第37話 十八歳⑫

 暑い、そう思って目を開くと、白い日光が目に差した。反射でぎゅっと目を瞑り、もぞもぞとシーツの中に潜り込んでしまう。ところが、シーツが何かで押さえられているのか上手くいかない。ぐい、と力強く引っ張ると、ずり、と温かい何かが俺の背に当たった。しかも、ぺちょ、と顔面にしっとりとした感触。再び目を開けると、桃色の生々しい質感が広がっていた。

 俺は渋々両腕を取り出し、それを引き離してみる。寝起きのぼんやりとした視界の中、ぬぼー、としたチャルキャルの顔が俺とにらめっこをした。ウーパールーパーを小型犬サイズまで大きくしたような魔獣だが、頭部の突起物が少々気色悪い。べろん、と短い舌で舐めてきたので、俺はのけぞった。ところが、背後の何かに阻まれてしまう。今度は何だ、と腕を後ろ手に伸ばすと、もこもことした毛の塊に指が沈んだ。柔らかい。その懐かしい感触に、ギアシュヴィール公爵邸に住み着いているフラウムを思い出した。オルバート様が幼い頃から、その足下をうろちょろと動き回ったり一緒に寝たりしている魔獣。シャシェーという種の特徴である、瑠璃色のつぶらな瞳と毛に埋もれるほど短い足がなんとも愛らしかった。──帰りたい、とても。


「う……」

「──起きた!起きた!」

「!」


 驚いた。心臓が止まるかと思った。にじんだ涙も一瞬で乾き、シーツからばっと顔を出す。瞬間、ベッドで横になっている自分の周りをたくさんの魔獣が取り囲んでいることに気づいた。ダックスフンドに似た魔獣や白いカラスのような魔獣など、どの個体もヴァルド学院で見たことがある。オルバート様と仲良くしていた者ばかりだ。キュウ、とか、ガウ、とか、一斉に鳴き始めて少し喧しい。と言うか、一部の魔獣のせいでシーツの端がぐっしょりと濡れたりびりびりに裂かれたりしている。ここがどこかは知らないが、弁償を課されるのは俺ではないだろうか。全くもってとんだとばっちりだ。


 何で、と声を出そうとして、俺は咳き込んだ。サイドテーブルに水差しが置いてあるのを見つけたので、コップに注いで飲み干す。窓から吹き込む風が心地好い。はぁ、と息を吐くと、ようやく己の状態を思い出し始めることに成功した。


「──リュード!!」

「!」


 びくっ、と体が跳ねたのは許してほしい、ノックの一つも無くドアが開け放たれたのだから。息も絶え絶えに姿を現したオルバート様は、ヴァルド学院の制服にその身を包んでいた。傍らにはコージュリアが数体飛んでいる。恐らく、俺が目覚めたことを知らせてくれたのだろう。授業中、という文字列が俺の脳裏に浮かぶが、口にするよりも早くオルバート様に抱き締められた。


「このまま目覚めないかと思った……!」

「……す、みませ、ん」

「いや、俺が……リュードは怪我をしてると知ってたのに、あんな無茶をさせたから……!」

「違います!俺が上手くできなかっただけです。オルバート様は何も悪くありません。俺がもっとちゃんとしてたらユーリルも……ユーリルは無事ですか!?」

「ああ、生きてる。骨折はしたが、お前ほどじゃない」


 教えられ、俺は安堵の息を吐いた。骨が折れたのは、木に叩きつけられたあのタイミングだろう。とすると、その後のユーリルはかなり無理をしていたことになる。打ち身と骨折を負った状態で、よくあそこまで機敏に動けたものだ。おかげでオルバート様が助かったのだから、同僚がユーリルで本当に良かった。


 体を離したオルバート様は、俺の髪を耳に掛けて顔を出させた。いつの間にか随分と伸び、下ろしていると鎖骨に着くくらいの長さがある。オルバート様の双眸には心配がにじんでおり、涙目だ。


「今日が何日か分かるか?」

「え?……いえ……」

「野外研修の日から、十日が経った」

「……えっ。と言うことは、俺はずっと……?」


 途中で何度か起きていたが、とオルバート様は頷いた。曰く、水を飲ませてもらい次第再び眠る、を繰り返していたと言う。その割には体の衰えがあまり感じられないが、適度に水分補給をしていたからだろうか。両手を開いたり閉じたりしてみたところ、問題無く力を込められた。


 ふと、ドアがノックされた。俺が返事をすると、入ってきたのはライシャ様だった。やはり制服姿で、後ろにはギアシュヴィール公爵家の騎士を伴っている。俺とユーリルが動けない間の代役だろう。当然オルバート様にも付いているはずだが、まさか置いてきてしまったのだろうか。


「リュード……!もう大丈夫なの?どこか痛いところは無い?」

「はい、大丈夫です。ご迷惑をお掛けして……」

「迷惑じゃないよ!リュードも助かって良かった……」


 ライシャ様はその明るい瞳をくしゃりと歪ませ、涙をぽろぽろと流した。ベッドに座っているオルバート様の隣に腰を下ろし、俺の手を己のそれで優しく包む。俺はどうしたらいいか分からず、おろおろとオルバート様を見た。すると、オルバート様は苦笑して俺の頭を撫でる。いや、俺はライシャ様を泣き止ませてくれることを期待したのだが。いたたまれず、ただ黙って二人の気が済むのを待つ。


 ライシャ様が泣き止んだところで、俺は残りの人々の安否を尋ねた。二人の話によると、グリック殿下とサイオン様はかすり傷だけで済み、ユーリルはまだ十分に動けないので隣室で療養中。ちなみに、俺とユーリルに用意されたこの場所は学院の保健室ということだった。ただし、本来は学生のうちでもやんごとなき貴族子女が休むための個室らしい。平民である俺とユーリルは、オルバート様の口添えで特別に使わせてもらえているとのことだ。できる限り早く快復して退去しようと思う。

 ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢は、ライシャ様と共に無事に脱出したものの魔力の消耗が激しく、当時はそのまま気を失ってしまっていたと言う。特に、魔力の回復機能に障害を持っているツーヴィア公爵令嬢は、一時深刻な容態に陥ったらしい。二人共、現在は復帰し平常の学院生活を送っているそうだ。ライシャ様を守るために仕方無かったとは言え、俺の考えは甘かったのだろう。


「他に気になることはあるか?」

「……いえ、今のところは大丈夫です。あの、今からユーリルに会うことはできますか?」

「ああ。動けそうか?」

「は……」


 床の上に立とうとして、俺の膝は呆気なく曲がった。危うく転びそうになったところをオルバート様とライシャ様に支えられ、事なきを得る。すみません、とわずかな羞恥心を感じながら俺が謝れば、気をつけて、とライシャ様に心配されてしまった。どうにか重心を取り直し、部屋を出て隣のドアの前に立つ。

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