第44話 処刑の話



 絶望的な差というものは何事にもついて回り。



 感情だけで実力差が覆せるならば今頃世界はとてつもなく平和になっているだろう、とアスモデウスは思う。何せ、感情だけで動き回る人間を寵愛しているので。


「ちっ、このままだと三乙だぞどうにかしろ」

「それはお前のあれだからなぁ、二回目死ぬ寸前には回収するから覚悟してろ」

「はー!? 協力もせずにその言い分!?」

「協力するだけしてるだろうが怒るぞ」

「もう怒ってる?」

「怒ってたらお前の意思はとっくに消えてるが……」


 エイジアは横に跳び、アスモデウスは実体化を解く。ずん、と中庭の地面を割り開いた断頭剣。ついさっきまでエイジアがそこにいたというのに、手加減も何もしないのだなぁ、なんてアスモデウスは思っていた。

 慈悲深い笑みを乗せたまま、無言で悪魔の信徒を――かつてあれだけ目をかけ、洗脳までして生かしたエイジアを、何の躊躇もなく殺そうとしているアンジェ。天使になるとは、そういうことだ。教会の人間は天使への変成をさも唯一神から与えられた栄誉かのように吹聴しているが、その実アスモデウスによる人形化の方がまだ優しいだろう。

 悪魔を殺すという使命だけを宿され、その存在の全てが唯一神のためだけに使われるようになる。人間上がりの天使とは、大体そのようなものだ。アスモデウスの人形化は魂よりも肉体に作用するため、稀に自我を取り戻して反抗してくる者もいるが、それこそが悪魔の優しさに他ならない。

 唯一神は、完璧な人間しか認めない。悪魔は、不完全な人間こそを愛する。だから、アスモデウスはエイジアに協力していて、アンジェは殺そうとしている。エイジアの振るう鑢剣がアンジェの首を掠めるが、アンジェは僅かに笑みを深くするだけだった。

 翻る断頭剣、小器用なエイジアはその死線をぎりぎりで掻い潜り、少しずつ、少しずつ、アンジェを削り取っていく。だがしかし、ほとんどの天使に宿る加護である自動治癒の速度に勝てず、決定的な傷をつけるには力が足りない。

 或いは、エイジアが真に悪魔であったならば。鑢剣に溜め込んだ穢れがアンジェを毒するまで、この膠着状態を保つことができただろう。だがしかし、エイジアは人形化が進んでいようとも未だ人間であり、人間には限界がある。


「諦めないのか?」

「少なくとも一乙するまではな。しかし、いい線いってると思わないか? オレが有利だろこれは、ははは、天使に競り勝つ『エクソシスト』とか逸材過ぎて自分が怖いな」

「お前がそう思ってるならお前の現実はそうなのだろうけれども」


 けれども、一人で信じる現実の名は妄想という。アスモデウスの目から見て、戦況は絶望的。そうなると踏んだからこそ協力しているのだが、エイジアには絶望の欠片も見当たらない。最早それは狂人と同じ、壊れてしまっているが故の。


「まぁ見てろって、今にオレは聖女殺しになるぞ。いや、もう聖女殺しとは呼ばれていたな……天使殺しとかどうだ? はちゃめちゃに強そうでかっこよくないか?」

「うーん、段々お前のことが怖くなってきたな」

「ははは、魔王も恐れる天使殺しか。人間が冠する称号にしては贅沢だな!」


 荒い息の隙間、強がっているようにしか見えない言葉だが、エイジアは真実そう思っている。そのことに気づいたアスモデウスは、エイジアの襟首をひっつかんでアンジェの奇跡から逸らしてやりつつ――エイジアととてもよく似た、空々しい笑い声を上げた。

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