第12話 十七歳③
カツンッ、カコンッ、と木剣の衝撃を受け流しつつ、相手の重心を少しずつ右へ寄せさせる。その間俺は後退しているわけだが、先生の視界から外れるわけにはいかないから、ぐるっと円環状に移動していく点にも配慮する。もう一押し、と歯がゆさを覚えているときの行動は単純化されるもので、相手の打ち込みはますます単調化している。その体が十分に傾いたところで、俺は視線もやらずに相手の足をさっと払った。驚いた声と共に、ドサッ、と相手の手が地面に付く。
「そこまで!」
「ありがとうございました」
俺が一礼して右手を差し出しても、試合相手は悔しそうな目つきをして自力で立ち上がった。生まれに過剰な誇りを持っているタイプだから、使用人で平民の俺に、しかも剣の技術ではなく小細工で負かされたことに納得できないのだろう。だからと言って、俺は何も感じないが。
俺は剣技の授業が苦手だ。引退した騎士に習う技術は、芸術的な美しさが意識された型にはまったもの。剣を構え、突進し、正面突破で敵をなぎ払うという真面目な戦闘スタイル。無論、それが悪いことだとは思わない。理屈的には誰にでも分かる剣技で勝利する猛者は、正真正銘の最強だと言えるだろう。だが、生まれた瞬間から教え込まされた「癖」はどうしても学習の邪魔をする。俺が用いるのはいわゆる暗殺術なので、開けっぴろげな騎士の剣術とは対極の能力が身に着いてしまっている。成績のためにそれらしい構えはしているものの、手の内をさらしているような感覚がして恐怖心が指先をかすめる。少し悲しい気分になるが、俺は確実にオルバート様の騎士ではない。
現在、オルバート様は護衛騎士を持っていない。確か家族での食卓でそのような話が出たときも、そうですね、と曖昧な返事をしていた。その後旦那様ときちんと話し合った結果が今の状態なのだろうが、一体、なぜオルバート様は騎士を側に付けないのだろうか。もちろん俺は命を懸けて守る覚悟でいるものの、それはそれとして本職の護衛は欲しい。なお、ライシャ様にはきちんと付いている。婚約者の身を守る者たちということで、その選考にはオルバート様も関わっていた。今度、それとなく進言してみようか。
「リュードは負け無しだな。俺も誇らしい」
「いえ、きちんと勝ってるわけではないので……」
「それでも、勝ちは勝ちだろう」
見学者の中に戻ると、オルバート様とグリック殿下が褒めてくれた。負い目を感じるが、オルバート様に認められて嬉しくないわけはない。稽古に付き合ってくれるユーリルに感謝した瞬間だった。
オルバート様とグリック殿下は正統な教育を受けてきたので、他の学生を当然のように負かしている。二人共洗練された動きである一方、オルバート様は無駄を極力省いた動作、グリック殿下は力強い剣使いをする。どちらも異なる見応えがあり、試合中は感嘆の声が何度も上がるほどだ。ちなみに、サイオン様は剣技の授業を選択していない。そもそも、貴族の子弟だからと言ってこの科目を受ける学生はそこまでいない。現場で戦うのはあくまで騎士や兵士であり、貴族は精々後方で指揮を取るくらいだからだ。ここにいるのは、騎士の家系や護衛として入学した者が多い。
――突如、きゃあ、と別の場所で黄色い声が沸いた。十数メートル離れたそちらに目を向ければ、護身術の授業が催されている。女子学生ばかりの人混みの隙間から見えた限り、ユーリルが教師を地面に背中から寝かせたところだ。顔面同士の距離が非常に近い。あたかも前世の白雪姫と王子のような情景に、大体の予想が付いてしまった。大方、ユーリルが悪漢役として教師を襲い、現実であれば無造作に叩きつけるところをそっと下ろしたのだろう。もしその動きがあまりに素早く滑らかだったなら、まるで演劇の一場面かのように見えたはずだ。と言うか、あれはもはや護身術の実演ではない、実情の再現だろう。学生のやる気を削ぐような真似をしては本末転倒だ。
「ユーリルは人気者だな」
「そうだな。オルバートとファイアンが重用しているのもあるだろう。使用人の中でも、ユーリルとリュードは格が違う」
「私もですか?」
俺が驚くと、グリック殿下はいたずらっぽい微笑みを見せた。チッチッチ、と人差し指を振りそうな雰囲気だ。
「お前もユーリルのように自覚したほうがいい。たとえどのような過去があろうと、周囲が見るのは表面的な部分だ。オルバートが特別扱いしているお前もまた、少なくともこの学院では特別だということを忘れるな」
「……肝に銘じます」
友人の周辺人物を調べていないはずがない。そうかもしれないと思っていた通り、グリック殿下は俺の生まれやギアシュヴィール公爵家に雇われた経緯を把握している。それでも近い付き合いをしてくれるのは、ある程度俺を信用しているからだろう。いや、俺を信頼しているオルバート様を信じているのか。
グリック殿下の周りには、常に近衛騎士が待機している。教室内に二人、廊下に四人という手厚い警備だ。もしかしたら、俺とユーリルへの警戒込みでの人数かもしれない。今後、紛らわしい行動は控えよう。
授業が終わると、オルバート様の周りに魔獣が一斉に集まった。その中には今朝話していたヴォルケもおり、楽しかったか、とオルバート様が抱き上げると肯定するように鳴いた。入学した後、魔獣の加護を持つ人は他にも観察できたが、これほど触れ合っている様子はなかった。どうやら、オルバート様は特別魔獣に好かれる体質らしい。それが魔王化の適性かと思うと、俺の心には誰にも言えない憂鬱が生まれる。オルバート様の運命が、物語通りの破滅へと一直線である気がしてならない。
それから、数時間後。昼食のためにオルバート様が食堂に行くと、今朝のメンバーはすでにテーブルを確保して待っていた。向かい合って左から一列に、グリック殿下、一つ空けてライシャ様、サイオン様。対辺に回ってサイオン様の向かいから一列に、一つ空けてユーリル、ツヴァイン侯爵令嬢、ツーヴィア公爵令嬢。オルバート様はライシャ様の、俺はユーリルの右隣に座った。果たして伯爵令息と向かい合って大丈夫かは不安だが、嫌がる気配はないので気にしないことにする。全員が揃うと給仕が注文を取り、厨房へと伝えにいった。入学前の俺はそれを後ろから見守る立場だったので、食事をする側の扱いを受けるのはどこか気恥ずかしい。
「ツーヴィア、一週間経ってみて、我が国での暮らしはどうだ?」
「とても過ごしやすい気候だわ。イルナティリスは一年中寒いから、こんなに薄着でいられるのが夢みたい」
「そちらではどのくらい雪が降るの?」
「夏以外はほぼ毎日よ」
ツヴァイン侯爵令嬢の答えに、ライシャ様は素直な驚きを表した。サンダスフィー王国は大陸の中央に位置するが、イルナティリスは山脈を挟んでその北にあるので、季節風の影響がまるで異なる。前者では四季を活かした二毛作が主流である一方、後者では寒冷な気候のため畜産業が盛んだ。文化という非常に大きな枠組みにおいて、互いに無いものねだりになる部分も少なくないと聞く。ツーヴィア公爵令嬢とツヴァイン侯爵令嬢にとって、これから来るサンダスフィー王国の夏は暑いくらいかもしれない。
ライシャ様はイルナティリスに興味津々なようだ。あれやこれやと疑問を呈しては、返される答えに目を輝かせている。その様子を見守るオルバート様が、会話に参加しつつも愛おしげな目をしているのは言わずもがなだ。そうして両国間の相違点について話を弾ませていると、給仕がワゴンを押して現れた。トマトソースの酸味や焼き魚の香ばしい匂いが空腹を刺激する。
食事の傍ら話題が一段落したところで、今度はオルバート様が口を開いた。
「二人が留学にヴァルド学院を選んだのは、魔獣のことがあるからか?」
「いいえ」
「違うのか?」
ツーヴィア公爵令嬢の返答は、この場にいるほぼ全員にとって予想外だっただろう。ユーリルは舌鼓を打つことに夢中になっているが、俺とて否定されたことに驚いた。歴史と伝統だけを拠り所とする現代のヴァルド学院に、魔獣や魔法以外の外交的な魅力は皆無だ。では、ツーヴィア公爵令嬢はなぜこうもはっきりと首を横に振ったのだろうか。そこには強い思惑が含まれている気がする。
「私たちがこの学院を選んだのは、人探しのためなの」
「人探し?……差し支えなければ、どのような方なのか教えてもらえるだろうか?」
「ルツィアの元婚約者です。そして、私の兄でもあります」
「その人がヴァルド学院にいると?」
「分かりません、最後に目撃されたのがこちらというだけですので」
「名前を聞いても?」
「ロディヴィー・ツヴァインといいます」
尋ねたグリック殿下が各々を見回すと、誰も彼もが首をかしげた。ロディヴィー・ツヴァインという人物の情報は聞いたことがない。貴族とは別のコミュニティーを持っているだろうユーリルも、その名前には覚えがないようだ。
聞くに、ツヴァイン侯爵令息が失踪したのは三年前のことだそうだ。当時の年齢は十七歳。ヴァルド学院に留学し、卒業後からその行方が分からなくなった。故郷に帰らず、実家に電報も寄越さず、文字通りどこかへ消えてしまった。当然、ツーヴィア公爵令嬢との婚約は失踪から二年後に解消。白銀の髪と空色の瞳を持つ、妹であるツヴァイン侯爵令嬢とよく似た容姿をしているらしい。性格は穏やかで大人びている一方、魔法学のことになると寝食を忘れて没頭する面もあると言う。それでも一人で元気に生きていると考え、捜索者の二人はわざわざヴァルド学院までやってきたそうだ。
「そう簡単に見つけられるとは思っていないの。この国に来たのは、ペティカのお婿さん候補を見つけるためでもあるのだし」
「ちょっと!ルツィアが婚約し直してから考えるって言っているでしょう?それに、私はイルナティリスから出る気はないのよ」
「そうなの?」
「そうなんです」
ふん、とツヴァイン侯爵令嬢はいじけた素振りでフォークを突き刺した。その様子からは、主としても友人としてもツーヴィア公爵令嬢を慕っているのが感じられる。クールな人かと思ったが、意外に感情的な部分もあるようだ。その新たな友人であるライシャ様は、くすくすと控えめに笑っている。当人たちが気を遣ったおかげで、重い空気は早々と霧散していった。
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