第二一話「着せ替え人間ごっこ」
「兄さん私よ、開けて」
……唯だと!?
「ゆ……ゆゆゆ唯! お、お前確か午後四時まで学校だったよな!?」
「そうだけど……久しぶりの学校でクラスメートから質問攻めにあって……みんなスライムの話を振って来るし……それに話しかけない人も、私を見て陰でヒソヒソとおしゃべりをしているわ……薄笑いを浮かべてね……」
唯はそこで一瞬言葉を詰まらせた。
「……だから気分が悪くなって途中で早退して来たのよ」
「何……だと!?」
直人は思わず心の声を口に出していた。
「……兄さんが家にいるのは知っていたから、今日は家に鍵をおいて来たの。だから開けて」
「ゆ……唯……急用がある。済まないがちょっと待っていてくれ!」
「えっ!? ちょっと兄さん……」
直人は一方的に通話を切ると、玄関に実の妹を置き去りにして、自室にいる女の元へと急いだ……
階段を二段飛ばしで駆けあがる。
心臓は急速に脈打っていた……頭からは一切の血の気が失せている……一瞬、死刑台に登る囚人の姿と自分の姿が重なって見えた……
自室のドアを勢いよく開ける。
「美晴姉さん!」
直人は思わず叫んでいた。
そこで、直人はドアノブを握り締めたまま、自室で完全に固まっていた。
脳内の残り少ない冷静な思考回路が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちて行く……
そこには素っ裸で直人のベッドに横たわる美晴医師の姿があった!
一糸纏わぬ妖艶なニンフの姿がそこにあった。
……否、ニンフと言ってしまうとニンフの品格が著しく低下するかもしれない……“ジャック” を食いものにするドSのサキュバス辺りがぴったりかもしれなかった。
それにしても……何故この人は他人の部屋で全裸になっているのだろうか!?
……まあしかし……この局面でさえなければ俺は一向に構わない! むしろ脱いで欲しいぐらいだ……直人はこの期に及んで又してもいらんことを考えていた……
とにかく状況が状況だ! まずはこの使えない同僚を早々に叩き起こし、一秒でも早く服を着せなければならない。
「美晴姉さん、起きて下さい!」
直人はそう言うとしばし逡巡した後、彼女の細い肩を揺すった……一瞬どさくさに紛れて胸でも触ろうかとも思ったのだが、これ以上話がこじれると面倒なので、その機会は次回へと持ち越すことにした……
「う~~ん、ムニャムニャ……」
美晴医師は目は閉じたまま、直人の言葉に僅かな反応を示したに過ぎなかった。
……これが泥酔という奴だろうか!?
直人は彼女の肩を揺すりながら素朴な疑問を口にした。
「何で美晴姉さんは服を脱いでるんですか!?」
……勿論この状況でさえなければ、全っ然問題無いんですけどね……むしろ猿の様に常時すっぱだかが望ましいぐらいだ……直人は心の中で本音を呟いていた……しかし人間は猿であることをとうの昔に止めているのだ……誠に遺憾ながら……この惑星で進化の頂点に立つ人間には建前というものが付き纏うのである……
「いや~~ん♡ ジャック~~♡ 変なところ触らないで!」
「……………………」
変なところを触っておけば良かったと思う直人がそこにいた!
「むにゃむにゃ……お姉さんはぁ~~服を脱がないと寝れないタチなのよ~~♡ 知ってるくせにぃ~~♡ あなたさっきしたばっかりでしょう?……あと五分だけ寝かせなさい~~ジャ~~ック♡」
……まさかとは思うが……美晴医師は本当に“ジャック”という野郎と付き合っているのではあるまいか!?
ここで“ジャック”への対抗心がメラメラと芽生えて来た直人ではあったが、今はどこぞのジャック”に焼きもちを焼いている場合ではない! 唯を玄関に待たせているのだ……
そうこうしている間にも唯は玄関のチャイムを鳴らし続けている……気のせいだったら良いのだが、その感覚が徐々に狭まっている様な気がするのだ……
そこで机に置いていたスマホが突如として鳴り響いた!
「ひうっ!」
直人は驚きの余り、通常人間が口走らない変な擬音を発していた……
急ぎスマホのディスプレイを確認する。
――そこには《発信者 最愛の妹♡》とあった。
直人は恐る恐るスマホを手に取った。
「ちょっと! 兄さん!! 何してるの!?」
「私、体調が悪いのよ! 早く中に入れて!!」
お冠である。
当然だ……直人とて今直ぐ妹を中に入れてあげたいが、今だけはそれはできないのだ……もし妹を中に入れたら、桐生家で無残な最後を遂げた焼死体が二体転がる可能性があるのだ……
そこで直人は
「唯、待て、早まるな!」
「えっ!? 何を言っているの? 兄さん」
「お前がいない間に、会社から依頼された仕事をしていたんだよ……つまりだな……家にカミソリが散乱しているから、今は中に入って来ないでくれ……」
「そう……なの!?」
「だから済まないが……今は近所のカフェで休んで……」
直人が冷や汗と共に決死の思いで嘘を付いていると、突如ベッドにて全裸で横たわる美晴医師が色っぽい声をあげた……
「もう~~っ! 五分も我慢できないの!? おあずけよ“ジャック”!!」
「あ――――――――――――!!」「あ――――――――――――――!!」
直人は美晴医師の声に自分の声を被せ、美晴医師の言葉をジャミングした……と同時に美晴医師の口を平手で塞ぐ……
「ちょっと! 兄さん! 今女の人の声が聞こえたわ! ジャックって誰!?」
俺の妹は地獄耳か!?
……これならば五〇年後には良い小姑に成るに違いない。
「ちっ……違う! 今のはパソコンの動画だ。ここには俺しかいないぞ……それに俺は断じて“ジャック”では無い……“ジャック”の野郎は俺の敵だ!」
直人は半ばパニックになり、自分自身何を口走っているのか訳が分からない状態になっていた……
「……何か……変ね……」
しばしの沈黙が薄氷を踏む様に怖かった。
「いるのね……そこに誰か!?」
「兄さん! 私がいない間に女を連れ込んだの?」
「どうなのっ?」
「答えてっ!」
電話越しに唯の激情が伝わって来る……療養中とはいえ、この家を一撃で粉微塵にするぐらいの魔法力は残っている筈だ……
つまり…………俺達は今命が危ない!
兄である直人ははっきりと断言出来た。
この世界で最も怖いのは、怪物でもデュランダルでもパパラッチでもない、我が最愛の妹だ!
「い……いないぞ……ここには女もジャックもいない……救いの主もいない……この世には神も仏も断じていない……」
直人はパニックになり言い訳がしどろもどろになっていた……
「唯! 今家の中はカミソリの刃が散乱していてとっても危険だ! 五分だ! 五分だけ待ってくれ! 扉は後で開ける」
「ちょっとぉ――――!!」
「兄さん――――!!」
「え――――っ!?」
直人は話の途中で又しても通話を切った……
自分はともかく美晴医師の命を危険に晒す訳には行かない!
直人は仕方なくすっぽんぽんの美晴医師に服を着せることにした……というかこの状況で他にやることがあるだろうか!?
――その時直人の頭の中で仕舞い込んでいた古い記憶が蘇った。
子供の頃、まだ幼かった唯の遊びに付き合って“着せ替え人形ごっこ”をしたことがあった……あの時はつまらなすぎてあくびが出たが……
たっ……楽しいじゃないかっ!?
本物でやる“着せ替え人間ごっこ”。
直人は思わず口から零れた涎を手の甲で拭った。
……とはいえ俺には時間が無い……この続きはいつか必ず“ジャック”と共に……直人は又しても法に引っ掛かりそうな良からぬことを考えていた……
とにかく、五分のタイムリミットを待って、ブチ切れた妹が家を吹っ飛ばす可能性があるのだ……
直人は急ぎ美晴医師に、ブラジャーやらパンティーやらワンピースやら靴下やらを着せて行った。
途中美晴医師が色っぽい声で「駄目よ! ジャック、そんなに激しくしないで♡」とか、
「じらさないで♡」とか、
「止めちゃ駄目♡」とかおねだりとも取れる甘過ぎる声を連発した。
思わず服を着せる手を止めたくなった正直者の猿さながらの直人ではあったが、しかしながら机上のスマホは休むことなく鳴り続けている……
手を止める訳には行かない!
直人は前後不覚の女性の色んな部分を止む無く触りながら……あくまで止む無くだ! そして止む無く涎を本人に垂らしながら服を着せていた……恐怖と興奮で心臓の高鳴りを抑えられない直人がそこにいた……
「よしっ! 我ながらグッジョブだ!!」
直人は本日二つ目の仕事……着せ替え人間ごっこ……に愉悦を感じつつも、腕時計で残りの時間を確認した……
「あと……一分……だと!?」
直人が裸の女性に服を着せて涎を垂らしている間にも、彼が自宅を失い爆死するまでのタイムリミットは、刻一刻と迫っていたのである……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます