第八話「緊急病棟」

 ――桐生兄妹は緊急病棟へと担ぎ込まれていた。

 JR千駄木駅からほど近い場所にある日本医科大学付属病院には、この国が湯水の如く金を注ぎ込んだ最新医療設備、回復術師達が二十四時間体制で詰めていた……

 直人は身体をストレッチャーに完全に固定され、移送されている真っ只中だった。口は人工呼吸器で塞がれて、身体はゴムバンドで固定されており身体の自由が全く利かない……まるで生けるミイラ男の様だった。そして彼の体力はとうに尽きていた……負傷を追った身体でそれでも力を振り絞り、唯の元へ近づこうとしたのが裏目に出たのだ。

 自分は今、病院の廊下にいるのだろうか???

 頭が動かせないので先程から天井しか見ていない。

 嫌味な程真っ白い天井と、眩しいくらいに明るい蛍光灯の照明……それが反復して幾度となく視界を通り過ぎて行く……

 喧噪がステレオで自分を取り囲んいる。自分の周囲を複数名の医師が帯同し、素人には理解出来ない専門用語のやり取りを繰り返していた。ちなみに彼等の声は遥か彼方から聞こえて来た。耳の穴にスライムのジェルが大量に入り込んだ影響で、耳に幕をかけられた様に声が遠いのだ。

 直人は歯を食い縛り痛みに耐え続けていた……五刀流のスライムに切り裂かれた右の脇腹が痛むのだ。突貫工事で行った唯のヒール魔法は、傷口を完全に修復してはいなかったのである。

 そして何よりスライムのジェルを吸い込んだ肺が疼く様に痛むのだ。

 痛みが一呼吸毎に、寄せては返す波の様に繰り返し執拗にやって来るのである。

 拷問かよ! と直人は思った。

 痛み……痛み……痛み…………

 永続的にやってくる苦しみに直人は気が変になりそうだった。


 人が窮地に追い込まれた時に思い出すのは、一番大好きな人のことかも知れない……

 直人は最愛の妹のことを考えていた。

 唯……

 唯も今頃自分と同じ様に痛みに耐え続けているのだろうか!?

 スライムの体内で溺れ吐き出された後――デュランダルの救急医療チームの駆る救急車がやって来たのは、その僅か一分後のことだった……

 至近距離にいるのなら、何故人類の敵である怪物退治に協力しないんだ!?

 妹が殺されかけた手前、もし身体の自由が利いたなら、自分は彼等に殴りかかっていたことだろう……

 しかしその時の直人に出来たのは、うつ伏せで震える両肘を地面に付け、愛する妹の方に蒼白の顔を向けることだけだった……立ち上がる体力が無かったのだ。

 直人は祈る様な気持ちでその光景を見つめていた……見つめることしか出来なかったのだ……

 唯はAEDによる電気ショックと胸骨圧迫を繰り返し受け続けていた……通常その行為が必要になるのは、心停止した人間と相場が決まっている……

 幸か不幸か、人工呼吸は一切行われていなかった……唯は直人より長くスライムの体内に閉じ込められていた為、怪物のジェルを大量に吸い込んでいたのだ……いくら妹が超絶美少女とはいえ……デュランダルの医師とて、モンスターの体液を自分の体内に取り込みたくはなかろう……

 しかし唯が心肺蘇生を受けているということは……

 自分の妹の命が僅か十三歳でこの世から消え去ろうとしているということに他ならなかった。

 俺が唯を……妹を傷つけてしまった……

 俺は何てクズなんだ!

 直人は運命を呪い、無様な自分自身を呪った。

 今日は何て厄日だ!?

 気が付くと直人は自分自身に心の中で悪態を付いていた。

 ……今晩はスライムを一撃で仕留めてデビュー戦を飾り、囁かなホームパーティーを二人っきりであげるんじゃなかったのか!?

 そこでふと、直人の脳裏に嫌な想像が過った。

 ひょっとすると……

 否、ひょっとしなくてもだ……俺達は嵌められていたんじゃないか……

 この戦いをブッキングしたレンは俺達にこう言ったのだ。


「初戦の相手はスライムです!」

「レベル1の、この世界に存在する最弱のモンスターに他なりません……技は体当たりですが、そもそも体がジェル状の物質で構成されているので、痛くも痒くもありませんよ」

「一応彼等の弱点を伝えますが……人間の脳に該当する組織が、頭部の中央に存在します。ここを叩き割れば一撃で勝てます」

「我々のデータベースには、業を煮やした近所のオバちゃんが、勇者到着前にフライパンで一撃のもと叩き潰した……という記録が残っています」

「この意味をお分かりですか!?」

「勇者・桐生直人君、唯さん、一撃で仕留めて下さい!」

「あなた達の敵はモンスターそのものではありません」

「近所のおばちゃんです!!」

「くれぐれも……無様な戦いだけはしないで下さいねっ!」


 先頃もめにもめた高之宮早紀の件しかり、誰かが俺達を罠に嵌めたとしか考えられない……

 しかしレンが俺達を嵌めたとは思えない。思いたくない。

 あれだけ俺達のデビュー戦に備えて、親身に特訓に付き合ってくれたのだ。

 その彼女が初戦で俺達を葬る様な真似をするだろうか?

 ……答えはNO!だ。

 では一体誰が???

 考えて見れば鼻っからおかしかったじゃないか!?

 亡くなった小島兄弟。

 繰り上げられたトレーニング期間。

 スライムの皮を被った変幻自在の五刀流の化け物。

 誰が俺達を嵌めたのだ!?

 誰が俺の妹を殺そうとしたのだ!?

 勇者の命はどこぞの偉いさんによって、パペットの様に操られているのか!?

 直人は陰で自分達の命を操る存在を呪った…… 

 そして彼等に心からの悪態を付いた……

 ”死ねばいい”……と。


 しかしだ……俺達兄妹にも問題はある。

 俺達は完全に舐めていた。

 戦う前から、自分達が命を懸けて戦う相手を。

 そして何より勇者を殺したい程嫌う、未だ姿を見せない敵を。

 ……姿を見せない敵……それは恐らく……否、確実に人間なのだ。

 人間!? ……だと。

 直人は自分の考えにぞっとした。

 俺達の本当の敵は……人間!?!?!?

 直人の心を暗い感情が支配して行く……

 身体が……そして心さえも疼く様に痛い。

 その時、直人は遠くで「心臓の蘇生が成功しました!」という医師団の喚起の声を聞いた。

 それを合図に直人の意識は、緊急病棟に担ぎ込まれるまで完全に途絶えたのだった……

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