第45話 激憤の話

 やがて、エイジアの限界がくる。アスモデウスもちまちま手助けをしていたが、悪魔殺しの天使には少しでも触れれば即死しかねない。できることにも限界があった。

 だから、これはいつか迎える結末ではあった。ふらり、と揺らいだ足下。アンジェの断頭剣が、エイジアの腹を、薙ぎ払おうと――



 中庭には、サタンとベヘモットがいた。サタンは逃げ去った。簡単な算数の話だ。2-1=1である。



 ベヘモットは、激怒していた、憤怒していた、目の前が真赤に染まる激情に支配されていた。サタンの爪で顔の半分を削がれ、尾の先で前足と後ろ足を一本ずつ潰され、誰がどう見ても死んでいるような状態ではあったが、依代共々生きていた。

 依代もまた激怒していた、憤怒していた、身体中の血液が逆流しそうな激情を抱いていた。なればこそ、彼等の怒りはますます膨れ上がった。

 何故、真善美を掲げる我々は蹴落とし合い、殺し合うのか。初代聖女の死には謎が多かった。エイジアの処遇にも。最初から完璧な人間など存在しないというのに、他者の傷を殊更広げるようなことしかしない。悪魔は人間の悪心から生まれるというならば神は何故人間をそのように作りたもうたのか。何故、悪魔という存在を滅ぼし尽くさないのか。真善美、それは相対的な価値観であり、相反する悪がなければ。ベヘモットの依代は――マキナは、震える肺腑に無理矢理空気を送り込み、感情の赴くままに咆哮した。

 怒りの感情が強ければ強い程、ベヘモットの力は増す。その権能は、怒りを解消するための破壊。逆手に取り、怒りを抱き続ける限り、何度でも蘇るという超常現象。それと、マキナの魂の奥底、根幹に在る異能が、結実し、開花した。


「あー……?」


 エイジアが見たのは、自分を叩き潰そうとする巨大な黒い獣の姿で、実際、エイジアはその獣の肉球によって地に伏せることとなった。結果、アンジェの断頭剣はエイジアの胴体ではなく獣の前足にぶつかり、どろり、と溶けた。


「!?」


 初めて、アンジェの表情が変化する。驚きによって見開かれた目には、唯一神を示す紋様。そんな目を、ぐちゃりと潰したのは獣の爪。アンジェの頭を貫いた獣は、エイジアを後方へと弾き飛ばし、アンジェを執拗に攻撃する。

 幾ら天使とはいえ、実体化している最中に肉体を破壊されれば死を迎える。それは、人間の死とは異なるものの、完璧を求める唯一神の下僕からすれば忌避すべき事象。黒い獣は、アンジェが死に至るまで、何度も何度も爪を突き刺し、牙で咬み裂いた。

 そうして、アンジェが完全に死んだことを確認した獣は、天に向かって高々と吼えた。しかしそれは、勝利を祝うものではなく――未だ燻る怒りを、少しでも発散させるためのもの。ふつり、と沈黙した獣は、しかし油断せず天を見詰めている。


「……あーあ、アンジェが殺されちゃった。いけないんだ、天使を殺すなんて。神様に逆らったら、いけないんだ」


 そんな、幼子の声。獣の全身の毛が逆立ち、その末端が真紅の炎を宿す。獣は、獣故に悟ったのだ。この、天から降りてきた幼子こそが、彼等の怒りの真の矛先。天使と悪魔と、『エクソシスト』たちを生み出した、唯一神そのものであると。


「いやアンジェはオレが殺したかったんだが?」

「そんな口を叩けるなら元気だな?」

「さっき元気じゃなくなったんだが」

「元気そうで安心した」


 一方、逃げ出したいアスモデウスと感情の矛先を見失ったエイジアは、中庭の隅で取り残されていた。

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