神さまの隠し事

 ドキッ、とした。ナオは我に返って、見おろす。コートごと黒のデニムのパンツを穿いた足に、幼い女の子がしがみついてきた。仰ぎ見る顔は、心の底から心配している。


『大丈夫?』


 間違いなかった。訊いてくる彼女の声を、ナオの脳が捉えていた。心臓が早鐘を打つ。


 視界の左端。下から上に、黒の動く物を映す。ナオはロッティーを思い出す。左を向いて、両手を差し出す。弧を描いて、降りてきた。


 両手の中、黒い毛の柔らかさと、ウサギの体温と重み。二つの赤い瞳の下。小さな鼻と口が、モコモコ動く。


 視界の右端に映る。景色が遠ざかっていく。まるで、電車で進行方向とは逆に座ったみたいに。向き合った時。映画のスクリーンを見ている錯覚を起こす。暗がりの中、通路に立って。


 ナオ、ロッティー、幼い女の子は、揃って上体を左に傾けた。映像の空が左。つまり、横に倒れていた。


 揃って、体を起こす。ナオもロッティーも女の子も、自分の目を疑う。二度見した。景色が二十に分かれている。どれも、上下左右が狂う。まるで、立体のジグソーパズルを崩して、混ぜて、積み上げたみたいに。皆、理解が追いつかない。


「危な……」


 立体ジグソーパズルの天辺から、放られる。玉の形をした、白い光。見る間に、大きくなる。ナオの左の脇腹を、ロッティーが強く突く。女の子共々、右へ。粘土質の地面をかき、倒れる。


「大丈……」


 女の子の無事を確かめる、ナオの声。破裂音にかき消される。轟音と地響き。体を揺さぶられる。背中に乗る感触。ロッティーだ。びっくりさせた詫びに、助けると約束を交わした。


『怖い、怖い……』


 絶え間なく、降ってくる光の雨。わずかに、ナオは頭を上げた。白い毛のウサギが黒目に涙を浮かべている。右手を伸ばす。ウサギの後ろ頭の下を掴む。胸の下に引き込んだ。


「おい! あんた!」


 ビクッ。ナオは身を震わせる。いきなり、声を掛けられて。つられて、胸の下にいる、ウサギも震えた。他にも人がいたことに、衝撃を受ける。


 そっと、ナオは顔を上げた。折り畳まれた長い手足が映る。ひだが入った白い服を着た。舌打ちする音。しゃがんだ身を隠せるほどの盾の向こう側を覗く。筋肉質のがっしりした体格なのに。光が当たるたびに、盾ごと押される。


「にゃろう。うちの世界をこんなにしやがって!」


 独り言の後。見返してきた、銀縁の眼鏡の奥の鋭いまなざし。うねりのある、長い黒髪を後ろで束ねた髪型。服装が変わっていた。昔、読んだ。神話に出てくる人たちが着ている服に似ている服。


「あんた、ここの子じゃないよな? 盾で防いでやるから、おうちに帰りな」


 盾を傘のように、さしかけてくれた。でも、男は言外に問い掛けてくる。現状は、てめえの仕業じゃないだろうな?


「無理! 攻撃が追ってくる」


「じゃあ、どうすんだ? 間近まで行ければ、出来損ないの人形のあいつを倒せる自信があるが。手段がねぇ!」


 背中に、数回の軽い感触。ロッティーが跳ねながら、答えている。八つ当たり気味に、男が返す。


「外野が片付けてくれる」


 澄まして、ロッティーが答える。ナオは体を起こす。あわせて、黒ウサギが頭の上に移った。白ウサギを抱き上げる。胸に当てて、なでた。「大丈夫だよ」と、声を掛ける。


 そっと、ナオは盾から、顔を出す。立体ジグソーパズルの一番上。人形の頭だけが二つも載っていた。すだれのような黒髪。無表情な顔。突き出した口から、光が吐き出される。頭がパズルの端から端に動いていた。


 後ろから、白い光が走る。二つの人形の頭が、真ん中で重なった、一瞬。光が貫いていた。破裂する。


「すっ……げぇ。狭間の彼方から、ぶち抜きやがった。よほど、射撃の腕を持った、目が良い奴がいるんだな。ってか。それだけじゃ……」


 男が感想を述べる。ナオの頭の上で、ロッティーが威張る。自分のことのように。


 降ってくる、白い光の量が増える。人形の頭の腹いせと思われた。地面をえぐり、盾を割る。ナオは意識を飛ばす。

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