第5話 蟇蛙の話

 水之登神社の池の畔には、高級そうな三方が供えられている石台と――小さな小さな祠がある。その祠には、これまた小さい小さい蛙の置物が鎮座していて、参拝客が供えたらしき五円玉やら十円玉やらが並んでいる。



 その祠に在る神様の名前は、ククツという。



 しとしとと柔らかな雨が降り注ぐ中、池から顔を出したのは大きな蟇蛙。くく、くく、と鳴いていたそれは、ぺたりぺたりと池から上がり、よっこいしょと立ち上がった。そのまま二足歩行で進んで行った先は社務所で、そこでまた鳴き声を上げる。


「ごめんください、ククツが参りました」

「あぁ、もう来られたんですね。どうぞ、お上がりください」


 からりと開かれた扉の向こう、蟇蛙の――ククツ、と名付けられた神の目の前に広がる浅葱色。くるり、と視線を上げれば、柔和な笑みを浮かべたルキと視線が合う。ククツはぺこりと頭を下げ、社務所の中へと歩を進めた。

 途中、乗り越えるのに時間がかかる段差はルキに抱え上げてもらい、目的地である社務所の片隅へ。旅行安全と刺繍されている茶色と金色のお守りが入っている段ボールを開ける。その中の一つを両手に取ったククツは、うんうんと唸りながら祈り始めた。

 一つにつき、三分程度。このお守りを授かった人が、旅行中安全でありますように、と真摯に祈る。蛙の名は帰るに通じ、蛙の姿を持つククツが念を込めることによって、旅先から無事に帰るという御利益が宿るのだ。


「……終わりました」

「いつもありがとうございます。こちらをどうぞ」

「わ、これはこれは、どうもありがとうございます」


 ルキが差し出したのは、ククツのサイズに合わせて作られた朱塗りの椀。その中には、ミニチュアサイズのうどんが湯気を立てている。小さいながらも刻み葱と油揚げが入った本格派である。ククツは相好を崩すと、椀の上に載せられていた箸を手に取った。


「いただきます」

「召し上がれ」


 器用に小さな箸を操り、うどんを啜るククツ。雨の降る日はククツが池の外に出られるので、旅行安全のお守りへ念を込める日としているのだ。そうして、祈祷を終えた後の労いとして、ルキが作ったうどんが振る舞われる。


「最近はどうですか?」

「僕も陵さんも元気ですよ。初詣が終わると少し落ち着きますね」

「お手伝いできればいいのですけれど、ククツは未熟者なので人には成れず……」

「今年は神田先輩が助っ人に来てくれていたのでその分楽でしたよ」

「あぁ、あのおいしそうな……」

「駄目ですよ」

「わかっておりますよ」


 ぺろり、と長い舌で舌なめずりを一つ。『憑物筋』である文に憑いている神は様々な虫の集合体で――蟇蛙であるククツからすれば、バイキングかビュッフェに見える。見えるだけで、実際に食べようとしたら双方大変なことになるのでやらないが。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

「少し休んでから帰ります」

「そうですね、まだ降り続きそうですし。もし止んだら池まで送りますよ」

「ありがとうございます」


 器と箸をルキに返し、ぽてん、と寝転がるククツ。ルキはそんなククツの上に、小さな布団をかけてやった。

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