第20話 彼岸の話



 ――えぇ、えぇ。堕天使や悪霊、堕ち神憑きや半端者を友と呼び、死神憑きを妻として、祟り神をその影に宿し、邪神に好かれるような人間が、まともな人間な訳、ないじゃないですか?



 その日、万寿はいつも通り高校へ行き、部活で汗を流し、塾での課題を終えて、家に帰ろうとしていた。時刻は夜の九時を過ぎた辺り、空はすっかり真っ暗で、冬の冷えた空気が肌を刺す。

 今日の晩ごはんは何だろうなぁ、あったかいシチューがいいなぁ、なんて考えながら万寿は夜道を進んでいく。その先の、街灯の下、ぽつりと佇む影が一つ。

 塾から家に帰るまでの道はそのほとんどが大通り、だけれども家の直前に、人気の少ない道がある。だからそこはいつも誰もいなくて、だからこそとても違和感があった。

 万寿は、一瞬だけ迷い――スマートフォンを取り出した。ワンコール、ツーコール、ぷつり、と母のスマートフォンに繋がった音がした、その時だった。



 がつん、と後ろから殴られて、意識が飛んだのは。



 目覚めた万寿は、椅子に座らされて拘束されていた。服はそのままで、けれども荷物は全部奪われているらしい。ぱちぱち、とまばたきを繰り返して前を見れば、二つの人影。

 一人は、見間違うはずもない。髪型や色が変わっていても、目の色が違っても、万寿の愛しい愛しい兄、明神に違いない。万寿は明神の名前を呼ぼうとしたが、口に噛まされている縄のせいで叶わなかった。

 もう一人は、見たことのない男。ぼろぼろのスーツを着ていて、首に縄の輪を引っ掛けている。その目は爛々と赤く輝いていて、その足は地面についていなくて――幽霊か何かであると万寿は察した。


「いやもう本当にね、お前は付き合うヤツらを変えた方がいい。類は友を呼ぶとかいうけどね、朱に交われば赤くなるとも言うじゃん?」

「蛇の道は蛇だろう?」

「どっちかってェと蜘蛛ですねオレは」


 けらけらと笑っている男は明神の友人らしい。気安い態度で話しかけては素っ気なくされている。と、その男がぐるりと首を傾けて、万寿を見据えた。

 その目! 捕まえた獲物でどう遊んでやろうかと思案する、ぎらぎらした、恐ろしい眼差し。万寿は、ぱちぱちとまばたきを繰り返して――その男を殺すための、呪文を思う。

 かみさま、かみさま、わたしのかがみさま。それは、歪んだ鏡像、万寿の神様を呼び出すための合言葉。だがしかし、現れるはずの神様は現れない。万寿は、もう一度念じた。けれども無駄だった。


「テメェ一人の妄想かみさまが、オレのりょういきに敵うワケねェな? これでも悪霊ン十年やってんだよこっちは」

「誇るべき所ではないな」

「頼っといて言うじゃん?」


 真顔で隼人に訴えている男。万寿はそんな男を無視して、明神に視線を向ける。万寿のことを大切に思ってくれているお兄ちゃんなら、助けてくれると。

 だがしかし、隼人から返ってきたのは温度のない表情。頼んだ、と横にいる男に声をかけた隼人は、後ろ手に持っていた金槌を、万寿の視界に入るように見せつけた。

 その間に、男は鼻歌を歌いながら――万寿の片手を、手近にあったらしい机を引き寄せて、その上に固定した。五指を広げた状態で、名前のわからない金具で。万寿は何も解らないなりに、大変なことが起きると予感して暴れようとしたが、体も指もがっちりと固定されていて、動かせない。


「……これから、お前の指を、一本ずつ叩き折る」


 そんな中、隼人が呟くように語りかけた言葉。万寿の頭が真っ白になる。これから、わたしのゆびを、いっぽんずつ? 理解ができない。お兄ちゃんは、なんて?


「今から口の縄を外すが、俺が望むのはただ一言だ。「お前なんてお兄ちゃんじゃない」。それだけ吐いてくれればすぐにでも解放してやる。俺は、お前の兄ではない、縁も所縁もない人間だ」


 ばらり、と万寿の口を閉ざしていた縄が解ける。万寿は、目に涙を浮かべ、こう叫んだ。


「嘘だよね、お兄ちゃんは万寿のこと大切に思ってくれてるもん、そんなひどいことしない、ねぇお兄ちゃん、愛してる、お兄ちゃんも万寿のこと」

「両手が使えなくなる前に、さっきの一言を吐いた方がいいぞ」


 ごん、と鈍い音。おーおー、と男が面白そうに囃し立てる声は、万寿の絶叫に掻き消された。いくら『ウィザード』でも、兄に対して病み狂った情を向けていようと、万寿自身は平和な日本で生きてきた女子高校生に過ぎないのだ。


「っあ~、女子高生の新鮮な悲鳴からしか摂れない栄養素ォ~……最近野郎ばかり殺ってたからキく~……」

「俺が望むのはただ一言だ。「お前なんてお兄ちゃんじゃない」……どうだ?」

「お兄ちゃんは、お兄ちゃんは万寿のことが好きでしょ!? やだ、ひどいことしないで、お兄ちゃんは」

「二本目だ。人間、指が三本折れると手としての機能を失うらしい」


 ごん、と鈍い音。万寿の絶叫。隼人は、顔色一つ変えずに、万寿の折れた指を眺めていた。

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