第34話 十八歳⑨

 オルバート様は二年生になった。すでに進級式と履修登録は済み、平時の学院生活は始まっている。ライシャ様とは相変わらず仲睦まじく、グリック殿下とも親しい間柄を継続している。しかし、俺にとっては予想外の展開になった。──この春、ヒロインは編入していない。

 あえて言うなら、ありえない、だ。なぜなら、この世界は物語をたどっているはずなのだ、最重要人物であるヒロインが欠けては世界が成り立たない。言うまでもなく、俺はできる限り探した。ヒロインの名前は覚えていたから、編入予定の学生でないか教員に尋ねた。ところが、誰一人としてその存在を知らなかった。ヒロインがいないこの世界は、物語のシナリオからかけ離れている。これでオルバート様の破滅的な未来を回避できたと安心するほど、俺は能天気な性格をしていない。むしろ、未来が俺の手から離れたことに危機感を覚えている。歯がゆいことに、オルバート様の魔王化を阻止する手段を見失ってしまった。


 そのうえ、予想外の出来事はもう一つある。三年生の春に行われるはずの野外研修が、よりによって今年度から二年生の春に繰り下げられた件だ。


 ザクッ、と枝を切り落とすと、ユーリルは探るように俺を見詰めた。明け方の薄暗い森では、その薄紫色の虹彩も恐ろしく見える。


「先輩、こういう場所は苦手ですか?」

「何で?」

「緊張してますよね?」

「……少しだけ」


 尤も、それは森が苦手だからではないが。


 現在、俺はユーリルと共に学院の裏の森を下調べしている。と言うのも、いよいよ今日の昼過ぎが問題の野外研修の日だからだ。自然を身をもって体感し理解するという授業目標のため、学生たちはここを歩きながらグループワークをこなさなくてはならない。一応道はあるが、進行を阻む枝や地面のくぼみがそこかしこにある。今の俺とユーリルは、事前に探索ルートを知ったうえで色々と手を入れている最中だ。オルバート様もライシャ様も、荒々しい道を歩くことは慣れていないだろう。


「明日は私が前を歩きます。先輩は、後ろでライシャ様をお願いします」

「了解」


 オルバート様とライシャ様、そしてその付き人である俺とユーリルは当然同じグループだとして、他のメンバーにはグリック殿下、サイオン様、ルツィア様、ペティカ様がいる。一グループ八人までという人数制限ぎりぎりであるうえ、うちは近衛騎士も追加されるのでそれなりの大所帯だ。しかし、これは仕方無いことでもある。安全が保証されているとは言え、森という特異な環境で第二王子に何かあったらと考えれば一緒になりたくないし、魔獣や魔族に寛容な貴族子女が集まるのがこの学院であるものの、実際にルツィア様やペティカ様と仲良くするには勇気がいる。オルバート様とライシャ様という上位貴族がその役を買って出ているのなら、どうぞ、どうぞ、というのが他の学生の本音だろう。これが王都の学校であればグリック殿下に人が集まる気もするが、ヴァルド学院にそれほど自信過剰な貴族子女はほとんどいない。


 それにしても、野外研修が繰り下がった原因は何だろうか。この場合は学院の都合ではなく、この世界のからくりという意味での疑問だ。いや、落ち着いて整理してみれば、ライシャ様が無事である時点でオルバート様が魔王化する要因は消えただろう。グリック殿下がライシャ様を横取りすれば話は別だが、ライシャ様はオルバート様を絶対に裏切らない。それは感情としてそう言える部分もあるし、実質的にファイアン公爵家と絶縁してしまっているライシャ様は、オルバート様を捨ててギアシュヴィール公爵家から追い出されるわけにはいかないという理屈でもある。長年の婚約関係を手前勝手に解消した人物を王家がすぐさま庇護するわけがないのだ、その選択肢は自ら路頭に迷いたがっているようなものだ。


 物語における野外研修は、オルバート様とグリック殿下の決別のエピソードに相当する。森の奥深く、オルバート様たちは巨大な化け物と遭遇する。その正体は、未確認の魔獣だ。攻撃的なそれはヒロインに重症を負わせ、オルバート様の名前を呼ぶ。全員が命からがら逃げきることに成功するが、グリック殿下はこの騒動の要因をオルバート様だと断定し、ヒロインはオルバート様を畏怖の対象として避けるようになる。友人と片思いの相手から疎まれたオルバート様は、ヒロインと出会う以前のように心を閉ざし、魔力の暴走という闇に蝕まれていく。グリック殿下とヒロインの恋愛関係の発展に耐えられないオルバート様は、ついには卒業式で魔王と化し、魔獣を率いて世界の破滅を目指す。ところが、ヒロインの説得により魔法が使える人類や魔族である学生たちが魔獣たちと戦い、グリック殿下が宝具でオルバート様にとどめを刺す。オルバート様は消滅という死を迎え、物語はハッピーエンドだ。


「……先輩。先輩」

「……え、あ、何?」

「折り返し地点です。戻りますよ」

「あぁ、うん」


 気づくと、俺は森の奥の開けた場所にたどり着いていた。学生たちは歩きながら書くレポートと同時に、この辺りの木の枝に結びつけられているハンカチを持ち帰ることが課せられている。ここまでの所要時間は、休憩時間を加味して二十分ほどだろうか。大した距離ではないし、メンバーは真面目な人ばかりなので問題無いだろう。道もそこそこ分かりやすいから、俺とユーリルが注意しておけば迷子も出なさそうだ。近衛騎士は多少の懸念事項だが、俺たちははぐれたとしても難無く脱出できる。


 果たして、化け物は出るだろうか。もしそうなったとき、俺はどうするべきだろうか。無論、オルバート様とライシャ様は何を犠牲にしてでも守る。だが、化け物はあくまで魔獣だ。それにも関わらず殺すのは、オルバート様の友を殺すというのと同義ではないのか。しかし、オルバート様の名前が呼ばれる以上、化け物が未知の生物だと言い張ることは難しい。いや、そもそも化け物の目的は何だろうか。化け物は、なぜオルバート様たちを襲うのだろうか。物語では魔獣の突然変異による凶暴化だとして片づけられていた気がするが、もっと具体的な理由があるのではないか。そう、例えば、この世界でジャウラット教授が特異な人であるように。

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