第23話 十七歳⑭
これは、夏休みが始まって少しした頃の出来事だ。
「魔法に興味があったのか?」
「興味と言うか……そろそろ俺も学ぶべきかと思ったので」
昼過ぎ。オルバート様の自室で、俺はおずおずと頷いた。ソファーに座って紅茶を飲んでいたオルバート様は、きょとんとして俺を見上げている。確かに、我ながら急な話だ。
五月末、魔法学者であるジャウラット教授は俺にある謎を与えた。それは、透明化の魔法。体を透明にできる、つまり姿を視認させないようにできるのは、魔獣だけのはずだ。魔獣のうちには透明化できない個体もいるので、一種の魔法だろうと人の間では考えられているらしい。ジャウラット教授はなぜそれが可能なのだろうか。もしオルバート様もこの技術を習得できたら、魔王化した場合の逃亡が容易になる。
オルバート様の情報と引き換えに種明かしすると言われたが、まだそこまで切羽詰まってはいない。所詮は保険だ。ライシャ様をグリック殿下に渡さずオルバート様の心を守れば、ジャウラット教授の誘いに乗る必要はない。
また、俺はもう一つ知りたいことがある。
「初歩的なことでいいなら、俺が教えよう」
「いいんですか?ありがとうございます」
非常に助かる。実は、ギアシュヴィール公爵邸に帰ってすぐ書庫を訪れたのだが、見つけた本を私室に借りていこうとしたら司書に渋い顔をされたのだ。ライシャ様のおかげでむやみやたらな敵意が向けられなくなったとは言え、一歩踏み込んだ行動はやはり敬遠されるようだ。オルバート様の母君を殺したのだから、特に古株の使用人は俺を恐れ、忌み嫌っているだろう。俺は夜中くらいしか空き時間が無いので、借りられないなら学ぶことはできない。オルバート様に相談してみて良かった。
ちなみに、物語において魔法はほとんど説明されていない。何せヒロインが魔力を持たないので、魔法学の授業を受けていない。ヒロインが経験しないことは、基本的に描写されない作風だった。
実践形式のほうが分かりやすいだろうとのことで、オルバート様は騎士の練兵場に移動した。砂の平地の中央では騎士が訓練しているので、屋敷に近いほうの隅を間借りする。道中で会ったライシャ様とユーリルも一緒だ。日陰を作るためにパラソルを設置したので、一見すると寂しいピクニックをしている風にも思える。
「魔法の定義は、魔力をもって自然に介入すること、だ。この辺りを見ててくれ」
しゃがんだオルバート様は、砂地の上に右手をかざした。すると、その下の砂がさらさらとひとりでに動き始める。俺がびっくりとしている間に、砂はこんもりと山の形に盛り上がっていく。オルバート様が右手を離したとき、砂がもとあった場所には浅いくぼみができていた。
「今の魔法では、砂に魔力を絡ませ、粒の向きや空気の流れを変えて砂を動かした。魔力を強くすればもっと大胆なこともできる」
かつての戦争では土の槍が地面から生えたらしい、とオルバート様は神妙な顔つきで補足した。なるほど、前世でよくあった魔法の使用方法も知られているのか。ただし、人類は持ちえる魔力が弱いので、そのような魔法はまず使えないそうだ。
「水を出すとかはできないんですか?」
「リュードは不思議なことを言うんだな。何も無い場所から水が出るわけがないだろう」
オルバート様は怪訝そうに一蹴した。言われてみればそうだ。この世界の魔法は、一応自然の摂理に則った体を保っているらしい。尤も、魔法という現象自体、俺からすれば奇っ怪だが。今まで学ぼうとしなかった理由には、俺には関係ないという傍観者の心もあるだろう。暗殺術は実際に使えてしまうので早々に納得したが、魔法はどう頑張っても使えないだろうから現実味が湧かない。前世の固定観念で下手なことを口走ってしまわないよう、発言には細心の注意を払ったほうがいいだろう。
「個人によって、得意な魔法とかはあるんですか?」
「そうだな。火を動かすのが得意な者もいれば、風を起こすのが得意な者もいる。あとは、動かし方が大雑把だったり、同時に別の魔法を起こせたり、といったところか」
「オルバートは何が得意なの?」
「俺は一通りできる。……ユーリル、あそこから水を持ってきてくれ」
「了解です」
ユーリルは桶に水をたっぷりと張って戻ってきた。オルバート様はそれに右手をかざし、数秒待つ。そして右手がふわりと上がると同時に、水はリボン状に水面から伸び上がった。
「わぁ!きれい!」
立ち上がったオルバート様がくるくると回れば、その右手に導かれるようにして水もくるくると回る。まさしく、リボンを流麗に操るバレリーナだ。最後に大きく旋回し、水は桶へと帰っていった。
「……まぁ、全部をきれいにできるわけじゃないんだが……」
地面は多少湿っていた。よく見れば、桶に入っている水のかさも当初より減っている。砂のときは粒に魔力を絡ませると言っていたから、前世でかじった知識でそれっぽく推察するに、粒子レベルで水に魔力を組み込んでいるのだろうか。加えて、空気の流れを操作することで水の通り道を作り、あたかも水がひとりでに浮き上がっているかのように見せているのだろう。前世で必ずと言っていいほど設定されていた、属性という概念は無いようだ。一見は一つの魔法でも、細かく見ると複数の現象が関わり合って実行されているからかもしれない。
「それでもすごいよ!触らないで水を動かすなんて、私には無理だもの、憧れる」
「ありがとう」
ライシャ様から憧憬の目を向けられて、オルバート様は照れ臭そうにはにかんだ。かわいい。
オルバート様の水撒きのおかげで、気温が多少下がった気がする。前世のフィクションと比べると微妙な使い勝手だが、生活の何気無い場面には有用だと感じる。野営で火の番をするときであれば、魔法を使って火を強く保つことが可能だろう。十分な魔力とセンスがある人は、空を飛ぶこともできるかもしれない。
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