第六話「勇者 VS 下北沢のスライム 風の魔剣」

 巨大な鉄球と化したスライムが、兄妹目掛けて突き進んでいた……

 スライムが通過した後の地面に、縦横無尽にひびが刻まれて行く。

 あんなのに押し潰されたら、人体など一撃でぺしゃんこになるだろう……肉のミンチになること請け合いだ。

「も――――う、我慢ならないわ!」

 唯が怒りに肩を震わせていた。

 その瞳はルビーの様に真紅に染まり鈍い光を放っている。

 ……私のお気に入りの街が破壊の限りを尽くされている……これ以上見ていられない……

 私は勇者だ。勇者に成ったのだ。私はもう非力な子供じゃないんだ。

 ……お父さん、お母さん、力を貸して!

  唯は天国の両親に祈りを捧げていた……

「よせ、唯。今は魔法力をセーブするんだ!」

 唯の異変を感じた直人が叫ぶ。

 ……しかし兄の忠告は、ブチ切れた妹の耳には届かなかった。

 唯は振り向きざま、爆裂火炎弾を放った!

 直径一メートルを優に超える、煮えたぎる業火の爆弾。

 当たりさえすれば、敵は一撃で四散し絶叫と共に爆死するだろう。

「当たれぇ――――――――――!!」

 怪物を地獄へと導く灼熱の爆弾が唸り声を上げて疾走する!

 それを見たスライムの表情が激変した。

 スライムが急ブレーキを踏むかの様に回転を止める。

 同時に、茜色に染まる下北沢の大空へ向けて大ジャンプを敢行した。

 全長一〇メートルのスライムが、肉を弛ませながら宙を舞った!

 ……体重三〇〇キロを超える人間がトランポリンをするとこの様になるのだろうか? ブヨンブヨンッ……という擬音が今にも聞こえて来そうだった……テレビでは絶対に見せたくはない禁断の映像がそこにあった!

 その直後、唯の爆裂火炎弾は、大ジャンプしたスライムの足下数センチを抜けて行った――


「惜しい!」

 直人は放ったシュートがゴール脇を掠めて行ったサッカー選手の様に頭を抱えた。

 唯の変化に気付いたのはその後だった……

 掴いでいた唯の手から如実に力が抜けて行ったのである。

「唯! 唯!! おい大丈夫か!?」

「……大丈夫よ……兄さん」

「私……まだやれる……わ……」

 その言葉に反して唯の眼は虚ろで、大きく肩で息を繰り返していた。妹の姿が痛々しくて、直人は胸が締め付けられる思いがした。

 口には出せないが……彼のはらわたは煮えくり返っていた。

 モンスターに対してではない……

 デュランダル!!

 これが今日がデビュー戦の新人に対してブッキングする相手なのか!?

 油断し過ぎていた俺達も俺達だが……

 あいつらは初戦で新人勇者を殺すつもりなのか!?!?!?

 ……唯はヒール魔法と攻撃魔法の乱用で、魔法力を失いかけている……恐らく攻撃魔法が撃てたとしてもあと一発。

 俺が何とかするしかない!

 もはや格好何てどうだって良い! 勝てば良いのだ! 俺達は勝を拾い、命を明日へと繋がなければならないのだ。そうしなければ、亡くなった両親と小島兄弟に申し訳が立たない……

 ――その時、制空権を制したスライムが、上空からジェル爆弾を見舞った。

 唯が反射的に空に向けて手を翳す。

「唯、バリアーは貼るな!」

 直人が反射的に唯の手を掴む。

「力を温存するんだ」

 直人は唯をお姫様抱っこすると、ジェル爆弾の雨をステップでかわしながら、坂道を一気に駆け降りて行った。その態勢のまま唯に作戦を伝える。

「坂を下り切った所で道は開ける。そこで勝負を付ける!」

「どうするの? 兄さん?」

 スライムに俺達人間の言葉は理解できない筈だ。

 直人は坂を駆け下りながら大声で唯に作戦を伝えた……


 下北沢南口商店街の坂道を下り切ると、右手に餃子の王将、前方に花屋のユー花園が見える。 

 商店街はここを境に収束して行き、代わりにマンションが建ち並ぶ住宅地へと姿を変えて行く……このまま前方へと直進すれば、茶沢通りに突き当たるのだ。

 地の利は俺達にある筈だ……先程よりは!

 坂を下り切ったこの場所は、ぽっかりと空間が開けているのだ。

 狭い場所でジャンピングボディープレスの様な殺人技を繰り出されると俺達の命は無い。

 直人は持ち前のフットワークを活かし、足を使ってこのアホみたいに巨大化した敵と戦おうとしていた……そして最後は唯に……

 下北沢の空は紅一色に染め上げられていた……自然がこの戦いの為に演出をしたかの様に、禍々しい程紅い陽が彼等の背景を彩っている。今日ばかりは夕陽を見ても、何の癒しも何のロマンスも感じない……夕陽が血の色にしか見えないのだ……

 渇いた一陣の風が下北沢南口商店街を吹き抜けて行く。落ち葉と道端に捨てられたごみが軽々と宙を舞った。

 直人と巨大スライムは餃子の王将前で一直線に対峙していた。

 当然のことながら、店内には客もいなければ従業員もいない……既に下北沢一帯には避難勧告が発令され、人気の絶えることの無いこの街が、束の間のゴーストタウンを謳歌している様に見える。

 直人の一〇メートル後方には、ロッドを杖代わりにして、フラフラになりながらも立っている唯がいた。普段は愛苦しくピンク色に染まる唇からは色素が完全に抜け落ち、顔色は蒼白だった。

 ……何てことだ……俺は妹に何をさせているのだ……自責の念が胸を締め上げる……今、ここで決めてやる。スライムの皮を被ったブタ野郎め! ここが貴様の墓場だ!!

「アヴァロンの剣!」

 直人はアヴァロンの剣を中段に構えた。

 生命エネルギーの結晶であるヴリルを、アヴァロンの魔剣に二〇パーセント注ぎ込む。

 直後、剣に嵌め込まれたサファイア色の魔法石が青白く発光した……直人の生命エネルギーがアヴァロンの魔剣に吸われて行く……

 剣が脈打っている……

 まるで持ち主のヴリルを吸えて、嬉々として喜んでいる様だ。

 この剣は別名、アヴァロンの吸血剣とも呼ばれ、剣者のヴリルを糧に攻撃力を絶大に延ばす力があるのだ。

「うっ……ぐうっ……」

 ヴリルが剣に吸われて行く……

 まるで、傷口から血が止めどもなく流れ出して行く様だ……

 歯を食いしばり、身体の重心を落とし、両足を踏ん張り、力の限り地面を掴む。

「うわあああああああああ!」

 自分自身に気合を入れる。妹は兄である俺が守るのだ!

 直人の全身から紺碧のオーラが迸る……下北沢の街がマリンブルーのオーラに染め上げられて行く……

 敵は炎属性の魔法を使用する怪物……風属性の魔法で対抗するのだ!

 風の精霊シルフよ! 俺に力を貸してくれ!

 直人が描いたイメージに従い、アヴァロンの魔剣が風属性の剣へと変貌を遂げて行く。刀身が目にも鮮やかなエメラルドグリーンのオーラを発光する。剣を振るうと“ブ――――ン”という虫の羽音の様な唸り声を上げた。

「行ける!」

 アヴァロンの剣が風の魔剣へと生成を終えたのだ。


 直人はアヴァロンの剣を上段に構え飛翔魔法を起動した。

 一直線に巨大スライムの懐深くへと跳び込んで行く。

 早期決着を付けなければ、唯のダメージが深刻なものになりかねない……

「フン! フン! フン! フン! フン! フン! フン!」

 その時、直上からスライムの火炎連弾が降り注いだ!

 直人は左右にステップを刻みながら火炎連弾の猛攻をかわして行く。

 これは魔法の炎だ……相手がかけた呪術の効果により、直撃をくらったが最後、敵が完全燃焼し肉体が灰に変わるまで燃焼は止まらない……

 命懸けの戦い、怪物、街、剣と魔法、そして勇者。

 嫌な、何て嫌な世界だ……

 直人は自分の立場を呪いながら、今は只妹の為だけに怪物に突進して行った。

 急速接近する直人に、スライムが五メートルはあろうかという大型の火炎弾をぶっぱなす。

「でかすぎる、かわせないぞ」

 それならば……

「ぶった斬るまでだ!」

 直人が呼吸を深く吸い込むと、アヴァロンの剣を中心に突風が渦巻いた。

 アヴァロンの魔剣に大気のエナジーが吸い寄せられて行く……何て……何て強大な力だ……

「ウインドスト――――――――ム!」

 直人は火炎弾に向けて長剣を振り降ろした。

 風は刃と成り、凶器と化した風が空間を切り裂いて行く。

 スライムの五メートル級の火炎弾は一撃で消滅、尚も怪物に向けて突き進んだ。

 ガキイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!

 高調波の金属音!

 周囲のビルの窓ガラスが木っ端微塵に砕け散る。

 鼓膜に激痛が走る。

 スライムは体内の下半身にあたる部分から、日本刀を思わせるアームを突き出して、ウインドストームの攻撃を凌いでいた。風圧の余波が巨大スライムを吹き飛ばし、怪物は餃子の王将の入ったビルに叩き付けられていた。

 弾かれたウインドストームは、王将に隣接するビルの上層部を真っ二つに切り裂くと、最後には夕暮れの下北沢の空へと消えて行った。


 スライムは態勢を立て直すと、股間に生成したアームを左右に振って素振りを何度も繰り返した。威嚇しているのだろうか? それとも誘っているのだろうか??? セクシャルな意味は無いと思いたいが、場所が場所だけにかなり卑猥な物を感じた直人だった……

「勝てる!」

 直人はスライムとの間合いを一気に詰めると、風属性を有したアヴァロンの長剣を左右上下から振り抜いた。エメラルドグリーンの刀身がギラリと光り、スライムに肉薄する。

 スライムはアヴァロンの剣の攻撃をアームで防いではいたが、突風の余波に煽られて立っているのだやっとだった……

 巨大化したのが裏目に出たのだ……体幹が弱く風魔法の影響を受けやすい。

 相手が又五刀流になろうが、これならば関係は無い。

 敵の体幹をぶらして隙を作り、最後に止めを刺す。

 一〇メートル級のスライムが、アヴァロンの剣の風圧でよろけ、ビルに幾度となく激突を繰り返した。

 ……とどめだ!

 直人は一瞬背後を振り返った。後方の唯とアイコンタクトをかわす。互いに愛し合う兄妹というものは、目だけで感じ合えるものなのだ……変な意味では無く……

 直人が再び呼吸を深く吸い込んだ……暴風が巻き起こり、周囲の事物が宙を舞った……その中心にはアヴァロンの魔剣があるのだ。

 魔剣を携えた直人が、一気にスライムとの間合いを詰めて行く。

 ……敵を懐に捉えた!

 狙うは怪物の左脇腹だ。

 アヴァロンの魔剣を横一文字に振り抜く。

 キイイイイイイイイイイイイイイイイン!

 ……敵がアームでディフェンスするのは計算済みだ。

 スライムが生成したアームを、アヴァロンの剣圧で弾く。

 正中線ががら空きだ……敵はノーガードでその肥えた巨体を晒している。

「聖霊よ、貴女の力を此処に開放する…………」

「シルフィ――――――――――ドォ!」

 詠唱と共に直人は長剣を縦一文字に振り抜いた。

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