第45話 十八歳⑳
野外研修から約一ヶ月後、グリック殿下はようやくヴァルド学院に戻ってきた。サイオン様と共に、以前と変わらず寮で生活している。どうやら、危険に巻き込まれたからと言って自主退学するつもりはないようだ。人数が増え顔触れも一新された近衛騎士を伴い、しばらく休んでいた授業に元通り参加している。──そして、その手に宝具は無い。
なぜだろうか、と俺は疑問には思う。ただし、同時に納得もできた。宝具とは、魔法や魔族に対抗するために製作された剣だ。終戦を果たした現代からすれば、負の遺産であり惨劇の象徴だと言える。王家が魔族と友好的な関係を築こうとしている以上、それを持ち出すのは逆効果でしかない。尤も、だとすればなぜ物語では帯剣していたのか謎であるところなので、もしグリック殿下に理由を聞ける機会があれば聞いておきたい。宝具が登場していないからと言って、オルバート様の命が救われたと安心できはしないだろう。最悪、いっそう厄介な事態に発展しているかもしれない。
しかし、今重視したいのはそこではない。つまり何が言いたいかと言うと、オルバート様とグリック殿下の対立は、未だ深刻さを極めているということだ。
ある日の放課後。図書館で課題に取り組むオルバート様とライシャ様をユーリルに任せ、俺は廊下の角である人物を待ち伏せた。その人がこちらに曲がるや否や、その口を右手で押さえ、人気が無い階段裏へと連れ去る。
「話したいだけなので、大声は出さないでください。逃げるのも無しです」
「……!」
ぶんぶん、とその人は頭を縦に振った。ほの暗い赤色の髪は揺れ、眼鏡もずるりと鼻からずれている。その動作に嘘はないと確信した俺は、そっと拘束を緩めた。
「な、何のつもり……!?お、オルバートの命令……?」
「いえ。せっかく友人になったのに、サイオン様が俺から逃げるからですよ」
う、とサイオン様は言葉を詰まらせた。正当性を確保するためにユーリルを真似てみたが、少々意地悪が過ぎただろうか。しかし、事実なのだから否定はできないだろう。サイオン様はもじもじとローブの袖を弄び、申し訳無さそうに俯いた。まるで俺が悪者みたいだ。いや、確かに取った手段は良くなかったが。サイオン様が護衛を連れて歩かないのをいいことに、強硬手段で話し合いの場を設けさせてもらった。
「その、どんな顔をして会えばいいのか分からなくて……友人なのに、僕はリュードを助けることができなかったから……」
サイオン様の言葉は、心の底からにじみ出たものであるようだった。行きすぎた誠実さだ。俺は使用人なのだから、目上の立場にあるサイオン様のために犠牲になるのは何もおかしくない。俺自身にその意思があるかどうかは関係なく、常識としてそういうものだという話だ。たとえ友人という契りを交わしても、身分の前には何の意味も成さない。悲しいが、少なくともサンダスフィー王国はそういう社会だ。だが、否定できる部分もある。
「サイオン様は俺を助けてくれました。最後に近衛騎士の剣を投げてくれたでしょう?俺のナイフは刃渡りが短いので、あれが無ければ殺せませんでした」
サイオン様は剣術の授業を選択していない。野外研修の際は真っ先にへとへとに疲れていたことからも、剣というものにほとんど関わらない人生を送っていたはずだ。それでも、絶体絶命の状況であの判断をしてくれた。おかげで全員が助かり、俺とユーリルも生き延びることができた。オルバート様が魔法でヴォルケの顎を突き上げてくれたことも、グリック殿下が近衛騎士に命じて俺とユーリルを助けてくれたことも必要不可欠な要素であったし、特にサイオン様の機転は打開の決め手となった。俺はこの恩を決して忘れない。
でも、とサイオン様はなおも食い下がった。近衛騎士が、とためらいつつ口にする。やはり、サイオン様も俺に剣が向けられたことを負い目に感じていたようだ。あの件については納得してます、と俺が正直な気持ちを明かしても、リュードは優しいね、と信じてもらえない。
オルバート様といいユーリルといい、なぜこの出来事をそこまで気にするのだろうか。それに、近衛騎士の主はグリック殿下なのだ、サイオン様が悪く思う道理は無い。
とは言え、これに関してはオルバート様の納得も必要だろう。いくら俺が許すと言っても、主人であるオルバート様が駄目だと言ったら公的には許されない。ここはオルバート様の説得を優先したほうが良さそうだ。しかし、そのためにはまず意地を張るのをやめてもらわなくてはいけない。そこで、俺はサイオン様にお願いがある。
「サイオン様、俺に悪いと思うなら、一つ聞いてほしい頼み事があります」
「僕にできることなら……」
「明日、ゆっくりと話す時間をもらえませんか?」
言えば、サイオン様は拍子抜けした表情をした。それだけでいいの、と聞き直してくるが、俺のほうこそ念を押し、先に了承をもらっておく。これで言質は取った。サイオン様には後悔してもらうことになるが、俺とユーリルの治療費として支払ってもらおう。
翌日の放課後、俺はオルバート様を連れて談話室に向かった。大切な話があると申し出たところ、オルバート様は快く頷いてくれたからだ。なぜ寮の私室ではなく談話室なのかは、場所を変えてきちんと話したいからと言って強引に納得してもらった。それでも俺を疑わないオルバート様には心が痛むが、時間が無いので許してほしい。
たどり着くと、俺はオルバート様の視線を遮るようにしてドアを開けた。中に入ったところで、待ち人が見えるよう体をずらす。すると、オルバート様は鋭い目つきで俺を睨んだ。
「リュード、どういうつもりだ?」
「騙して申し訳ありません。ですが、埒が明かないと思ったので」
目の前のテーブルでぽかんとこちらを見ているのは、グリック殿下だ。その向かい側にはサイオン様がおり、この人はあわあわと喧嘩中の二人を代わる代わる窺っている。言わずもがな、サイオン様には俺の共犯者になってもらった。オルバート様がグリック殿下との対話を拒絶しているのなら、話さざるを得ない状況を作るまで。とは言え、グリック殿下が断る可能性もあったので、サイオン様には俺と同じようにしてグリック殿下を呼び出してもらった。近衛騎士たちが壁際で待機しているものの、我関せずという様子なので問題無い。ここまでは作戦通りだ。あとは、いかにして二人の本音を引き出すかに懸かっている。
俺が着席を促すと、オルバート様はグリック殿下の対角線上に座った。意地でも顔を合わせたくないようだ。珍しく、頬杖を突いてそっぽを向いている。何と言うか、いたく子供っぽい。このような状態で上手くいくだろうか。とりあえず、えー、と俺は口火を切った。
「発案は私です。サイオン様には協力していただいただけですので、怒らないでくださると幸いです」
「なぜこんなことを企てた?」
「お二人に私の話を聞いていただきたかったからです」
仲直りをするかどうかは二人の意思次第なので、まずは思い込みを解くことから始める。なお、できればこの場にはユーリルもいてほしかったが、そうなるとライシャ様も呼ばなくてはならないし、ユーリルとグリック殿下は気まずいままでも大した問題ではないので諦めた。今回のことが成功したら、俺から個人的に話そうと思う。オルバート様が折れたなら、ユーリルも渋々溜飲を下げるだろう。
「お二人が仲違いをされている原因は、野外研修の際、私が近衛騎士の方に剣を向けさせてしまったからかと……」
「剣を向けたのはあっちだ。リュードは悪くない」
「……とにかく、近衛騎士の方が私に剣を向けたことかと思いますが、合っていますか?」
俺が尋ねると、オルバート様とグリック殿下は肯定した。この点は意見が揃っているようだ。そのうえで、本当にすまなかった、とグリック殿下は俺に謝った。
「今回の不始末は、近衛騎士を従えている私の責任だ。彼のことは陛下にご報告し謹慎処分を下したが、ユーリルの準備が無ければリュードは片手を失っていただろう。すまなかった」
グリック殿下は頭を下げた。殿下、と近衛騎士の一人が咎めるが、黙っていろ、と命じられ口をつぐむ。俺は反射的に頭を上げるよう頼みかけたところで、ぐっと耐えた。ちらとサイオン様に視線をやれば、心得たかのように口を開いてくれる。
「僕も、申し訳無かった。リュードとユーリルに大怪我をさせたし、オルバートの大切な人たちを傷つけた……。謝って済むことではないと思うけれど、謝罪させてほしい」
なんだか、サイオン様には俺が無理矢理謝らせてしまった感じが出ている気がする。いや、優しい人だから、きっと本心からの行動だろう。俺は二人の謝罪を受け取る前に、あえてオルバート様を見た。さすがに頬杖はやめ、苦しそうな顔で二人を見ている。許すかどうか、心が揺れているのだろう。ここで俺が先に許したら、オルバート様は納得しないはずだ。リュードは優しいから、とサイオン様と同じことを思うはずだ。よって、俺は固唾を呑んで成り行きを見守る。
一分ほど経ったところで、オルバート様はようやく口を動かした。
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