第二三話「復学の日」

 スーハ―、スーハ―。

 兄妹はリビングで深呼吸を繰り返していた。

 直人は既に定番となった《オーダーメードアフロ》《サングラス》《マスク》の三種の神器を身に付けている。

 一方唯は《金髪ウイッグ》《牛乳瓶メガネ》《ブラックマスク》を装着済みだ。

 道端でこの二人と出くわしたが最後、誰もが身の危険を感じるに違いない……

 兄妹はもはや彼等の制服と化した変質者スタイル……もとい変装スタイルで学校への登校に臨もうとしていたのである。

「行くぞ唯!」

「行くしかないわね、兄さん」

 スライムに負けて以来、兄妹揃って学校に通うのは今日が初日である。そして直人にとっては今日が復学の日だった。

 直人は内心びびっていた……さっきからか身体の震えが止まらないのだ。

 学校に通う……只それだけのことなのに……


 ……はっきり言って怖い!

 病院の件、剃刀レターの件、連日のゴシップ記事、そしてテレビに至っては兄妹を袋叩きにする特番を組まれたのだ。

 新人勇者として颯爽とデビューを飾った彼等だったが、今や桐生兄妹の社会的なステータスは最下層……の下の下……更に下……否、人間として扱われているかも怪しかったのである……

 ……人の視線が怖い! 悪口が怖い! 嫌がらせが怖い!

 今や兄妹にとってこの社会は第二の戦場と化していたのだ。

 そして第三の戦場は学校だ。

 昨日唯は学校への復学を果たしたものの、生徒達から質問攻めに合い、気分が悪くなって授業の途中で下校を余儀なくされたのである。

 ――玄関の扉を開ける。

「よし、変な奴はいない。俺達以外は……」

「俺達以外は余計よ、兄さん……」

 直人は定番となった決め台詞を吐くと、唯が外に出るのを待って玄関のドアを閉めた。

 家の外では今日もデュランダルの自称警備員……実際には兄妹の監視員が待機していた。

 ……今日は三人か。

 その中にはあの最も危険なサイコ野郎“一撃の田中”もいた。

 夜勤明けだろうか? 今日の田中は通常の三割増しで薬の切れたジャンキーの様なギラついた眼光で辺りを睨め付けていた。

 運が悪かったのだろう……散歩中と思しき野良猫が田中と目が合ってしまい「フギャアアア――――――――――――――――ッ!!」という断末魔の叫び声の様な怪音を発すると、どこぞに向けて一目散に逃げて行った……

 勿論兄妹とてここが自宅でさえなければ今すぐ逃げ出したい所である。

 唯は何かを察知してすかさず直人の背中へと隠れている。

 賢明な判断だと直人は思った……

 一撃の田中は兄妹と目が合うと頭に手を当てて一応敬礼をした。

「これはこれは、桐生勇者殿……ふあああああああ……お早うございます……」

「お早うございます。田中さん」

「……………………………さん」

 直人に続き唯が直人の背中から小声で挨拶をした。

「留守中よろしくお願いします」

「……………………………ます」

 直人が言葉を選んで丁寧に言った……唯も一応言った……それもその筈だ……一撃の田中は厄介な相手ではあるが、もし彼がいなければ、今は目に見えない所に潜んでいるマスコミやパパラッチ、剃刀レターを送り付けてきた輩、そして近所のクソガキ共……もといお子様達に、あっという間に自宅を蜂の巣の如く、穴だらけにされてしまうかもしれないのだ。

 ……こいつらは必要悪なのかもしれない……直人はそう思って自分を納得させようとした。

 そこで一撃の田中が口を開いた。

「ふああああ……どうぞ安心しておでかけ下さい……勇者殿不在の御自宅は、我々がコイツで完膚なきまでにお守りします!」

 一撃の田中は肩から下げたアサルトライフルを、ポ――――ンッと叩いて見せた。

「勇者殿の敵は国家の敵、勇者殿に仇なす者は今日も一撃で仕留めて見せますぜ! ウヒッ……ウヒヒヒヒ……ウへへへへへへッ……」

「ひいっ!」

 唯の声を殺した悲鳴が背中越しに聞こえた……

 田中は「ウヒヒヒヒッ……」という奇怪な笑い声と共に、ギラついた視線で周囲をぐるりと睨め付けた……その動作と共に小鳥達が一斉に大空に向けて飛び去って行った……

 ……こいつっ!

 今、“今日も”とか言わなかったか!?

 聞き間違いでなければ言った筈だ……

 何てことだ!

 既に“前科”ありなのか!?

「……程々にお願いします」

「………………………ます」

 その言葉に対して一撃の田中の口元が邪悪に歪んだ。

 彼は返事の代わりに「ウヒヒヒヒヒ……」という病んだ笑い声で応えてみせた。

 兄妹はデュランダルによって “完璧に”警護された自宅を、後ろ髪を引かれつつも後にした。

 ……今日も家に帰ったら、近所で不審な死亡事故が起きていないか確認しよう……そう固く心に決めた直人だった。


 兄妹は以前渋谷の街をパニックにおとしいれた、かのスクランブル交差点に到着した。

 朝から相変わらずの、ごった煮状態の人と車の通過量である。

 ちなみに今の所、兄妹を勇者だと認識する者はいない様だった。

 信号待ちでしばし首を振り周囲を警戒する兄妹だったが、今の所まだ何も起きていない。

 それどころか近くに人が寄って来る気配も、写真を撮られたりサインを頼まれることも一切ない……

 何故か兄妹の半径五メートル圏内には人が寄って来ないのだ! 

 兄妹が動くと周りの何も無い空間ボイドも同時に動くのである……まるで目に見えない防御魔法が兄妹の周りに展開されているかの様だった。

 狙った訳ではなかったが、兄妹は近寄る者を強力な磁力で弾き返す“人間磁石”と化していたのである。

「今日の俺達の変装は完璧の様だな、唯」

 直人が小声で唯に話しかけた。

「完璧なのは変装ではなく変な恰好の方よ、兄さん」

 唯は事の事態を良く分っていない可哀そうな兄に一応突っ込みを入れた。

 兄妹は半径五メートル以内に如何なる者も寄せ付けない絶対防壁を引き連れながら、渋谷のスクランブル交差点を無事に通過した。

「ふ――――――――――っ」

 ……兄妹は安堵して深く息を吐いた。

 ここまでは今の所何の問題も起きていない……スライムに負けて以来、兄妹で登校するのは久方振りだったが、どうやら取り越し苦労だった様だ。

 兄妹は胸を撫で降ろしつつ、防御魔法を思わせる絶対防壁を引き連れながら、学校までの残りの道のりを歩いた。

 しかし、安堵するには早すぎたのだ……兄妹にとっての最大の難関は、彼等の目指す目的地――学校そのものだったのである!

 奴等は学校の校門前に、待ち伏せをして立ち塞がっていた……

 両腕を組みいかつい眼光を放つ様はまるで“金剛力士像”そのものだったが、それを彼女達に言うと殺されそうなので今は止めておこうと直人は心に誓っていた。

 彼女達の左腕に巻き付いた深紅の腕章には“生徒会”の三文字が誇らしげに刻まれている。

 その二人はかつてドッジボールで果し合いを行った兄妹の旧敵。


 ――UNPA日本校生・徒会長の高之宮早紀、書記の猫船美亜だった。

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