魔王」

「……!」

「オルバート様を魔獣の王に仕立て上げ、世界を破滅させるおつもりではありませんか?」


 なぜ知っている、とジャウラット教授は俺を見詰めた。だが、俺は答えないでおく。オルバート様を背にかばい、眼前の黒幕を真っ直ぐに見据えるだけだ。


 この数ヶ月間、考え続けていた。ジャウラット教授が目を付けたのは、なぜ魔族ではなく人類であるオルバート様だったのだろうか。魔力も魔法の才能も、オルバート様よりも魔族のほうが確実に優れている。ジャウラット教授の目的が魔王の誕生だと逆説的に考えたとしても、世界を破滅させるなら、より強い魔法の力を持つ者を選ぶべきだ。

 きっかけは、ジャウラット教授の研究が魔獣に関しているからだろうかと推測したことだった。魔族に無くオルバート様にあるのは、魔獣の加護だ。そして、オルバート様が授かった魔獣の加護は、人類の中でも類を見ないほど強力なもの。ジャウラット教授が確立した魔王化の方法は、魔獣についての研究の成果を応用したものだと考えられた。

 加えて、ジャウラット教授には動機がある。人類と魔族は未だに愚かな道をたどっていると、ジャウラット教授はそれへの忌避感を隠さずに異を唱えていた。目的を達成するためには、ただの人類でも、魔族でも駄目だったのだろう。この世界の破壊者は、どちらかに偏らない新たな人であるべきだ。


「それほど今の世界が気に入りませんか?人類と魔族は歩み寄っています。破滅させずとも、世界はより良いほうへと変わっていきます」


 ライシャ様のように、この世界の平和を望む者はきっと少なくない。現に、サンダスフィー王国は魔族との完璧な和平を追い求めている。微々たる変化かもしれないが、同時に着実な進歩だ。


 ふ、とジャウラット教授は笑った。心底あざ笑う風に、きれい事をのたまう俺を見上げた。不思議なことに、その表情は自嘲にも見えた。


「世界は関係ない。ぼくは、ぼくの存在意義を失いたくないだけだ」

「……どういう意味……!」


 瞬間、ジャウラット教授は姿を消した。はっとした俺は、一か八かでオルバート様を押し倒した。ユーリルも同様にライシャ様に覆いかぶさり、武器を構える。奇しくも泥のおかげで背中を強打させることはなく、ボチャンッ、と鈍い音がした。俺はナイフを握り締め、次の一手を見極めようとする。


「後ろ!」


 ユーリルの声を信じ、俺は凶器を振りかざした。揺らいだ空気に、肉を刺した確かな感触がした。


「邪魔をするな……!」


 ジャウラット教授が振りかぶった右手には、注射器が握られている。黒々とした赤い液体は、注入されるのを今か今かと待ちわびている。ボタボタ、と鮮血がしたたるも、ジャウラット教授は苦痛を覚える様子も無く俺に掴みかかった。オルバート様が俺を呼ぶ声と、ライシャ様の悲鳴。ジャウラット教授の肌は、火傷しそうなほど熱い。あれは人じゃない、とかつて表現したのは、ツヴァイン侯爵令嬢だ。


 ドプッ、と土の触手が地面から生えた。ジャウラット教授の頭を目がけて投擲されたニードルは、その中に沈んで阻まれる。


「オルバート様を魔王にするのは、やめたほうがいいですよ」


 俺は語りかけた。視界の端では、近衛騎士たちがグリック殿下たちを避難させようとしている。運が良ければ、最初の時点で離脱した魔獣たちが人々にこの事態を知らせているだろう。諦めるにはまだ早い。


「絶対に失敗します。魔王は、生まれた瞬間倒されます。――それを阻止するのが、俺の存在意義です」


 引っかかれ。釣られろ。オルバート様が助かるなら、代わりに俺が死ぬ。


「……そうか」


 にた、とジャウラット教授は笑った。掛かった、と俺は確信した。意図的に腕の力を抜き、素肌を差し出す。


「ならば、君が魔獣の王だ」


 銀色にきらめく注射針は、俺の首に容赦無く突き刺さった。

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