第11話 柊木の話

 柊隼人ひいらぎ はやとの人生を語るとすれば、正しく怒濤の人生であったと言えるだろう。



 ■■■の人生もまた。



 隼人はイタリア人の父と日本人の母の間に生まれた。しかして不幸な事故によって、両親から引き離されて別の家庭で育てられた。隼人の父が隼人の居場所を知ったのは、隼人が十八歳になった時のことだった。

 これまでの空白を埋めるように、父は隼人の世話を焼いた。隼人は父の元で日伊の翻訳及び通訳の仕事を任された。やがて隼人は仕事先で運命の出会いを――妻である里羽百合さとば ゆりとの出会いを果たした。

 付き合い始めてから一月と経たず結婚した隼人と百合は、ゆっくりと夫婦関係を育んでいる。


「……ということになった」


 長々と話した隼人は、渇いた喉を潤すために白湯を口にした。温かくも冷たくもないそれは、するりと隼人の食道を通過する。その対面でココアを飲んでいる少年の背には黒い翼。


「ということになった?」

「なったというか、そうしただな」

「むずかしいことをいうなぁ」

「仕方ないだろう、あの呪いから逃れるためにはこうするしかないんだから」

「むー……」


 ひらりゆらりと翼が揺れるのを眺めていた隼人だったが、足下から響いた犬の鳴き声に反応して足元を見る。一つ目、三つ足、五つ尾と、異形の白犬たちがころころとじゃれついていた。


「ぜーんぶいちどにかいけつできたらいいのにな!」

「それができればこんな風にしてないな。百合にも随分迷惑をかけている」

「ほんとうに! もっとゆりにあいしてるってつたえたら? このあいだそうだんされたんだぞ」

「相談?」

「はやとのあいしてるはわたしのあいしてるとはちがうって」


 ココアを飲み終えた少年――隼人の守護堕天使、ライアー=ベッグはそう言って席を立った。何匹かの白犬――隼人の実父の守護神だった、シモクノマカミがライアーの足にじゃれながらついていく。


「愛なんてものはこの世で最も危険な感情だろう」


 もう一口、白湯を口に含んだ隼人は黙考する。愛は、危険だ。それは相手の意思を無視する感情で、相手の全てを壊してしまうものだ。そんな醜い感情を、協力者である百合に向ける訳にはいかない。例えそれが、百合の望みだとしても。

 愛なんてものがなければ、自分は■■のままでいられたのだろうか? 隼人は自問し、首を振る。最早自分とは何の縁もないあの家に、愛がなかったとすれば――■■は死んでいた。だがしかし、愛なんてものがあったから、■■は■■のままで生きられなかった。


「……愛なんてものは、ないに越したことはない」

「えぇ、そうでしょうとも。愛なんてものは、副作用の強い鎮痛剤みたいなものですし」

「お前に向かって話したつもりは一切なかったんだがな」


 座っている隼人のつむじに顎を乗せ、ははぁ、なんて笑ってみせたのは黒髪多眼の邪神、弔蔦花とむらのちょうか。止めろ、と隼人が手を振れば、無数の目の群れと化して散らばっていく。


「……愛なんて」


 隼人はそう独り言ちて、二人分のカップを洗うために立ち上がった。

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