第43話 憎悪の話

 エイジアは、憎悪していた、嫌悪していた。己に強くあれなんて呪いを遺して逝った女を。あの女のせいで自分は延々と虐げられてきた。あの女のために反抗し続けている自分が嫌いだった。そんなものにしがみつくしかない自分が憎かった。あの女に見出だされたりしなければ、エイジアは『カーディナル』にさえなっていただろう(なりたいかどうかは別として)。何が試金石だ、何が必要な犠牲だ、自ずからそう称するならばまだしも実際に石を投げられたこともない外野からそう口にされて囃し立てられればその呆けた間抜け面に石を投げ返してやろうかと思うだろう。



 煮詰まった憎悪は愛情と同じだなんて、馬鹿なことを宣いたもうて。



 そもそも、エイジアが克洋の頼みだからと素直に聞く訳もない。まぁ、世話になったという思いはあるので叶えられる範疇の願いならば聞かなくはないが、その程度だ。にも拘らず、エイジアが克洋と共に教会本部の危急に駆けつけたのは、死神アンジェがいると聞いたから。

 アンジェは、始まりの聖女、初代聖女。悪魔に我が子を殺されて、復讐の鬼と化した女。聖銀の断頭剣と銀弾を吐き散らす猟銃を携え、魔王にさえ手傷を負わせた彼女は――教会の権力闘争の中で毒を盛られ、それが遠因となって死んだ。公的にはエイジアを庇ってできた傷が原因で死んだことになっているが、全盛期の彼女がたった一人を庇ったからとて死ぬ訳がない。未だに語り継がれる、最強の聖女の名は伊達ではないのだ。

 そんなアンジェの死に際の心残りは、悪魔を殺し尽くすことができなかったこと。故に唯一神は彼女の魂を召し上げて、仇敵たる悪魔に死を与える天使として作り替えた。聖女の昇天、からの天使への変成は教会の中で伝説として語られることとなり、比例してエイジアの処遇はより苛烈なものとなった。

 最早こうなると何が原因で誰が悪いかなんてわかったものではないが、エイジアがアンジェを憎むのは自然な流れだった。だがしかし、エイジアは生前のアンジェの薫陶せんのうを受けていた。その心の強さを評価され、その心の強さこそがエイジアの持つ一番の武器であると念入りに刷り込まれていた。

 故にエイジアは、『エクソシスト』たちの都合のいいサンドバッグとして長年虐げられ、その怨みや憎しみを表に出すことも許されず(エイジアの中では自分を攻撃した『エクソシスト』たちに対して反撃することはあくまでも受けた仕打ちに対する報復なので、虐げられたことに対して抱く感情とは別問題であった)、そうして、今。


「お、いたな。相変わらず目に痛い」

「一乙で仕留められると思うか?」

「お前次第だろう、何事もな」


 アスモデウスがつまらなさそうに吐き捨て、エイジアが笑う、嗤う。中庭にいたサタンはとっくに逃げ出している――悪魔にとっての死神、その名前もまた伊達ではない。アスモデウスとて、契約がなければこんな場所に居残りはしない。

 顔だけは慈悲深い笑みを乗せ、降臨するのは返り血に濡れた紅衣を纏う聖女の姿。その背には天使の証たる純白の翼が三対。携えている断頭剣は、唯一神の加護を受けて聖なる輝きを宿している。


「まぁそうだな……二乙したら怒るか?」

「怒るというか、許されると思うか?」

「塵になれば全て許されると思ってるな、ははは」


 エイジアは、空々しく声を上げた。アンジェを殺すために用意していたのは、穢れを溜め込んだ鑢剣――どれだけ手入れしようと、殺した悪魔の血肉を噛み締めて離さない、汚穢に満ちた拷問具。それが、エイジアの相棒だった。

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