第46話 十八歳㉑

「……サイオンは許す。だが、グリックは許さない」


 しかし、絞り出された答えは俺の理想の半分でしかなかった。これにはこの場の全員が驚き、疑問を覚えたことだろう。俺自身、グリック殿下がここまでしているのに許されないのは理解できない。結果として俺は無事なのだから、オルバート様なら受け入れてくれるだろうと心のどこかで楽観視していたのかもしれない。なぜですか、と俺が思わず問えば、オルバート様はじっとグリック殿下を睨んだ。


「近衛騎士がリュードとユーリルを蔑んでるのは、前々から気づいてたはずだ。それなのに、なぜ何もしてくれなかった?」

「……言い訳に聞こえるかもしれないが、注意はしていた」

「その結果があのざまか?」

「オルバート様、言葉が過ぎます」

「リュードは黙っててくれ」


 オルバート様はぴしゃりと言い放った。その足を組み、不遜な態度でグリック殿下を見詰める。その様子に、俺は強い既視感を覚えた。一体何かと記憶を探ってみれば、思い当たったのは魔王化したオルバート様だ。ヴァルド学院の時計台からグリック殿下とヒロインを見下ろすオルバート様は、このように何者も寄せつけない冷酷な雰囲気をまとっていた。まさか、もう手遅れなのだろうか。いや、まだどうにかなるはずだ。オルバート様の魔力は暴走していないし、説得の余地がある。


「グリックの行動は、全てが手遅れだったんだ。近衛騎士への指示もこうして人員を入れ替えるのも、リュードとユーリルが傷ついた後だった。それにも関わらず、許せと?」

「……」


 許さなくていい、とはグリック殿下は言えない。グリック殿下の言葉は、たとえどのような内容でも王家のものとして解釈されえる。ここでその言葉を口にしてしまえば、王家とギアシュヴィール公爵家の間に決定的な亀裂が走ることになるだろう。恐らく、そのことはオルバート様も承知している。そのうえで、グリック殿下が窮地に陥る言葉を意図して選んでいる。このままでは駄目だ。オルバート様は頑として譲歩しないだろうし、グリック殿下もどうしようもできない。あくまで慎重に、俺はオルバート様の心を鎮めるために息を吸う。


「オルバート様、俺は俺の話を聞いてほしいと最初に言いましたよね?聞いてくれますか?」


 返事は無い。俺はそれを許可だと受け取り、グリック殿下を見た。


「俺は許します。そもそも、怒ってません。近衛騎士の行動は当然のことだったと思います」

「またそんなことを……!」

「もしオルバート様の側で信用できない誰かが剣を抜いたら、俺も同じことをしました。その人が誰であろうと、その首を切ります。確実に殺します」


 ぞわ、と近衛騎士たちは微かに殺気立った。今の俺の発言は、たとえグリック殿下でも、という意思が明らかに含まれていた。いや、俺はわざとそう聞こえるような言い回しをした。グリック殿下のことは信用しているが、今後そうなくなれば俺はためらわないだろう。俺はオルバート様を守るためなら何でもする。それこそ、俺の命を犠牲にしても構わない。

 俺にしては珍しい直接的な物言いに、オルバート様はやや驚いたようだった。瞠目し、言葉を失っている。俺を怖がってしまっただろうか。我ながら、自分が今どのような表情をしているか分からない。やはり、あの近衛騎士の判断は正しかった。近頃厚意を向けられることが多いからと、勘違いしてはいけない。俺は、骨の髄まで血で汚れている。


「オルバート様は、そんな俺が間違ってると思いますか?」


 肯定されたら、どうすればいいのだろうか。頷かれるのが怖い。嫌われるのが怖い。オルバート様が幸せに生きられるなら俺はどうなってもいいが、いざ拒絶されると思うと足が震える。俺にとって、オルバート様は唯一だ。母さんも父さんも殺した、俺が唯一無くしていないもの。できることなら、次の春が来るまでオルバート様の側にいたい。


 ──果たして、オルバート様の頭は横に振られた。


「思うわけがない……。だが……!」


 否定してもらえたことに、俺は心の底から安堵した。父さんを殺した俺を侍従にすると決めてくれた気持ちは、今もなお変わっていない。俺はこれから先もオルバート様の側にいて、オルバート様を守ることができる。改めてその保証をされてしまえば、俺は涙が出そうになるほど安心した。


 しかし、今は俺のことよりもオルバート様とグリック殿下のことだ。どうやら、オルバート様には他にも気に掛かっていることがあるらしい。泣き出しそうな表情をしたオルバート様は、グリックを許したら、と隣にいる俺を不安げに見上げた。


「──俺のせいになるだろう……?」


 それは、俺が一番聞きたくない言葉。


 野外研修で化け物として現れたのは、オルバート様が親しくしていたヴォルケだった。細身のイグアナのような容姿を持つランツィオという種であるはずが、全身に眼球を持った体高二メートルほどの姿になっていた。理性をほとんど失っていたヴォルケは、オルバート様の名前を呼んだ。拙い、人の言葉で、殺してほしい、とオルバート様に願った。愛しい人を襲いながらも助けを求めなくてはいけないヴォルケの感情は、一体どれほどのものだっただろうか。そして、頼られたがゆえに周囲を危険にさらしてしまったオルバート様は、一体どれほど苦しい思いをしただろうか。懇願されたのは己でありながら、俺に託すしかなかったオルバート様の心は、一体。


「オルバート様は何も悪くありません!」

「違う!俺が助けないといけなかったのに、殺すのが怖いからリュードに任せたんだ。リュードが怪我を負ったのも、俺が……ヴォルケがいなくなったことに気づいてたのに……!」

「オルバート様、ヴォルケの姿が見えないからと言って、あの状況は予測できませんでした」

「ヴォルケだって、急にあんな姿になったわけがない。どこかで何かが起きたんだ。もしかしたら、もっと前から俺を呼んでたかもしれない……。他の魔獣たちだって、ヴォルケのあの目は……!」

「──やめてください!!」


 オルバート様の言わんとしていることは分かる。行方が知れなかった魔獣は、ヴォルケの他にも何体かいた。もしかしたら、ヴォルケたちは一つの生命体としてあの化け物になったのではないか、そう言いたいのだろう。俺もそれは考えた。ユーリルとも話したし、旦那様にも報告した。しかし、それは想像でしかない。ヴォルケの遺体は王家が寄越した調査団が預かったが、明確な手掛かりは発見されていないと聞く。現時点で言えるのは、オルバート様のせいではないということだけだ。誰よりも長い時間をオルバート様の側で生きてきたからこそ、俺はオルバート様は何も悪くないと胸を張って言える。


 俺はしゃがみ、オルバート様を下から見上げた。そのグレーの双眸には涙が浮かび、夕日の光をゆらゆらと反射している。オルバート様の泣き顔を見るのは、ライシャ様を助け出したあの日以来だろうか。いや、違う。俺が目覚めたときも、オルバート様は泣いていた。


「オルバート様、大丈夫です。オルバート様は何も悪くありません。オルバート様のせいで傷ついた人も魔獣も、どこにもいません」


 オルバート様は心優しい。俺を受け入れたように、他の誰かを傷つけることを良しとしない。されど、オルバート様が背負う罪など、この世界には存在しない。たとえあったとしても、代わりに俺が背負ってみせる。この世界のオルバート様は、何一つ悪くない。

 きっと、オルバート様は怖かったのだろう、友が突然化け物になってしまったことも、友に襲われたことも、オルバート様の身近な人が血を流したことも。どれもこれも、一生のうちに遭うか遭わないかの悲惨な目だ。そのうえで、生まれた恐怖のはけ口を見出せずにいたに違いない。ヴォルケを恨むことはできないが、無事で良かったと割り切るにはあまりに壮絶な経験だった。この一か月以上もの間、オルバート様は一人きりで抱えていたのだろうか。なぜ、俺はそれに気づかなかったのだろうか。なぜ、俺はオルバート様の苦しみを取り除かなかったのだろうか。俺は、物語のシナリオに囚われすぎている。


 俺はサイオン様を見た。掛ける言葉を必死に探している風に、心配を漂わせてオルバート様を見ている。テーブルが邪魔で分からないが、恐らくグリック殿下も同じ表情をしているだろう。二人共、オルバート様に必要な友人だ。きちんと仲直りをして、また一緒に時間を過ごしてほしい。


「サイオン様は、傷つきましたか?」

「全く!ちっとも傷ついていないよ。……むしろ、オルバートたちに助けられた。ありがとう。グリックもそうだよね?」

「ああ、オルバートが悪いことなど何も無い。私は至らぬ身だが、その気持ちを一緒に背負えないだろうか?友人として、苦しいときには力になりたいと思う」


 グリック殿下は素晴らしい人格者だ。一方的に悪役を押しつけられていたのに、オルバート様に悪態を吐くどころか寄り添っている。オルバート様の苦しみを想像し、思いやることができる。こういう人だからこそ、俺はグリック殿下にオルバート様を殺してほしくない。


 オルバート様は、こくりと頷いた。すまない、と震える声で言い、涙を一粒落とした。俺はハンカチを取り出し、その目元をそっと拭う。今この瞬間、オルバート様の闇は少しだけ晴れたと信じたい。これから誰も失わせないために、俺には何ができるだろうか。この俺の命一つで、全てを埋め合わせることはできるだろうか。

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