第30話 十八歳⑤

 ある日の真夜中。ツーヴィア公爵邸の、ある一室に俺はいた。ランプを掲げ、埃よけのカバーが掛けられたソファーや姿見を照らす。数年前から住人がいない割りには清潔に保たれていることから、婚約解消とは別に帰りを望まれているのだろう。三年前に失踪したロディヴィー・ツヴァインは、将来の入婿として周囲に好かれていたようだ。


「それにしても、ルツィア様は家族に大事にされてるんですね。公爵位を継ぐわけでもないのに、婿を取って実家に残る予定なんでしょう?」


 俺と一緒に侵入しているユーリルは、引き出しを下から順に開けながら言った。完全に空き巣の手口だ。無論、全て見終わったら今度は上から閉めていったが。

 羨ましいのか、と俺が聞けば、さぁ、と返ってくる。俺と同じで、ユーリルも分かっているのだろう。よその家族を妬んでも仕方無い。俺たちは殺し合う家庭に生まれた。そうでなくては今の自分たちは生まれなかったし、そうだからこそ今の俺たちは生きている。


「……家族が憎いって思ったこと、ある?」

「ないですね。先輩はあるんですか?」

「ない」


 母さんは俺を生かすために犠牲になってくれたし、父さんは俺が生きるための術を教えてくれた。感謝こそすれ、憎悪など抱く余地は無い。俺は、あの家庭で生まれ変わったことを後悔していない。


 引き続き、俺とユーリルは他人の部屋をがさごそと漁る。リビングを見終わったら衣装部屋と寝室に別れ、それぞれ隈無く目的の物を探す。見つけたいのは、ツヴァイン侯爵令息の手書きの文字が記載された書類や手帳だ。もし発見できたなら、ジャウラット教授が持っている日誌と筆跡を見比べるのに使いたかった。しかし、これがなかなか見つからない。恐らく、ヴァルド学院に持っていくか処分するかしてしまったのだろう。大掃除にちょうどいいと考えたのか、元より帰ってこないつもりだったのか。そうこうしているうちに、隅から隅まで探し終わってしまった。


 部屋が元通りになっていることをしっかりと認めたところで、ユーリルは不思議そうに口を開く。


「シドラ・ジャウラットがロディヴィー・ツヴァインだって、本気で考えてますか?」


 俺は少し考え直し、多分そうだと思う、とやはり首を縦に振った。


 最初に感じたのは、違和感だった。いや、既視感と言うべきだろう。ツヴァイン侯爵令息の肖像画を目の前にした際、どこかで見たことがある顔立ちだと思った。次に引っかかったのは、ツーヴィア公爵令嬢の身の上話だ。ツヴァイン公爵令息は、魔獣を研究することで魔力病の治療法を見つけようとしたと考えられる。俺が日誌を読んだ限り、ジャウラット教授も魔獣に関連した研究を行っている可能性が高い。加えて、ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢を避けたという点。ジャウラット教授が二人を拒絶したのは、それぞれの名前を耳にしてからだった。以降、二人と目を合わせもしない。それほど徹底的に接触を断っているのは、ジャウラット教授が二人と何らかの確執を持っているからではないか。

 もちろん、ここまではただの妄想だ。この仮説には穴が多く存在している。戦争の終わらせ方についての話が本気だとすると、ジャウラット教授の目的は魔力病の治療ではない。また、ジャウラット教授は三年以上前からヴァルド学院で教鞭を執っている。これは入学前の下調べで得た情報だ。三年以上前のツヴァイン侯爵令息は留学生だったので、研究はしていても教員としての活動はしていないはずだ。

 今回手紙や日記の類いを探したのは、この仮説に信憑性を持たせるためだった。もし一致するなら、ジャウラット教授とツヴァイン侯爵令息が同一人物である可能性はぐっと高まる。実際は見つかっていないのだから、諦めざるを得ないが。


「正体を突き止めたとして、どうするんですか?ルツィア様とペティカ様に言う気はないんでしょう?」

「うん。でも、知らないよりは知ってたほうが優位に立てるだろ?」

「脅すつもりですか?」

「必要であれば」


 俺の推測が正しいとすると、ジャウラット教授はその名を明かされることを望んでいない。つまり、俺は秘匿を条件にオルバート様から手を引かせるか、オルバート様が魔王化した場合に援助させることが可能だ。ジャウラット教授は保険とは言え、打てる手は確保しておきたい。


 廊下へ続くドアをほんの少しだけ開け、付近に人の気配が無いと確信できてから、俺とユーリルは外に出た。音を立てないよう細心の注意を払い、その場から離れる。長い直線の廊下を進み、曲がり角へ。──曲がって数メートル先、少女が現れた。


「……!」


 即座に片足を後ろへ運び、壁際に身を隠す。しかしすでにその視界に捉えていたのだろう、ひたひたと少女は歩み寄ってきた。ここは長い直線の廊下だ、隠れる場所は無い。どうする、と俺はユーリルに目で尋ねた。すると、ユーリルは頭の動きで前進を示した。素直に発見されてから言い訳でやり過ごせという意見だろう。反論を出せない俺は、観念した素振りで姿を現した。 


 果たして、その少女はツヴァイン侯爵令嬢だった。


「……リュードにユーリルじゃない」

「驚かせてしまい申し訳ありません」


 ツヴァイン侯爵令嬢は、ランプで俺とユーリルの顔を照らすとほっとした。こちらとしては、ツヴァイン侯爵令嬢のほうが幽霊染みており恐ろしいのだが。白銀の髪に薄紫のストール、白のワンピースなど、暗い場所でぼんやりと浮かび上がる様が怖い。ただ、少なくとも友好的な相手であることは確かだ。これなら、それらしい言い訳をすれば疑心を抱かせずにこの場を切り抜けられる。

 夜更けにどうしたのかと俺が問うと、寝られないから散歩していたのだとツヴァイン侯爵令嬢は答えた。当然、俺にも同じ問いが投げかけられる。


「まさか……デート?」

「違います」

「それはないです」

「……冗談よ」


 心なしかユーリルの語気が強かった気がしないでもないが、触れないでおこう。ツヴァイン侯爵令嬢が冗談を言うとは意外だ。ユーリルは驚いていないから、気を許した相手にはこうなのかもしれない。出会ってすぐの頃、ツーヴィア公爵令嬢がおどけた際もじゃれ合うような返しをしていた。見かけによらず、お茶目な面もあるのだろうか。


 はぁ、とツヴァイン侯爵令嬢は息を吐いた。──す、とその双眸は細まる。


「兄様の部屋に行ったの?」


 どくん、と俺の心臓は強く脈打った。


「なぜでしょうか?」

「ルツィアから兄様の話を聞いたんでしょう?それに、この先には兄様の部屋しか無いもの」


 怒らないわよ、とツヴァイン侯爵令嬢は溜め息混じりに保証した、理由は聞きたいけれど、と補足するのも忘れずに。俺はユーリルと顔を見合わせ、数秒の間を作り出す。正直に吐いちゃいましょう、とユーリルが言うので、その友人の目を信じて俺は降参することにした。


「無断にも関わらず、申し訳ありませんでした。少々気になることがありましたので、お部屋を拝見しました」

「その内容は?」

「……根拠に乏しいので、あまり口に出すべきではないかと」

「それでも構わないわよ。ここは寒いから、場所を移しましょう」

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