第40話 十八歳⑮

 ジャウラット教授が引き下がったのを見て、ツヴァイン侯爵令嬢もオルバート様と俺に謝罪した。第三者でありながら余計なことを言った、とその点を謝った。律儀な人だ。もちろんオルバート様も俺も怒ってはいないので、互いに矛を収めることで一応の収拾を付けた。


「さて、改めてリュード・トークルに説明をしよう。この際、ペティカ・ツヴァインがいても構わないだろう?」


 どの口が、とは誰もが考えたことだと思う。ジャウラット教授は、明るい表情でさっさと決定してしまった。尤も、それに反対する者はいないので問題無いが。リュード・トークル、とジャウラット教授は俺をじっと見詰めた。にやにやと笑い、俺の現状に心底興味を抱いているようだ。俺の背筋がぞわりと泡立つのは、思考が実験体のつもりになってしまっているからだろう。


「簡潔に言おう。──君が死にかけたにも関わらず助かったのは、魔獣の加護を授かったからだ」


 魔獣の加護、と言われ、俺の思考は一瞬だけ停止した。確か、魔獣の加護を授かるのは人類の子供だと決まっていたはずだ。成長の大半を済ませてしまった年頃だと、魔族のように魔力を取り込み放出できるような体を作るのは難しい。一方、俺はすでに十八歳だ。幼い頃も、魔獣の加護を受けたことはない。理解できない説明につい黙っていると、ジャウラット教授は俺の首を人差し指で指した。


「君に掛かっている従属の呪いは、随分と幼い頃に施されたものらしいじゃあないか。これはぼくの推測だが、君はそれによって魔獣の加護を間接的に授かっていたんだろう」

「……申し訳ありませんが、お話が全く分かりません」

「そもそも、従属の呪いとはどのようなものだと思う?」


 人の話を聞いているのかいないのか、ジャウラット教授は手を叩いた。その視線がオルバート様に向くと、渋々といった様子でオルバート様は説明を試みる。


「対象者の体に魔力を馴染ませ、その主導権を確保する魔法ではないでしょうか?魔法の基本は魔力を織り込むことです。この場合、魔力は対象者の体に取り込まれる形になるのではありませんか?」

「その通り!事実、奴隷が突如魔法を使えるようになったという記録が残っている。尤も、どれも大した魔法は使えなかったらしいが」

「それと魔獣の加護にどのような関係が……?」

「従属の呪いを介して、君は長い時間オルバート・ギアシュヴィールの魔力を取り込んできた。それは君の体と魔力の親和力を高め、魔獣の加護を授かるのと同じ状態を成していたというわけだ」


 つまり、こういうことだろうか。俺がオルバート様に従属の呪いを掛けてもらったのは、六歳のとき。以来、俺はオルバート様から魔力を供給してもらっていた。それは魔獣の加護を持つ子供が魔獣から魔力を分けてもらうのと類似した状況であり、俺は擬似的に魔獣の加護を授かっていたことになる。なお、魔力は身体的な治癒力を備えているので、魔獣の加護を授かっている人類は怪我の治癒が比較的に早い。


「では、私はオルバート様の魔力を利用して怪我を治したと……?」

「違う、違う。君が助かったのは、魔獣の加護を授かったおかげだと言っただろう?さっきまで、大勢の魔獣がここにいたじゃあないか」

「……そうですね。従属の呪いのおかげで、私には魔獣の加護への耐性があったということでしょうか?」

「その通り!」


 俺はほっとすると同時に、改めてオルバート様に感謝の念を抱いた。オルバート様が俺に従属の呪いを掛けてくれていなければ、俺は今回の出来事でこの命を使い果たしていたに違いない。俺を拾った三歳のオルバート様は、当時の俺と共に未来の俺の命も救っていたのか。またしても、俺はオルバート様に救われたのか。オルバート様にまだ何も返せていないのに、俺は、飽きもせず。


 治療法が魔法学的だということで、ジャウラット教授は正規の医師に代わり俺の容態を観察していたそうだ。朝、昼、夜の三回、魔獣の加護が毒になっていないか確かめに来ていた。オルバート様が強調することには、必ずギアシュヴィール公爵家の騎士も同席していたらしい。どうも、オルバート様はジャウラット教授を信用していない。本人からそれを指摘されると、魔獣が必死に逃げるあなたを信用できるはずがないでしょう、とあけすけに一蹴していた。一方で、ジャウラット教授は満足げににやにやと笑っていたが。


 ジャウラット教授、と今度はツヴァイン侯爵令嬢が呼んだ。何だい、とジャウラット教授は問いかけるが、その目はそちらを向いていない。


「魔族も魔獣の加護を授かることは可能なの?」

「それを魔力の供給という意味で言っているなら、ぼくは可能だと答えよう」

「ルツィアの快復が早かったのは、あなたが何かしたからなの?」

「さぁ、何のことだか。哀れに思った魔獣が力を貸してくれただけだろう」

「私は魔獣が来たとは言っていないわよ」

「……」


 一旦緩んだ空気は、再び緊張を孕んだ。ツヴァイン侯爵令嬢は、ジャウラット教授が自身の兄かもしれないと再び考えているのだろう。冬休みには否定していたが、やはり願ってしまう気持ちも嘘ではないはずだ。ツーヴィア公爵令嬢に救いの手が伸べられたなら、なおさら疑ってしまうのは仕方無い。


 くる、とジャウラット教授はドアのほうへと体を向けた。そのまま足を踏み出し、ドアを開けてしまう。間違いなく、この追及から逃げるつもりだ。


「リュード・トークル。もう魔獣の加護は必要ないようだから、これからは学院の侍医に診てもらいたまえ」

「シドラ・ジャウラット!」


 ガタンッ、と椅子を蹴り飛ばす勢いで、ツヴァイン侯爵令嬢は立ち上がった。怒りと嘆きがない交ぜになった声で呼び止め、少しの間の沈黙を誘う。思惑通り、ジャウラット教授は足を止めた。振り返りはしないが、聞く気はあるようだ。


「ロディヴィー・ツヴァインに会ったら伝えなさい、妹と婚約者はあなたの帰りを待っている、と」


 もはや、教師に対する口の利き方ではない。もしかしたら、ツヴァイン侯爵令嬢には確信があるのかもしれない。兄妹だからこそ感じる、抽象的かつ絶対的な根拠を持っているのかもしれない。それでも二の足を踏んでいるのは、本人が再会を望んでいないからだろうか。いや、以前にツヴァイン侯爵令嬢は言っていた、ジャウラット教授は人ではないと。ツヴァイン侯爵令嬢が強く出られないのは、未知への恐怖のせいでもあるだろう。


 ジャウラット教授は、何も返さなかった。止まった時が再び進み始めたかのように、平然として続きの一歩を踏み出した。その気配は、ドアの向こうであっという間に途絶えてしまう。文字通り、姿を消したのだろう。


 ツヴァイン侯爵令嬢は、俯いて両手を強く握り締めていた。怒りを耐えているようにも、涙を堪えているようにも見える後ろ姿だ。ライシャ様が寄り添うと、ツヴァイン侯爵令嬢は気丈な笑顔を作った。騒がしくしてごめんなさい、とこちらを気遣う余裕まで見せる。オルバート様は椅子を元の位置に運び、もう少しゆっくりとしていくよう勧めた。

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