第七話「勇者 VS 下北沢のスライム 死戦」

 唸り声と共にエメラルドグリーンの刀身から爆風が吹き荒れる。

 秒速七〇メートルは下らない。

 直人が起動したのは極大暴風魔法だった……アヴァロンの魔剣が直人のヴリルを糧に、ハリケーンを素粒子から生成したのだ。

 直人の全身から紺碧のオーラが迸る……生命エネルギーであるヴリルをドカ食いされているのだ……

 この一撃に賭けると言った直人の言葉は嘘では無かった……唯に続き、直人のヴリルの残量も既に底が見え始めていたのである……


 ズシイイイイインッ!

 巨大スライムが軽々と宙に浮き、背後のビルに叩き付けられた。

 全長一〇メートルのスライムは、今やビルに張り付けにされて磔刑の状態にあった。

 一極集中して放たれる圧倒的な風圧によって、スライムの腹部がへこみ、肉のたるみが周囲へと拡がっていた……ドローンは撮影を続行しているが……放送禁止も有り得る醜悪な映像であることは明白だった……

 直人は極大暴風魔法を起動し続けていた。

 アヴァロンの剣のエメラルドグリーンの刀身が一際眩しく発光し、直人の身体からはおびただしくヴリルが消費され続けている……

 ……しかし、構うものか! 俺達兄妹はこの一撃に賭けたのだ。

 肥えたスライムは貼り付けにされた状態のまま身動きが取れない……

「今だ唯!」

 直人が声を張り上げて叫んだ。

 既に唯は爆裂火炎弾の魔法を起動していた。胸の手前に火の玉を思わせる灼熱のボールが生成されている……大きさ二メートル大……この"強豪スライム"を今度こそ間違いなく木っ端みじんに粉砕出来る代物だ……

 唯の握り締めるロッドが真紅に発光した。

 少女の顔には濃い影が射し、ルビーを思わせる赤い瞳は鈍い輝きを放っていた。

「私の街を破壊した罪をその身であがなえ――――ファイアーボム!!」

 唯の生成したファイアーボムが、爆音と共に大気を切り裂いて行く。

 灼熱の火炎弾が火の粉を撒き散らしながら、敵の土手っ腹目掛けて突き進む……

 ――その時、今まで余裕綽綽よゆうしゃくしゃくだったスライムの顔面が、初めて恐怖に歪んだ様に見えた。

「フムア―――――――――ッ」

 怪物が巨体をよじり、暴風のくさびから逃れようと足掻く……藻搔く……

「無駄だ!」

 直人が鬼の形相で叫ぶ。

 彼は自分に残されたありったけのヴリルを使い、敵を拘束し続けているのだ。

 唯のファイアーボムが膨大な熱量と共にスライムへと迫っていた。

「くたばれブタ野郎――――――――――!!」

 国際中継されていることなど全く意に介していない妹の汚い言葉が、ゴーストタウンと化した下北沢の商店街を貫いて行く……

 爆裂火炎弾は今、スライムの目と鼻の先に合った。

「ウガルア――――――――――!!」

 ファイアーボムが激突する瞬間、スライムは意味不明の雄叫びを上げた。

 その直後、兄妹は又恐るべき光景を目撃したのだ。怪物が自らの意思で、再度その体を変容させたのである……

 激突の瞬間、スライムの土手っ腹には円形の大穴が穿たれていた――正にドーナツさながらに体の中心に大穴が空き、今や奴の体はリング状態に変貌していた……そのリングの上方に目と小さな鼻……リングの下方に横長の口が目一杯引き延ばされて張り付いている……それはキモ可愛いと言えないことも無いことも無いが、食べたが最後一〇〇パーセント腹を壊すことが確約された、地雷の様なドーナツだった……

 唯のファイアーボムが、怪物が開けた穴の中心を今正に駆け抜けて行った――

「嘘…………でしょ…………」

 唯の火炎弾が、スライムが貼り付けにされていた後方のビルに直撃! ビルが細胞分裂するかの様に木っ端微塵に吹き飛んで行く……コンクリートと鉄とガラスが宙を舞う……商店街が白いもやで包まれて行く……

 その時――ディフェンスに追われていた超巨大スライムが動いた!


 怪物が爆風を利用して前方へと跳ぶ。

 敵の攻撃を利用して、反撃のチャンスに変える……スライムの癖に中々の頭脳派である……

 巨大スライムが下北沢の路上に影を落としながら、直人を飛び越え唯の頭上へ!

 直人は天を仰いだ。  

 凄まじい身体構造……既に腹の大穴は、完全に塞がっており元の状態へと戻っている……

 一〇メートルの巨大スライムが、直上から唯目掛けて落下して行った――

「おい……嘘……だろ…………」

 直人にはその時の光景がストップモーションの様に映っていた……

「唯――――――――――――――――!!」

 直人は喉が張り裂けんばかりに妹の名前を叫んでいた。

 ……唯は落下してくる怪物を下方から眺めていた……今これから死のうというのに、まるでテレビの映像を見ているかの様に……他人事の様にその光景を見つめている自分がいたのだ。

 敵と戦う以上、敵を狩る可能性と同様に、敵に狩られる可能性も十二分にあったのに……

 ……えっ?

 ……何が起きているの!?

 私どうなるの???

 えっ?

 ええっ???

 戦闘経験の少ない唯にとって、死は己とは程遠い別の世界の出来事だったのだ。

 それもそうだろう!

 唯は中学一年生、まだ十三歳なのだ!


 ……潰される!

 直人がそう思った瞬間だった。

 唯の小柄な身体はスライムの半透明の体内へと呑み込まれていた……

「唯!」

「唯――――――――――――!!」

 直人はパニックになっていた。

 妹が怪物に喰われたのだ!

 同時に直人のヴリルが底を尽きる。

 直人は左手を力の限り唯に向けて伸ばしていた……そこに今回の戦いで最大の隙が生まれた。

 スライムがアームを即座に生成する。

 片手持ちとなったアヴァロンの剣に、下方からスライムのアームが振り抜かれた。

 ガキ―――――――――――――ン!

 薙ぎ払われたアヴァロンの剣が直人の手を離れ、宙空高く舞い上がる……

 直人は自らの最大の武器を失っていた。

 しかし今は剣のことを気に掛けている場合ではない……

 俺の命はどうなってもいい!

 とにかく妹を助けるのだ!

 

 怪物の体内で唯は藻搔いていた……

 動けない……体が重く思う様に動けないのだ……ヴリル欠乏症によるものなのか? それともこの怪物の体内に満たされた謎の液体によるものなのか?

 それより何より……

 ゴボッ……ゴボッ、ゴボボボボボボボボボボボボボボボボボボッ……

 苦しい! 

 息が出来ない……

 スライムの体内はどろりとしたゼリー状の液体で満たされていた。

 苦しい……とくに肺が痛い! 痛すぎる……!!

 唯はスライムの体内で、半透明の蒼い天を仰ぎ、両手を伸ばした。

 呼吸がしたい……空気を胸一杯吸い込みたい……

 兄さん……兄さん……助け……

 唯の意識はそこで途切れた……


 直人が鬼の形相でスライムに近付いて行く。

 その時、怪物は唯を咥え込んだまま、上空へと大きくジャンプした。

 ……唯の時と同じだ!

 怪物と激闘を繰り広げたアヴァロンの剣は、既に彼の手を離れ遥か彼方の商店街の路上に突き刺さっている……

 ヴリルは風魔法でスライムを拘束した時に使い果たしていた……

 ……直人は又しても天を仰いだ。

 次の瞬間、直人は怪物の体内に取り込まれていた……

 スライムの体内のジェルが体に纏わりつき自由を奪う。

 首を必死に傾けて唯を探す。

 ……怪物の体内の中心に唯は浮かんでいた。

 苦しそうに両腕を天に向け掲げている……身体は蒼白で精気が無かった。

 直人は強く思った。

 ……十三歳の女の子がこんな死に様なんて……許されるのか!?

 俺達の世界に神はいない!

 この世界にあるのはブラック企業だけだ!

 ……それでも!

 直人は必死に藻掻き足掻き続け、遂には唯の元へと到達した。

 妹をしっかりと腕の中に抱きしめる。

 ……その時既に灰の中の酸素は空だった……

 自責の念が胸を締め付ける。

 俺は妹を守れなかった!

 俺は恰好ばかりつけて、カメラのことばかり……人の目ばかり気にして……何でもっと上手く戦えなかったのだ!? 何でペース配分に気を配れなかったのだ! 何で妹のことをもっと気にかけてやれなかったのだ?

 敵と戦う前はこう考えていた……

 ”これは初戦の相手だ。如何にデュランダルがブラック企業とはいえ、まさか初戦から強豪をぶつける筈がない! たかだかスライム一匹に一体何が出来るのだ!?” ……と。

 そう、その全てが自分の浅はかな思い込みだったのだ……

 何故敵を鼻っから舐めていたのだ!

 直人は得も言われぬ後悔に襲われていた……しかし全てはもう手遅れなのだ……気付いた時には、回復が不可能なくらいに手遅れな状態になっていることも現実にはあるのだ。

 ……唯! 済まない……

 許してくれ……

 直人は肺の中の酸素を使い果たし……大きく口を開けた。

 ――ゴバッ、ゴババババババババババババババババババババババババババババババババババ。

 スライム体内のジェル化した液体が、口から鼻から体内へと侵入してくる……気道が次々と塞がれて行く……

 呼吸が……呼吸が出来ない……

 俺はこんな所で……初戦で……スライムに惨敗して……死ぬ……のか!?

 苦しい……激痛で肺が痛む!

 何て……なんてザマだ……何て最後だ……

「唯……」

 直人は全身に激痛を感じ……そこで意識を失った……


 ――今回の戦いで、ドローンカメラの撮影監督を努めた田中は、モニター越しに勇者の戦いの一部始終を眺めていた。今彼はデュランダルが居を構える眺望の良い東京ミッドタウンの高層階にいるのだ。

 デスクにはいつもの様に、淹れたてのブルーマウンテンコーヒーが、お気に入りのマグカップに並々と注がれていた。その傍らには赤坂の老舗洋菓子店から取り寄せたチーズケーキが華を添えている。

 ――今ドローンは勇者の戦いの結末を撮影していた。

 スライムは体内に二体の勇者を咥えこんでいる。

 怪物は自らの体内で悶え苦しむ敵を、終始愉快な表情で眺めていた。

 口は完全にUの字に曲がり、体内から突き出したアームを、嬉しそうにばたばたと上下させている……ペンギンの様に見えなくもないなと田中は思った。

 数分後、敵は勝利を確信したのか? 二人の勇者を体内から吐き出した。

 体の一部から滑り台を思わせるチューブ状の管が出現、それと同時に中の二人はウオータースライダーさながらに外に向かって勢い良く排出された。

 勇者が既に死んでいるのか!? それとも生きているのかは現段階では不明だ……

 スライムは自らの勝利に酔っている様に見えた。

 ジェルで構成された体をアームでポン! ポン! ポン! とリズミカルに何度も叩くと、最後におもむろに……

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」という気持ちの悪い甲高い笑い声を上げた……

 勝利の雄叫びという奴だろうか!? このモンスターなりの……

 スライムは勇者をなぶり殺しにすることには興味が無い様だった……怪物は勇者をしばし見下す様に見つめると、やがてそれにも飽きたのか? 自らが転がって来た下北沢南口商店街の坂道を、体を弾ませながら戻って行った……

 恐らく……自分のねぐらに帰るのだろう。

 それにしても……

 撮影監督はお気に入りのチーズケーキを頬張りながら思案した。

 ……結局、怪物は倒せずじまいか。

 警官にも負傷者が出てしまった。

 市民の犠牲者が出る前に何とか手を打たなければ、今度は世論が騒がしくなる……

 それにしてもあの新人勇者、何て……何て無様な戦い方だ……

 しかし……全くもって無様ではあるが……視聴率だけは悪くない……

 撮影監督は空になったチーズケーキの箱をゴミ箱に頬り投げると、思わずにやりとほくそ笑んだ。

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