第50話
壱深山村、通称を皆殺し村という。お察しの通り心霊スポットだ。新しい故郷へ帰ろうなるキャッチコピーで都会から人間を集め、山神への生贄としていたというのが噂の概要。その生贄の一人が怨霊と化して、原住民も移住者もまとめて呪い殺したというのが異名の由来。
正しくもあり、正しくなくもあり。
動画配信者である深山充、配信者としての名前をMITURUというのだが、彼は意気揚々と皆殺し村を訪れて今まさに後悔していた。心霊スポットなんて大体が不気味な雰囲気があるというだけで、幽霊だの化物だの、そんな非科学的なシロモノがいる訳ないと思っていた。
だがしかし、ここはホンモノの心霊スポットだった。彼は村に踏み入れるなり原因不明のラップ音を聞いたし、黒い靄のような捉え難い人影を何度も目撃したし、今この瞬間、明らかに様子のおかしい野犬に追われている。
スマートフォンだけは死んでも手放すまいと握り締めているが、その他の荷物はとっくに投げ捨ててしまった。少しでも速く、走らなければならないからだ。それはこの場所から逃げるためというのもあったが、心霊現象がどうこういう前に野犬に咬まれたら普通に死ぬ危険性があるからだ。
ばう、なんてくぐもった声が背後から聞こえる。野犬の鳴き声だろう。一つだったはずのそれが二つ、三つと増えたのを感じて舌打ちする。野犬の群れとか、どう考えても詰んでいる。どこか無人の廃屋にでも潜り込んでやり過ごそうと思っているのだが、どこもかしこも施錠がしっかりしていた。
ついでに、そうやって廃屋の扉をガチャガチャしている間に野犬との距離は縮まっていく。どうすりゃいいんだ、木にでも登るか、木に登るなんて小学校以来だと思考がとっ散らかる。ぜい、ぜい、と己の息が切れかかっているのを喉から、耳から、痛感する。
ばう、と至近距離で一鳴き。その瞬間、充はスマートフォンのカメラでフラッシュを焚いた。閃光、ぎゃう、と怯んだような一鳴き。スマートフォンを手放せない理由がこれだ。いくらなんでもこんな状況でさえ動画を撮ろうだなんて思えない。この野犬は光を苦手としているようで、フラッシュを浴びせることで少しばかりの時間稼ぎができるのだ。
ぜい、ぜい、ひゅう、げほ、げほ。いよいよもってまずい。充は走り、走り、ようやく扉が施錠されていない廃屋を見つけた。飛び込み、扉を閉じて、辛うじて使えそうな鍵をかけ、野犬が体当たりしても開かないようにと近くにあった靴箱を引きずってきて押し当てる。
どん、どん、としばらく野犬が扉に体当たりしているような音が聞こえていたが、やがてそれは唸り声に変わり、沈黙へと続く。充はそこでようやく一息ついて、その場にへたり込んだ。廃屋とはいえ、随分綺麗な家だ。これは噂で聞く移住者の家だったのかもしれない。
しばらく息を整えてから、ゆっくりと立ち上がる。音は聞こえなくなったが、外の様子を見てから動いた方がいいだろう。ここは二階建てだったはずだ、ベランダか何かがあれば下の様子を見ることもできるだろう。そう思い、ずるずると足を引きずりながら建物の中へ進んでいく。
どうやらここには子どもがいたらしく、散乱しているあれこれの中には小さな靴や服も混ざっている。途中で覗いた部屋は、賞味期限切れの菓子や未開封ながら中身の濁っているペットボトル飲料といったゴミが溢れている。子どもがいるのにゴミ屋敷か、と疑問を抱くも、今はそれどころではない。
ぎしりぎしりと軋む階段を上り、二階へ。ベランダがあった。そっと窓を開けて、念のため外から見えないように気を付けながら下を覗き込む。野犬は、いないようだ。いや、でもベランダの真下にいる可能性も、そう思って今度は少し身を乗り出した時だった。
「あははっ」
子どもの笑い声、急転する視界、激痛。ベランダから突き落とされたのだ、と気づいたのは地面に広がる赤を目にした時。右の、頭が、顔が、目が、痛い。あははっ、とまた笑い声がした。左側に、骨と皮ばかりの小さな両脚が見えた。
「おにーちゃん、動画配信者ってヤツでしょ?」
答えることすらできず、しかしその子どもは勝手に答えを得たらしい。よかったぁ、なんて心底嬉しそうな声を上げて近づいてくる。充の顔を覗き込んできた子どもの顔、その右半分は、ぐちゃぐちゃに潰れている。そして子どもの左目に映る充の頭も、右半分が潰れていた。
「おにーちゃん、死にたくないよねぇ、なーんにも遺せずに、ただのどこにでもいる、誰の記憶にも残らないつまんない人間のままじゃあ、いたくないよねぇ」
動画配信者なんてことしてるんだから! としたり顔で言われて腹が立つ。が、その怒りも長くは続かない。段々と、意識が遠のいてきたのだ。あぁ、このままオレは死ぬのか、と充は長く細い息を吐いた。そんな充に、頭の潰れた子どもは、にたりと厭らしい笑みを向けた。
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