第2話 十二歳②

 昼を迎える頃、坊ちゃまの部屋には色とりどりの魔獣が集まった。今朝もいたフラウムと、前世で言う妖精に近い外見を持つコージュリアが三体。発される小さなざわめきは、どれもこれも坊ちゃまを心配してのもの。淡い日光が差し込む空間で、坊ちゃまは友たちを安心させようと笑いかける。


「いつも通り、あることないこと言われるだけだ、そう心配しなくていい」

「ライシャ、来ない。悲しい」

「それでも行かないといけない。頼むから、何もしないで待っててくれ」

「守る」

「ありがとう。程々に頼む」


 片言だが、コージュリアは人類や魔族が理解できる言葉を話す。それゆえ魔獣の中でも比較的に気さくで、魔獣の加護を授かる人類の周りには必ずいるらしい。あくまで伝聞形なのは、俺はオルバート様以外に魔獣の加護を持っている人を見たことがないからだ。そういう存在は一定数いるものの、俺はギアシュヴィール公爵邸以外のことをよく知らない。


 ところで、この世界は魔法に加えて科学も発展している。前世で言えば、大正時代くらいの技術はあるだろうか。ダイヤル式だが電話で通信するし、速度は出ないが自動車や汽車で移動する。何ともモダンな世界観だ。前世の生活が染みついている俺としては、最低限の文明が築かれているのでありがたい。

 車で行った先のレストランにて、ファイアン公爵家の面々はすでにシガールームで待機していた。


「遅れて申し訳ありません」

「いや、こちらが早く来すぎたんだ、ここの料理が楽しみで仕方無くてな」


 少々ふくよかなこの老人こそ、先代ギアシュヴィール公爵の親友であるファイアン公爵。青葉色の髪をオールバックに整えているおかげで、大樹の幹と同じ色の双眸の輝きがよく分かる。健啖家で知られるこの人は、その実我が国の技術革新を進めるパトロンだ。発明家を囲い、権利を国や会社に売ることで財を成してきた。

 この場には、あともう三人いる。旦那様よりいくらか年上のファイアン公爵家嫡男と、その息子と娘。こちらもそうだが、夫人は参加していない。奥様はウィスティア様がまだ幼いので不参加、ファイアン公爵夫人は療養中、ファイアン公爵家嫡男の妻は体調不良ということだ。尤も、最後の一人が本当にそうなのかは怪しいが。

 不在なのは、もう一人。


「ライシャは風邪をこじらせてしまったようでな……。オルバート、すまないな」

「いえ、お大事にとお伝えください」


 坊ちゃまは優雅に微笑んだ、本音は悲しくて堪らないだろうに。

 ライシャ・ファイアンは、坊ちゃまの婚約者だ。年齢は坊ちゃまと同じ九歳で、母親譲りだと言われる黒髪とマゼンタの虹彩を持つ。悪く言えば大人しく、良く言えば優しい気性は、坊ちゃまの性格と相性がいい。しかし、その生まれゆえにファイアン公爵家での立場は殊更弱く、嫡男の夫人と子供たちによって虐げられている。と言うのも、ライシャ様は嫡男とその不倫相手の間に生まれた娘だった。よって、嫡男の夫人とその子供たちからは当然のように疎まれている。いや、実の父親である嫡男や、祖父に当たるファイアン公爵からもそう扱われているだろう。今日のような家族ぐるみの行事にほぼ毎回欠席するのは、子供たちがその日を狙ってライシャ様の健康を害するせいだ。

 さて、なぜ俺がそこまで知っているのかと言えば、前世の記憶ありきではない。何を隠そう、そのいじめには坊ちゃまも巻き込まれている。


 世間話もほどほどに個室へと行けば、昼食は穏やかに進んだ。ファイアン公爵の目があるところでは、嫡男の子供たちは行儀がいい。問題が起きるのは、この後のパティオでの交流時だ。大人たちはシガールームで小難しい話をするので、坊ちゃまも含めた子供たちは遊んできなさいと追いやられる。大人の監視下から逃れた瞬間、問題児アンジア・ファイアンとアイリー・ファイアンの独壇場となる。


「なぁ、今日は何でライシャは来なかったと思う?」


 アンジアはにたにたとあざ笑いながら坊ちゃまに尋ねた。十二歳のこの少年は、坊ちゃまより背も肩幅も大きい。ぽっちゃりとまろびでた腹に押し潰されれば、あっという間に窒息死してしまうだろう。無論、そうなる前に俺が手を出すが。


「風邪をこじらせたからでは?」

「おい、おい、本気で信じてるのか?腐ったオレンジを食べたからだよ!今頃、下痢で苦しんでるんじゃないか?」

「お兄様、下品な言い方はやめてちょうだい!トイレとお友達なのよ、このお坊ちゃまと同じで」


 アンジアの妹であるアイリーはくすくすと笑う。わずか十歳にして、兄に負けず劣らずの性格の悪さがにじみ出ている。お前の食べ方のほうが下品だよ、とぜひとも俺は言ってやりたい。祖父と母親にかわいがられているのか偏食家で、皿の上は小汚く食べ散らかされていた。先程坊ちゃまがあまり食べられなかったのは、その様子に食欲が失せたせいだ。

 ぎり、と俺は両手を強く握り締めた。ライシャ様を守るためには、このおままごとに黙って準じるしかない。ここで反抗すれば、腹いせにライシャ様がいっそう虐げられる。俺はそれでも構わないが、坊ちゃまはそれを許せない。


「お前も来るなよ。せっかくの料理がまずくなる!」


 がんっ、とアンジアは坊ちゃまの右のすねを蹴った。一瞬、坊ちゃまの顔が痛みに歪む。それでもすぐさま無表情に戻るのは、魔獣の加護があるからだ。魔獣の加護を授かった人は、身体的な治癒力がただの人よりも上昇している。


 アンジアとアイリーの母親は、人類主義者らしい。当然、子供たちもその価値観を植えつけられて育っていく。


 この世界の人は、人類と魔族という分類を意識して生きている。ただし、魔族は悪の象徴ではない。魔法が使える人の一族が魔族と称され、魔法が使えず科学を発展させてきた人の一族が人類と称されている。その力や形態に相違点はあるものの、人類も魔族も人という同類だ。

 ところが、人類には自らを人類主義者と称する者たちがいる。その者たちにとって、魔族は悪と断じられる存在だ。それゆえ、魔獣の加護を持つ人類は排斥の対象とされる。


 この世界において、人類は魔法を使えない。ただし、何事にも例外はある。それが魔獣の加護を持つ人々であり、当然オルバート様もその数に入っている。魔獣の加護は魔力なので、加護を長期に渡って与えられ続けた人類の体は、魔族のように魔力を取り込み放出できるものに変質する。なお、魔獣から加護を授かる子供が病弱なのは、体が作り変わることに拒否反応を起こしているからでもある。補足しておくと、それゆえに亡くなる子供も全くいないわけではない。

 魔族を忌避する人類にとって、魔獣の加護を持つ人類は敵だ。それゆえに、坊ちゃまも人類主義者からひどい中傷を向けられてしまっている。

 もちろん、それは立場が逆になっても言える。魔族の中には魔族主義者がいるし、人類も魔族も問わずに魔獣を崇拝する派閥もある。これらは前世でも同様だった。高い知能を持つ個体の数だけ思想があり、戦争や友好、対立や同盟、排斥や共存を繰り返す。みんな仲良く、は机上の空論でしかない。だが、だからと言って誰も彼もが身勝手に生きていいわけでは決してない。


 アンジアとアイリーにとって、坊ちゃまは傷つけていい存在だ。坊ちゃまは嫡男なので、厳密にはアンジアよりも格上なのだが、それを笠に着る人ではない。坊ちゃまの真面目で潔癖な性格をいいことに、アンジアとアイリーは坊ちゃまへの攻撃で悦楽を得ている。そのどれほど悔しく、どれほど許しがたいことか。いつも、いつも、俺はこの二人を殺してしまいたい。ところが、そう願う度に坊ちゃまの目が俺を止める。大丈夫だから動かないでくれ、とライトグレーの光で訴える。

 ファイアン公爵家の使用人は、少し離れた場所でこちらを見守っている。アンジアとアイリーは上手い具合に死角で坊ちゃまに暴力を振るうし、二人の側付きは当然人類主義者なので、助けは来ない。ちなみに、俺が同席させられているのは子供だからだ。加えて、最初のときに俺が坊ちゃまから離れるのを拒絶したというのもあるし、ギアシュヴィール公爵家の他の使用人から向けられる排斥的な空気にアンジアが目敏く気づいたというのもあるだろう。子供に悟られるほどあからさまな嫌悪だと笑えばいいのか、おかげさまで坊ちゃまの側にいられているとありがたがればいいのか。


「そう、そう。私、お母様から面白いお話を聞いたのよ」


 不意に、アイリーはいやらしい声で切り出した。そのわざとらしい口調に、アンジアは楽しそうな目で先を促した。


「オルバートのお母様が亡くなった理由を教えてもらったわ」

「……!」

「病気なんじゃないのか?」

「それが違うのよ。殺されたんですって!ねぇ、何で死んじゃったのかしら?──オルバートのお友達に聞いてみたいわ」


 刹那、俺の脳で理性が弾けた。

 違う。坊ちゃまの母君は、坊ちゃまをこの世に産んだ女性は、魔獣によって殺されたのではない。しとしとと雨が降っていたあの真夜中、母君を殺したのは坊ちゃまの友ではない。眠っている母君の首を切り、坊ちゃまをも殺そうとしたのは、坊ちゃまの幸せを願う存在ではない。六年前、あの惨劇を引き起こしたのは、紛れもなく人だ。──暗殺の依頼を遂行しようとした、俺の父さんだ。

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