第二二話「爆死へのカウントダウン」
玄関のチャイムは鳴り続けていた……
今頃唯は待てをくらい、憤怒の表情で玄関前に張り付いている筈だ……飼い主から三日三晩おあずけをくらった脇腹の透けた犬の様にな……直人はそれについてリアルに想像し思わず身震いをした……
急ぎ自室の窓を全開で開ける。
首を突き出して周囲を確認する。
……よしっ!
予想通り唯の姿は見えない……唯は玄関前に張り付いているのだ……飼い主から三日三晩おあずけをくらった地獄の番犬・ケルベロスと化して……
ヴリルの消費を気にしている暇はない……二人の人間と家の命が掛かっているのだ……
直人の全身から紺碧のオーラが迸った。
超能力の源であるヴリルを開放する。
「サイコキネシス!」
直人は美晴医師を空中に浮遊させた。
「何と……何と妖艶な……」
感嘆の言葉が思わず
宙空へと浮遊しミステリアスな美しさを発散する一人の女性がそこにいた……重力から解放された美晴医師は人外のニンフにしか見えない。
「3Dプリンターで等身大に印刷したい……」
直人の口から変態的なモノローグが漏れた。
しかし見とれている場合ではないのだ……ましてや等身大ダッチワイフ……じゃなかった……フィギュアを作成する時間など今は皆無だ……
再び直人の身体から紺碧のオーラが迸る。
サイコキネシスで美晴医師を自室から公道へと移動させる。
彼女を浮遊させた状態で、丁寧にゆっくりと下降させて行く。
…………ポトッ。
まるで枯葉が地面に落下するかの様に、美晴医師は桐生家に隣接する道路へと着地を決めた。
彼女は今玄関から九十度反対の方角にいる……唯のいる場所からは見えない筈だ……多分。
それにしても……
直人は二階の自室から、公道にいる美晴医師を繁々と観察した。
何故この期に及んでまだ寝ているんだ!?
コイツは大地震が起きたことを翌日に知るタイプか!?
首輪の無いケルベロス(妹)が目と鼻の先にいるんだぞ!? オイッ!!
直人は美晴医師の図太さに尻込みしつつ、玄関へと続く階段を飛翔魔法で下降した。
あと十五秒しかない!
俺が家毎爆死するまで……
心臓がバクバクと脈打っている。
階段を全段飛ばしで通過する――最新の注意を払いこれまた静かに着地を決める!
……二階の自室にいたことを悟らせてはいけない……もし自室を唯に“査察”されたら、シーツに染み込んだ美晴医師の香水に気付く筈だ……それは決定的な証拠になる! 加えてそれをクリーニングさせる訳にはいかない……絶対に!!
それはともかく直人にはアリバイが必要だったのだ……
彼は頭の中で爆死するまでのカウントダウンを行っていた……
一〇、九、八、七……
……サイコキネシス!!
直人はサイコキネシスで、既に箱詰めを終えていた段ボールをひっくり返し、中のカミソリを無音で床へとばら撒いた。
ふうっ……
直人は一つ溜息を付くと、急ぎヴリルの開放を停止した。
……終わった……この世の誰よりも怖い妹(ケルベロス)へのアリバイ工作が……
直人は呼吸を整えながら靴を履き、爽やかな笑顔を絶やさない結婚詐欺師の様な面持ちで玄関のドアを開けた。
「おかえり唯!」
間髪入れず妹への謝罪の言葉を告げる。
「すまない唯! 遅くなった……」
――そこには両腕を組み、禍々しい紅蓮のオーラを天高く立ち昇らせる地獄の番犬の姿があった……
「何……してたの兄さん?」
「……………………………」
「随分と遅かったわね!」
「…………………………」
「後一秒遅かったら、兄さんを中の女もろとも爆破していた所よ!」
今にも地獄の業火で全世界を焼き尽くそうかという一人の少女がそこにいた……
「唯! 落ち着いてくれ! 家の中に女はいない!」
……嘘ではなかった。
……女がいるのは家の外だ。
「嘘ね!」
「本当だ! 信じてくれ!」
直人はここぞとばかりに声を張り上げて叫んだ。
「じゃあ早くそこをどいて! ここは私の家でもあるのよ。兄さんだけの家ではないし、ましてやよその女の家ではないわっ!」
ごもっともである……ここは“俺達”の家だ。俺だけが好き勝手していい筈がないのだ……ここは二人の家なのだ。
「今入るのは……お勧めしないがな……」
直人は半身になって唯を中に通した。
――唯はその光景を見るや目を見開き、しばしその場に立ち尽くしていた。
リビングには熱狂的なファンからプレゼントされたカミソリの刃が、所狭しとぶちまけられていたのである。
「…………何、してたの!?」
長い沈黙の後、ようやくにも唯が口を開いた。
「お前が学校に行っている間、一人で段ボールの中身を確認していたんだよ」
「…………………………」
「カミソリで手をカットしたくなかったからサイコキネシスを使ったんだが、ははっ……まだ病み上がりだからだろうな……力のコントロールを失敗してこうなった」
「…………………???」
唯は直人の目を食い入る様に凝視していた……その姿はまるで、生まれてから死ぬまでの全ての罪を見通すことができるという地獄の閻魔そのものだった……内心びびりまっくていた直人だったが、鉄仮面の様にポーカーフェースを貫いていた……家毎爆死する訳にはいかないのだ……
「ヒーラーが来るのは三日後でしょ……何で今やってるのよ???」
「それはだな……お前はこの家に他人が来るのを嫌がるだろう? だから俺一人でさっさと仕事を終わらせて、お前が家に着くまでに会社に報告しようとしていたんだよ」
直人は走ることを忘れたボロ車を高級車と偽って売り付ける車ディーラーさながらに平然と嘘を並べ立てた……勇者に成って以来身に付いた嘘付きスキルがここ一番で発動した瞬間だった……
「お前への負担を減らしたかったんだ!」
「全ては愛する妹の為だ!!」
……これも嘘ではない!
俺が守りたいのは美晴医師との主人←→下僕の関係ではない……ちょっとだけ惜しい気もしないでもないが……否、隠れMとしてはめちゃめちゃ惜しい……しかしだ! 俺のトッププライオリティはやはり妹の笑顔を守ることなのだ。
直人の言葉に唯は下を向き、唇を噛み、しばし何かを一心に考え込んでいた……
やがて……
「その言葉……嘘だったら承知しないんだからね……」
「も……勿論さ唯!」
……全ては妹の笑顔を守る為の嘘とはいえ、後悔の念が直人の心を蝕んだ。
「ほんっとうに仕方のない兄さんね!」
「私も手伝うわ。これから二人で片付けましょう」
唯はスリッパを履くと、ほのかに上気した顔で、カミソリの刃が散乱したリビングへと足を踏み入れた……
――数時間後。
若干のトラブルはあったものの、兄妹は桐生家に送り付けられた五四箱にも及ぶカミソリレターの確認を終えたのである……当然のことながら直人の期待したラブレターやらパンティー(使用済み)やらはついに一枚も出ては来なかった……
……その夜渋谷警察署では、ジャックダニエルを固く握り締め「ジャック~~~~♡ 私のジャック~~~~♡ 先にイっちゃ駄目~~~~♡♡」を連呼する一人の女性が保護されたという……
結局の所、痴話喧嘩で人が死ぬことも無かったし、兄妹の家が木っ端みじんに爆発・炎上することもなかったのだ……渋谷区南平台の平和は、直人の影の努力と結婚詐欺師顔負けの嘘つきスキルによって今日も守られたのである……
――後日、送り主へと返送されたカミソリレターの山は、数日の時を経てブーメランの如くものの見事に桐生家へと帰還を果たした。
直人は五四箱にも及ぶカミソリレターの山を、渋谷区指定の小物金属の日に泣きながら一人で捨てたのだった……
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