第39話 十八歳⑭
夜になると、オルバート様は夕食を持って俺がいる部屋に来た。寮の食堂で一人で食べるのは味気ないからと、俺と二人で食べるためにわざわざ運んできたそうだ。ライシャ様も同じく、隣室でユーリルと食べるらしい。だが、男子寮にはグリック殿下とサイオン様がいる。これまではオルバート様と俺を合わせたこの四人で食べていたわけだが、二人は一体どうしたのだろうか、そう俺は疑問に思うも、どうも尋ねる気が起きなかった。と言うのも、昼間に二人の無事を話していたオルバート様はどこか不機嫌だったからだ。まさか、物語と同じように仲違いしてしまったのだろうか。だとしたら、特にオルバート様とグリック殿下には早急に仲直りしてもらいたい。ほぼ確実に、物語通りグリック殿下は宝具を手に入れるだろう。オルバート様が魔王化した場合、それを使われてしまえばオルバート様は助からない。グリック殿下には、それを嫌に思うほどオルバート様に好意的な感情を抱いていてもらわなくてはいけない。
相変わらず俺のベッドでくつろいでいる魔獣たちは、オルバート様が持って来た果物の盛り合わせに大喜びで集まった。汚れないようタオルを敷いたシーツの上で、思い思いに好きな果物をかじり始める。中にはオルバート様の手で食べさせてもらおうとする魔獣もおり、俺の主がどれだけ愛されているかが垣間見えた。
夕食を食べ終わり少しした頃、コン、コン、とドアがノックされた。はい、どうぞ、と俺が許可を出すと、開いたドアの向こうには、ライシャ様に付き添われてツヴァイン侯爵令嬢がいた。
「夜分にごめんなさい」
「いや、構わない」
「このような格好で申し訳ありません」
「あなたは怪我人なのよ。大人しく寝ていなさい」
この部屋には、サイドチェア以外に小さなソファーもある。しかしソファーはベッドから距離を置いているからか、オルバート様がベッドの縁に腰かけ、ライシャ様とツヴァイン侯爵令嬢がそれぞれサイドチェアに座った。俺は怪我人なので止められてしまうだろうが、ソファーをこちらに移動させるくらいはしたかった。オルバート様を椅子ではない場所に座らせるのは忍びない。
オルバート様がツーヴィア公爵令嬢について聞くと、早めに休んでいるとのことだった。魔力はほとんど回復しているが、念のために睡眠時間を長く取っているらしい。俺の甘さが招いた被害なので申し訳無く感じるが、謝ろうとするとツヴァイン侯爵令嬢に止められてしまう、ツーヴィア公爵令嬢が魔力を消費したのは自身の判断だと。むしろ、移動と着地に失敗してライシャ様に擦り傷を負わせたことを詫びられた。無論、どうにか頭を上げてもらったが。誰も彼も、あの状況では何が何でも離脱することが重要だったと分かっている。極論を言えば、俺とユーリルが大怪我を負ったのも必要な損害だった。
リュードに一つ聞きたいのだけれど、とツヴァイン侯爵令嬢は俺を見据えた。
「あのとき、どうして私を指名したの?教えた覚えはないのに、私が魔法で逃げられることを知っていたのも不思議だわ」
空色の双眸は、じっと俺の目を見詰めている。ユーリルのときと同じく、答えに窮する質問だ。だが、目覚めて以来何も考えていなかったわけではない。
「深い考えがあったわけではありません。魔法に関しては夏休み中に学びましたので、もしかしたらと思っただけです。ツーヴィア公爵令嬢をお呼びしなかったのは……事情を存じていたので……」
ライシャ様の前で口にしてもいいものか迷ったが、ライシャ様は何も言わずに話を聞いているのみだった。ツーヴィア公爵令嬢が倒れた後、それなりのことは教わったのだろうか。尤も、知らないとしてもここで出しゃばる人ではないだろう。
そう、とツヴァイン侯爵令嬢は引き下がった。どうやら納得してもらえたらしい。まさか、物語ではヒロインの親友である魔族が魔法で逃げていたからです、とは言えない。ちなみに、現実は想像よりも地味だった。俺のイメージでは、もっと空高く飛んで森を抜けていたのだが。人を浮き上がらせるには莫大な力が必要だということだろう。それに、実際は物語よりも一人多い人数での離脱だった。
──ガチャ、とノックも無くドアが開いた。
「……おや、なぜ起きているんだい?」
ぞっとするほど黒い髪、ぎらぎらと輝く橙色の虹彩。尖った耳と成人男性の割に低い身長は、ツヴァイン侯爵令嬢と同じイルナティリス出身者の特徴だ。きょとんと瞬いてみせながらも、その口元はにたにたと弧を描いている。
「……今日の昼、目が覚めました。ジャウラット教授はなぜこちらに……?」
「まさか、何も聞いていないのかい?ぼくこそが君の主治医だからだよ!」
「はい?」
予想だにしていなかった一言に、今度は俺が目を瞬く番だった。ジャウラット教授が医師でもあったとは驚きだ。しかしその思考を読んだのか、医者でもないのにその言い方はどうかと思いますよ、とオルバート様は冷たく言い放った。なるほど、ジャウラット教授の表現はあくまで比喩だということか。危うく騙されるところだった。
一歩、ジャウラット教授は部屋に踏み込んだ。瞬間、魔獣たちは我先にと窓から出ていく。そこまで上がることができない魔獣たちは、まるで逃げ場を探しているかのようにうろうろとその場で旋回している。その者たちを順に抱き上げたオルバート様は、ジャウラット教授の脇を通りすぎてドアから逃がしてやった。それを見ていた俺の脳裏には、疑問符が浮かぶ。
ベッド脇に立つと、ジャウラット教授は俺の額に触れたり脈拍を確認したりした。画板に挟んだ紙にさらさらと記録を取り、異常無し、と独り言にしては大きな声で呟く。最後に、その手は俺のうなじに伸びた。俺は反射的にそれを振り払ってしまい、一瞬だけ気まずい空気が満ちる。
「警戒しているのかい?心配せずとも、従属の呪いは第三者には解けないよ」
「ジャウラット教授!」
鋭く叫んだのは、オルバート様だ。それもそうだろう、従属の呪いはいたずらに口にしていい魔法ではない。案の定、ツヴァイン侯爵令嬢は片眉を吊り上げた。
「……ギアシュヴィール公爵令息、まさかリュードに従属の呪いを掛けているの?」
聞かれ、オルバート様は黙り込んだ。それを肯定だと受け取ったのだろう、ツヴァイン侯爵令嬢は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「従属の呪いは、家畜に施すものよ。決して人に掛けていいものじゃないわ。あなたの行為は、リュードを人以下の存在として扱っているようなものよ……!」
「違います!俺が望んだんです。当時は必要なことでしたし、今もこれで良かったと思っています」
「その認識は改めなさい。主人に忠実なのは美徳だけれど、そこまで行くと哀れよ」
「……!それでも、俺は……!」
死にたくなかった。生き残りたかった。六歳の子供は、誰かの庇護を受けなければ生きていけない。両親を殺した俺は、ギアシュヴィール公爵家に雇ってもらうしかなかった。従属の呪いは、そのために必須の条件だった。そして、俺はそれを後悔したことは一度もない。この人でなしに掛ける魔法は、オルバート様の側にいられる最善の手段だ。俺の罪の証であり、命綱であり、幸福の象徴だ。
「──哀れなのはどちらだろうね」
そう言ったのは、ジャウラット教授だった。
「ペティカ・ツヴァイン。魔族である君がそれを言うのは、きっと喜劇よりも滑稽だ」
「何ですって?」
「魔族とて、人類に同じことをしたじゃあないか。捕らえ、従属の呪いを施し、奴隷として人以下の役割を押しつけてきたはずだ。人類は魔法を恐れるあまり魔族を虐殺したが、魔族は人類を蔑視し家畜としての人生に突き落とした」
それは、歴史だ。決して覆りはしない、五十年前の人々が犯した大罪。どちらのほうがいっそう悪であるか、そういう議論は無意味だろう。人類も魔族も、それぞれが許されざる暴挙に走った。
ツヴァイン侯爵令嬢は、下唇を噛んだ。今は違うわ、と震える声で反論した。そう、今は違う。人類を奴隷として扱った魔族とツヴァイン侯爵令嬢は、祖先と子孫という関係でしかない。同じ一族であるというだけで遠い過去の罪を背負わせるのは、それこそ横暴ではないだろうか。
俺がジャウラット教授の手を振り払ったときとは比べものにならない、重々しい空気が室内を循環する。俺の話であるはずが、いつの間にか戦争という大きな話題にすり替わっている。ふと、ライシャ様の口は動いた。
「ジャウラット教授」
「何だい、ライシャ・ファイアン?」
「確かに、歴史は忘れてはならないと思います。ですが、それは罪悪感を抱き口をつぐむためではなく、罪を繰り返さないよう声を上げるためではないでしょうか?」
ライシャ様は、そう静かに尋ねた。その表情は真剣だ。この状況を打ち壊すためではなく、この議論と向き合うために話している。ある意味ライシャ様は蚊帳の外だというのに、舞台にしっかりと足を着けて立っている。その明るい赤紫色の瞳は、ジャウラット教授を真っ直ぐに捉えていた。
「私は、オルバートが間違っているともペティカが身の程知らずだとも思いません。時代は移り変わっていきます。従属の呪いについても、必ずしも悪いものではないというのは今回証明されたはずです」
俺は内心で首をかしげた。証明された、とはどういう意味だろうか。今回の騒動で、従属の呪いが何か重要な務めを果たしたのだろうか。ツヴァイン侯爵令嬢も把握していないのか、疑問を湛えた目でライシャ様を見ている。
ふ、とジャウラット教授は笑った。自嘲するようでもあり、ライシャ様を馬鹿にするような笑みでもあった。一理ある、と鷹揚な言動に戻って言う。
「少々言葉が過ぎたようだ。許してくれるかい、お嬢様?」
「謝罪は不要です。ただ、不用意な発言は控えていただけると助かります」
「肝に銘じよう」
ライシャ様はにっこりと笑った。恐らく、オルバート様をはめたことに怒っていたのだろう。ジャウラット教授がツヴァイン侯爵令嬢の前で従属の呪いを話題に出したから、オルバート様は甘んじて非難を受けるしかなくなってしまった。もちろん、ツヴァイン侯爵令嬢は何も悪くない。あの意見は至極真っ当なものであり、倫理に則っている。ただ、俺の特異な境遇には合わなかったというだけ。だが、ジャウラット教授の発言が無ければこのような事態は起こらなかったし、その発言をするべきは今ではなかった。
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