第47話 十九歳①

 十九歳、秋。二年生の夏休みは、問題無く終わった。オルバート様とライシャ様はギアシュヴィール公爵邸にて穏やかな休暇を過ごし、俺は物語の脅威を忘れそうになるほどだった。十六歳になったオルバート様は旦那様の手伝いをし、ライシャ様と二人で街に出かけ、九歳になったウィスティア様に勉強を教えた。野外研修の事件は心の整理が付いたのか、魔獣たちをかわいがる場面も多々あった。いつの間にか、オルバート様は大人に近づいている。俺を必要としなくなる日も、案外すぐ側に来ているのだろうか。

 社交界において、ライシャ様とグリック殿下の噂は取り沙汰されなくなった。夏にある王城でのパーティーで、オルバート様も交えた三人が仲睦まじく話しているのを多くの貴族が目撃したからだ。ライシャ様はオルバート様ともグリック殿下とも踊った。だが、三人で仲良く談笑していると、それは友人としての感情しか内包していないと判断された。もちろん、継続して騒ぎ立てる人々もいる。それでも、三人の周囲は格段に穏やかなものとなっていた。


 夏休みが明けて数週間が経った頃、グリック殿下は俺を談話室に呼んだ。


「待たせたな」

「いえ」


 俺の前にオルバート様はいない。と言うのも、連れてこないようグリック殿下に言われていたからだ。また、グリック殿下もサイオン様を連れていなかった。他には壁に控える近衛騎士たちだけの室内で、グリック殿下は己の正面の席に俺を座らせた。お茶の用意は必要ないと言うので、長い話にはならないだろう。テーブルの上で両手を組むと、思案げな表情で口を開く。


「ここでする話は、他言無用で頼む。──野外研修で現れた魔獣は、複数の個体が人工的に合わされたものだと分かった」

「……根拠を伺ってもよろしいでしょうか?」

「縫合の痕があったそうだ。加えて、自然に発生した変異にしては体の接合部が直線的だったらしい。まるで、生きたまま切断して縫い合わせたかのようだったと聞いている」

「……そう、ですか」


 予想通りと言えばそうであるし、予想外と言えばそうでもある。オルバート様がした悪い想像と、全く同じ現実だ。ヴォルケを始めとする行方不明の魔獣たちは、人によってその体を弄ばれた。痛く、辛く、悲しかっただろう。もしかしたら、本当にオルバート様を呼んでいたかもしれない。誰にも見つけてもらえない暗闇の中で、苦しみから逃れたいと願っていたはずだ。そして、その祈りは死への渇望に変わった。ヴォルケたちは、オルバート様に己の命を終わらせてほしいとすがった。何と無情で、やりきれない悲劇だろうか。


 オルバートに聞かせるかはリュードに任せる、とグリック殿下は俺を真っ直ぐに見詰めた。ギアシュヴィール公爵が話すかもしれないが、と言うが、その配慮だけで十分だ。ありがとうございます、と俺は辛うじてお礼を紡ぎ、思わず目を伏せる。オルバート様の心を壊したくない。たとえいつか知ることだとしても、今である必要性は無い。残酷な真実を知ったとき、側には支えてくれる存在が必要だ。ライシャ様しかいない今このときに、話すべきではない。


「質問をしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、答えられることなら教えよう」

「――犯人を捕らえることは可能でしょうか?」


 あえて、俺はそう尋ねた。犯人の見当が付いているか、そう聞く必要性は皆無だ。ヴァルド学院でこのような所業ができる人物など、たった一人しかいない。外部の存在も考えられなくはないが、それを想定するよりも現実的な可能性だ。また、グリック殿下が戻ってきて以降、魔法学の授業は休講が続いている。学院内で王城の騎士たちを見かけることが増えたのとは対照的に、ジャウラット教授はずっと姿をくらませている。グリック殿下たちは、すでに捕縛の用意に掛かっているはずだ。

 グリック殿下は、一瞬の沈黙を作った。答えて良いものか迷ったのかもしれない。


「難しいだろう。……学院長が、協力を拒否している」


 予想外の人物の登場に、俺は目を瞬かせた。学院長と言えば、何の特異性も無い人だ。子供たちの教育に生涯を懸け、サンダスフィー王国の庇護のもとヴァルド学院を運営している。すなわち、王族に直属している機関から身柄の引き渡しを要請された場合、学院長は二つ返事で応じるだろう立場を持っている。下手に楯突けば、己の身と学院の存続が危ぶまれるからだ。


「シドラ・ジャウラットの経歴について、どこまで把握している?」

「少なくとも、ヴァルド学院の教員となって五年は経っていると聞いています」

「その通りだ。――記録上では、八年ということになっている」


 グリック殿下は、テーブルに両肘を突いて両手を組み合わせた。その双眸に宿っているのは、疑心だ。


「ところが、当時の学生に話を聞いてみると、三年前までとそれ以降で見解が異なっている。前者の卒業生が言うには、ジャウラット教授は壮年の男性だったそうだ」

「……まさか、途中で別人が成り代わったと……?」

「確証は無い。だが、そういう話にも持っていける」


 壮年というのは、若くても三十代を指す言葉だ。俺が知るジャウラット教授は、とてもそれほどの年齢には見えない。

 三年前と言えば、ツヴァイン侯爵令息が消息を絶った頃と一致する。現在のシドラ・ジャウラットがかつてのロディヴィー・ツヴァインであることは、もはや確定と言っても過言ではないだろう。それならば、本当のシドラ・ジャウラットはどこへ行ってしまったのだろうか。なぜ、ロディヴィー・ツヴァインは成り代わることができたのだろうか。そして、恐らく学院長はこの内情を把握している。学院長がそれを援助する理由は、一体何だろうか。


 不意に、俺はジャウラット教授の言葉を思い出した。君がぼくと同類だという意味か、といつかにジャウラット教授は問うた。一切の感情が抜け落ちた表情で、俺の正体を推察した。その真意は、己の名前が真実ではないという意味だったのだろうか。今の己が本来の形をしてはいないと、暗に言い表していたのだろうか。そうだとしたら、俺は、きっと。


 話は以上だ、とグリック殿下に言われ、俺はこの思考を一旦手放した。せっかくの場なのだから、聞くならこのときだろう。


「グリック殿下」

「何だ?」

「学院にいる間、グリック殿下は宝具を帯剣されないんでしょうか?」


 藪から棒の質問であることは承知している。案の定、グリック殿下とその背後の近衛騎士たちは俺を訝しんだ。それでも、この問いの回答は重要な判断材料だ。グリック殿下が敵なのか、味方なのか、その決定ははっきりと済ませておきたい。裏で手を引く者の正体が分かった今、オルバート様の未来は確定間際だ。


「突然だな。何か聞いているのか?」

「いえ。ですが、近衛騎士の人数が増えたとは言え、先の事件がありながら学院に復帰なさったのは少々気に掛かります。他にも対策がなされているということでしょうか?」


 こちらにもその情報を共有してほしい、と俺は含みを持たせた。これなら、俺はオルバート様の忠臣として力を尽くしていると見られる。少なくとも、グリック殿下は俺を通してオルバート様を傷つけたという負い目があるはずだ。ここで隠し事をするのは、オルバート様への裏切りだという背徳感が芽生えるだろう。俺としては宝具を手元に置いていないのが理想だが、それはそれとして他の防衛策も明かしてもらいたい。俺がこれから取る行動は、物語のシナリオを大きく逸脱する。最悪、それによって更なる危機が引き起こされるかもしれない。敵でないと言うのなら、グリック殿下はオルバート様を全力で守るべきだ。


 グリック殿下は、徐に口を開いた。


「宝具は場所を移した」


 途端、殿下、と近衛騎士の一人はいさめた。当然だ、俺は一介の使用人でしかない。本来、国宝の在処を問いただして許される立場ではない。されど、グリック殿下は近衛騎士の口を閉じさせた。やはり、誠実な人だ。


「当然、私が使うことも想定されている。……質問の答えになっただろうか?」

「はい。ありがとうございます」

「では、この辺で終いにしよう」


 グリック殿下は所用があると言うので、俺とは談話室を出てすぐに別れた。近衛騎士たちをぞろぞろと連れ歩き、廊下の奥へ消えていく。一行の後ろ姿が完全に見えなくなったところで、俺も寮までの道を歩き始めた。


 最後の問答で、グリック殿下は十分な答えをくれた。――宝具は、ヴァルド学院のどこかに運び込まれている。

 この世界のグリック殿下は、物語における役割を放棄している。オルバート様を唯一無二の友人だと思っている風だし、近衛騎士の失態とは言え弱みもある。万が一オルバート様が魔王化したとしても、問答無用で切り捨てることはしないだろう。物語と違い帯剣していないのは、グリック殿下がそれを拒んだからかもしれない。宝具が手元にあるとは言え、この差は非常に大きい。


 寮にたどり着くと、俺は誰もいない部屋に戻って便箋を取り出した。座る手間さえ惜しみ、立ったまま報告と要請を書き連ねていく。宛先は旦那様だ。オルバート様の身の危険が具体性を帯びた以上、この場所に留まるべきではない。――ジャウラット教授がオルバート様を魔王化するまで、猶予は残りわずかだ。

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