第44話 十八歳⑲

「さて……あぁ、今日はグリック・ルフローズはいないのか」

「ジャウラット教授。見た限りですが、魔力が水と上手く混ざっていないように感じました。また、空気にも魔力が足りていなかったと思います」


 ジャウラット教授はグリック殿下を探したつもりだったのか、ツーヴィア公爵令嬢に視線を向けるとすぐに逸らした。その行為に思うところがあったのだろう、ツーヴィア公爵令嬢はにこやかに意見を押し通した。すると、ジャウラット教授は若干困った風の沈黙を作る。まさにその通りだ、と肯定するが、いつもの大袈裟な抑揚は無い。どうやら、ツヴァイン侯爵令嬢よりもツーヴィア公爵令嬢を苦手としているらしい。


 空気、と言われ、俺は先程の行為を思い返した。確かに、水を浮かせるために物理的な要素は考慮していなかった。前世の記憶が固定観念としてあるのだろうが、水に魔力を込めれば勝手に浮くと勘違いしていた。尤も、水にさえ十分な魔力は渡っていなかったそうだが。ジャウラット教授は、面白いものを発見したかのような視線で俺を見詰める。


「リュード・トークル。君は非常に珍しいことに、魔力を圧縮することができるようだ」


 きょとん、とその場の全員が首をかしげる。俺自身、その言葉の意味を察することができない。すると、ジャウラット教授はわずかに残った桶の水をくるくるとかき混ぜてみせる。言わずもがな、指ではなく魔力を使用して、だ。


「魔力が混ざった水は、このように滑らかな動きをする。もちろん、静止させることも可能だ」


 少しして、ぴたり、と水面は静寂に陥った。ついさっきまで渦を描いていたことを鑑みると、不自然に早い落ち着き方だ。


「さて、ここで質問だ。君が魔力を組み込んだとき、水はどのようだったかい?」

「ボコボコと上下に運動していました」

「その通り!君は魔力を組み込んだのではなく、水中に魔力の塊を沈め、それ自体を動かしていたんだろう」


 ある意味天才だ、とジャウラット教授はにやにやと笑う。しかし、そう言いつつも今まさに水を上下にかき混ぜている。恐らく、これが魔力をそのまま動かすということだろう。天才の域に己も含めることは忘れないらしい。


「水が弾けたのは、魔力自体の運動に耐えられなかったからじゃあないかと考えられる。複数の魔力の塊が同時に動くことで、それなりに大きな力が生まれたんだろう」

「……」

「君は魔力の才はあるが、魔法に関しては愚才だということだ」


 容赦無い物言いに、俺の心が折れる音がした。魔法が使えないなら、今までと変わりない。魔法くらい使えなくても問題無い、とオルバート様は俺を励ましてくれるが、今後はもっとオルバート様の役に立てると思っていただけに残念だ。特に、ツヴァイン侯爵令嬢が使う魔法は羨ましい。それに、もし王家が魔族との関係を今以上に改善させるつもりなら、魔法を使うオルバート様は確実に重用される。そのとき、俺も側にいて支えられたらと思うのだが。そこで、俺は食い下がった。練習でどうにかならないでしょうか、と往生際悪く尋ねる。すると、ジャウラット教授は呆れた様子で両の手の平を空に向けた。お手上げのポーズだ。


「それは無理な話だ。周囲を見て、何も分からないかい?」


 言われ、俺は他の学生たちを見た。皆真面目に魔法の練習をしているが、どこかにヒントがあるのだろうか。よく観察してみると、人類と魔族で練習場所がきっちりと分かれていることに気づく。同族意識ではなく、なるべくしてそうなっている風だ。なぜなら、それぞれで魔法の威力が異なる。人類は精々が桶から水を浮かせる程度である一方、魔族はそれを完全に飛翔させている。焚き火のほうも同じく、松明の炎の大きさを変えるのが人類の魔法なら、焚き火そのものを火の輪状にしたり軽く爆発させたりするのが魔族のそれだ。はっきりと言ってしまえば、人類の魔法は手品という表現のほうがしっくりと来る。この違いはなぜだろうか。


「そもそも、人類は魔法の扱いが苦手ということでしょうか?」

「それじゃあ足りない。人類が魔法を使うのは、鶴が平皿のスープを飲むようなものだ」


 すなわち、全くできないわけではないができていないのと同じだという意味だろう。となると、俺も水を自由に飛ばすのはほぼ不可能だということになる。では、なぜジャウラット教授は最初にその指示を出したのだろうか。俺がこの疑問をぶつけると、オルバート・ギアシュヴィールだよ、とジャウラット教授はあっさりと白状する。


「彼は魔族に匹敵するほどの実力を持っているから、君もそうではないかと思ったんだ、結果は期待外れだったが」

「なるほど……。オルバート様の魔法はそんなにすごかったんですね……」

「私たちも初めて見たときは驚いたわ。──確かグリック殿下も、才能があるうえで努力もしていて素晴らしいと言っていたかしら」

「……俺じゃなく、魔獣たちのおかげだ」


 おや、と俺は思った。ツーヴィア公爵令嬢の言葉は少々わざとらしかったが、オルバート様もグリック殿下を完全に嫌っているわけではなさそうだ。もし本気で見限っていたら、このように言い淀んだり謙遜したりしない。俺が危惧しているよりも、二人の仲の修復には希望を持てるのだろうか。


 それにしても、ジャウラット教授がなぜオルバート様にこだわるのか、俺は改めて理解した。人類でありながら卓越した魔法の才能を持つオルバート様は、ジャウラット教授の目的のために必要な存在なのだろう。

 俺がオルバート様を守らなくてはならないと言ったとき、その言葉は君がぼくと同類だという意味か、とジャウラット教授は問うた。同類、とは何を指してのものだろうか。ジャウラット教授は、なぜあのとき人類と魔族の確執について言及したのだろうか。なぜ、魔族ではなくオルバート様なのだろうか。人類の魔法よりも魔族のそれのほうが優れていると言ったのは、他でもないジャウラット教授だ。オルバート様にあって魔族に無いもの、それは、果たして。

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