第五話「勇者 VS 下北沢のスライム 恐怖! 高機動スライム」

 駅に程近い下北沢南口駅前商店街の入口で兄妹は身構えていた。

 道幅五メートル弱……車がすれ違えない程の狭い道。

 彼等の背後には井の頭線の高架、十字路の左手にはマクドナルドがある。

「怪物が隠れるにはぴったりの場所だ……」

 兄妹は下北沢南口駅前商店街へと進入した。

 ゲートを潜ると道は下り坂に変わり、商店街が延々と続いているのが見える。そのまま坂道を抜けて行けば茶沢通りへと合流し、三軒茶屋方面に抜けることができるのだ。坂を下りきった所に餃子の王将、更に進むと花屋のユー花園に突き当たる。

 その昔、大雪降り積もる極寒の日に、直人はこの商店街でスノボをやっている若者と遭遇し、あわや轢かれそうになったことがある……何が彼を駆り立てたのかは不明だが、演劇の街だけに常識が通用しないエキセントリックな人間が多いのかもしれない……

 そして人間の常識が通用しない極みともいえる怪物を、今は勇者となった直人は追跡しているのだ。

 既に兄妹は二人して息を弾ませて、肩で息をしていた……ペース配分に失敗したのだ……

 直人よりもより唯の方が深刻で、ヴリル欠乏症により陶器の様に白かった顔は蒼白へと変わり果てていた……

 この勝負、早急に決着させなければ危ない……初戦でしかもスライムに敗れ帰らぬ人になる可能性が出て来たのだ……そうなった場合、俺達は死んだ両親に天国……或いは地獄でどんな顔をして合えばよいのだ!?


 ――兄妹が息を弾ませながら周囲を確認する。

 直人は下北沢南口商店街の下り坂に目を凝らしていた。

「どこに逃げやがった――――っ! 臆病な野郎め――――!」

 直人はこの期に及んでテレビ向けの発言を繰り返していた……兄妹の周りを旋回するドローンの存在が気になって仕方がなかったのだ……

 その時傍らの唯が「あわわわわわわ…………」と、奇妙な声を上げた。

 直人の肩を叩き必死になって兄の注意を引こうとする。

「どうした唯、ヴリル欠乏症か!? 魔法はここぞという時以外使うな」

「違うわ兄さん……後ろ……後ろを見て!」

 唯が全てを言い終わる前に直人は異変に気付いていた。

 兄妹が立つ周囲の空間だけが、すっぽりと漆黒の闇に呑まれていたのだ……その影は寄る者全てを喰らい尽くすブラックホールの如き不気味さを湛えていた……影が異様な瘴気を放っているのだ……直人の心を絶望的な予感が支配して行った。

「唯、ここは俺に任せてくれ。体力を温存するんだ」

 直人はテレビ向けのコメントをカメラ目線で終えると、後ろを振り向きながら格好良くアヴァロンの剣を引き抜いた。

 カメラを意識しながら正面にいる敵を見据える!

 所がだ! 敵は直人達、人間の目線にはいなかったのである……

 変身を終えた超巨大スライムの姿がそこにあった。

 ――身長一〇メートル。

 三階建てのビルに匹敵する圧倒的なでかさ。

 怪物は何とも涼し気な表情で、兄妹を直上から見降ろしていたのである。

『この雑魚どもが! お前等この俺とやれるのか!?』

 とスライムの顔には書いてあった……まあ実際の所、この怪物の一切の思考は不明だが、直人にはその様に見えていたのだ……

 戦いにおいて、でかい奴に見下されると、不安極まりない気持ちになるものだ。

 果たして相手に勝てるのか?

 そもそも勝負になるのか?

 尻尾を撒いて逃げ出すべきじゃないのか? 

 等々と勝負の前に疑問符が次々と沸いて来るのだ……

 しかし、この場合はそのスケールが違っていた。

 身長一〇メートル……身長差八メートル二十二センチ。

 直人は間抜けにも、ポカーンとした表情であんぐりと大口を開けていた……余りのことに空いた口が塞がらなかったのだ……そんな直人を急接近したドローンがすかさず撮影していた。

 ……でかい!

 でかすぎるう――――!!

 一体どう闘えば良いのだ!?

 直人の頬を止めどもなく冷や汗が流れ落ちて行く。

 一方のスライムは余裕よゆう綽綽しゃくしゃくだった。

 怪物の湛える余裕は兄妹との手合わせ後、五割程増している様だった……挑戦者を迎え撃つ王者の風格がそこにあった……兄妹は一匹のスライムに、べろんべろんに舐められていたのである。

 スライムは巨大化した自分に対して、敵がどんなリアクションをするのか楽しんでいる様だった……ドッキリを行う仕掛け人はこのような心境になるのかもしれない。

 一方勇者である兄妹は、金の為に嫌々ながらもリングに担ぎ上げられた挑戦者に成り下がっていた。

 表情は完膚なきまでに引き攣り、思考は完全にフリーズしている……今の直人にカメラを前にして格好付ける余裕などある筈も無かった……カメラの存在を完全に失念していたのだ。

「兄さん、作戦は?」

『無い……』と言う言葉を、直人は喉元で必死に噛み殺した。

 直人は唯の細く白い腕をしっかりと掴むと、作戦内容を伝えた。

「一時撤退する!」

 ……それが作戦と言えるのか? というとはっきり言って怪しかった。

 兄妹は揃って敵に背を向けると、下北沢南口商店街の下り坂を一気に駆けて行った。


 ――敵前逃亡と戦術的撤退は違う! と直人は思っている……ではどう違うんだと突っ込まれると『詳細は俺ではなくネットにでも聞いてくれ!』とこの時の直人はそう思った……とにかく逃げながら次の手を考える方法を彼は選んだのだ。とかく敵を前にして、足を止めることは何よりも危険な行為だからだ。

 その時兄妹の背後で、ド――――――――ン! ド――――――――ン! という鼓膜を突き破らんとする爆音が耳を突いた。巨大な鉄球が廃棄処分のビルをリズミカルに壊す様な音だった。

 何が起きているのかは、後ろを見なくても何となく分かるが……

 兄妹は蒼白い顔で同時に背後を振り返った。

 ――そこには超巨大スライムが、バウンドを繰り返しながら、下北沢南口商店街の坂道を駆け降りる姿があった。

 悲しいことにスライムの体の横幅は、商店街の道幅に完全に一致していた……つまり兄妹に逃げ道は無かったのである。

 怪物がジャンプする度に、所狭しと並んで立つ建物が次々と倒壊して行く。

 まるでドミノ倒しの様だった。

 ……コイツ!

 楽しんでやがるのか!?

「ハハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 スライムの渇いた笑い声が、下北沢南口商店街を包み込んで行く……

 気色悪い事この上無いが……スライムの口元はUの字にひん曲がり、眼球にまで完全にくっ付いていた……これがこの怪物のフルスマイルなのかもしれない……知りたくもないが……とにかく悦に入っていることだけは間違いない……

 一度特撮ヒーローの怪獣役になって、ミニチュアの街を思う存分壊してみたい……そんなことを考えたことのある直人だったが……まさか数年後、追われる立場からそのリアルな姿を見ることになろうとは……

 一〇メートル級の巨大スライムが、ジャンピングボディプレスを繰り返しながら、兄妹に肉薄する!   

 怪物が着地をする度に、ヒビがアスファルトへと縦横無尽に刻まれて行く。

 敵は超巨大! 加えて速かった!

 ――高起動スライム――そんなネーミングがぴったりくるスピーディーな動き。

 兄妹は足をもつらせながら必死に坂道を駆け降りた。

 何て無様なんだ!?

 勇者である俺達が、敵に背を向けて逃げているだと!?

 敵は一匹のスライムだぞ!?

 しかし……

 もはやドローン越しの観客の目なんてどうだってよかった。

 今になってようやく気付いた――

 これは命を懸けた戦いなのだ。


 下北沢南口商店街の坂道を、妹の手を取り決死の覚悟で下る。

 狭い道の両側に、こじんまりとした商店が肩を寄せ合う様に連なり、どこまでも延々と軒を並べている。小さな店が細胞の様に寄せ集まり、この多様性に満ちた……と言えば格好は良いが、ごった煮としか言いようがないカオスの街を形成しているのだ。

 貧乏だった兄妹は……今でも性根は貧乏だが……現実の生活に疲れ果てると、この街に来てはウインドウショッピングを楽しんでいたのだ…… 

 古着屋、雑貨屋、カフェ、劇場、ドーナツ屋、百均ショップ、バー、牛丼屋、ラーメン屋、パン屋、靴屋、CD屋兼レコード屋、寿司屋、花屋、ドラッグストア、ステーキ屋、ライブハウス、古本屋……

 自由な空気がそこにあった……だからこの街が好きだったのだ。

 横目に入ると同時に、後方へと消し飛んで行く商店街の景色。

 それら全てを、スライムは通り過ぎることで片っ端から破壊しているのだ。

 正に今しがた、兄妹が足繁く通ったミスタードーナツが、スライムのジャンピングボディプレス一発でぺしゃんこに破壊された所だった。

 俺達の大切にしていた世界が、俺達が守れなかったせいで、粉々に砕け散って行く……

 ――その時。

 坂道の途中で、スライムの殺人技であるジャンピングボディプレスの音が止んだ……

 ……今度はなんだ!?

 まだ……まだ何かあるのか!?

 兄妹は更なる嫌な予感に恐れおののいていた。

 身体の震えが止まらない!

 先程から膝が笑いっぱなしだ。

 夢なら今すぐ覚めて欲しい!

 ……勇者としてのプライドなど今の彼等には微塵も無かった。

 兄妹は圧倒的な強者であるスライムを前にして、心底びびりまくっていたのである。

 既に、ド――――――――ン! ド――――――――ン! という例の圧壊音は消えていた……

 その代わりに聞こえて来たのは……

 何かとてつもなく重たい物が、坂道を転げ回る様な音だった。

 そう、落石した岩石が山肌を転がる様な……

 見たくはない!

 見たくはないが……

 兄妹はしばしの葛藤の後、揃って背後を振り返った。

 何てことだ!?

 落石した岩石よりタチが悪いじゃあないか……

 逃げ道などある筈もない。

 スライムは左右に建ち並ぶ店という店を削り取りながら、下北沢南口商店街の坂道を転げ回っていた……

 快調にレーンを突き進むボーリングの玉さながらの軽快な動き。

 的は俺達勇者の首!?

 直人の頭の中でボウリングのピンと、自分達の姿がピタリと重なった。

 スライムが回転する度に、ジェルが周囲に飛び散り、商店街に巻き散らされて行く。

「アハハハハ! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 ……コイツ!

 遊んでやがるのか!?

 俺達勇者を相手に……たかだか一匹のスライムが……

 人間ボーリングに興じている……だと???

 これが人智を超えた怪物との戦いなのか!?

 狂っている――!!

 怪物の渇いた笑い声が、街を狂気一色に染め上げて行く。

 スライムがその回転速度を上げる!

 目的はただ一つ――

 兄妹をぺしゃんこに引き伸ばして轢き殺すことだ。

 息が切れる……

 心臓が破裂しそうだ!

 二人の駆け出し勇者は、敵に背を向けて唯轢き殺されないことを願いながら、商店街の坂道を全力で駆けて行った。

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