第二話「勇者 VS 下北沢のスライム 開戦 」

「勇者、桐生直人・唯到着しました――」

「遅いぞ!」

 挨拶するなり、兄妹はいきなり叱責を喰らった。

 ……致し方ないかもしれない……倒れている同僚は背中を深く切られ、今正に命の灯が消え様としているのだ……

 死に体の警官は、背中を鋭利な刃物か何かで裂かれていた。おびただしい量の出血。全身がどす黒い血の色で染め上げられた彼は、まるで血の池に沈んでいる様だった。

「治療するわ!」

 唯は重体の警官を見るなり倒れている警官に飛びついていた。

「ヒ――――――――――ル!」

 唯の全身から真紅のオーラが迸る。

 直人が敵そっちのけで怪我人の治療をする唯とスライムの間に割って入る。

 ……敵が何を考えているのかは皆目見当が付かないが、今の唯は攻撃を受けたらイチコロだろう……無防備すぎるぞ、唯……

 警官の傷口が僅かづつではあるが、塞がって行く。

 唯のヒール魔法により、生命エネルギーたるヴリルが物理次元に変換され、傷口を塞ぐ糸となり切り口が縫合されて行ったのだ。

 直人は敵であるスライムと、警官の回復具合を交互に見ていた。

 ……それにしても……何てことだろうか!?

 直人は思わず頭を抱えていた。

 スライムが…………直人のイメージした通りのスライムだったのである。

 子供の頃よくやっていた人気のRPGを彷彿とさせる造形。

 モンスターが先に誕生し、ゲームが物真似をしたということか?

 それに……直人は目の前のスライムに得も言われぬ違和感を感じていた……

 ぱっと見では……このスライムは怪物と言う感じはしない。

 UFOキャッチャーにでも入っていそうな可愛らしい外見だ……しかし、こいつこそが後ろで倒れている警官を切り裂いた“張本人”なのだ。


 直人がチラリと後ろを振り返る。

「治療はまだか? 唯」

「……もう少し……もう少しよ兄さん……」

「今ここで、傷口だけは塞がないと……」

「……この人は助からない!」

 唯の全身からおびただしい紅色のオーラが放出されている……ヴリルが凄まじい勢いで消費され続けているのだ。

「唯! ここでヴリルを使い過ぎると……」

 直人の問いかけに唯はキョトンとした表情で答えた。

「何言ってるの兄さん……」

「え!?」

「相手はたかがスライム一匹よ」

「まあ……それはそうだが……」

「魔法力が尽きても、私のロッドで殴れば倒せるわ」

「一撃でね」

「それよりも……」

「今晩の献立は決まったの?」

「ちゃんと考えといてよ……ど~~せすぐに終わるんだから……」

「それにほら……一応ボーナスも出るしね♡」

 唯は目の前にいる初戦の相手よりも、倒れている怪我人と何よりも今晩の献立に御執心の様だった……

 勇者には固定給で月給が出る他、怪物を倒した時は敵のレベルに応じて"討伐料"と言う名のボーナスが支払われるのだ。

 唯はそのボーナスを、今晩の献立のメニューに充てろと言っているのである。

 ……しかし唯!

 肝心なことを忘れてないか?

 スライムのレベルは最弱の【1】だぞ。

 レベル1のモンスターのカテゴリーは、

 余程のことが無ければ……《近所のおばちゃんでも倒せるレベル》

 である……

 ボーナスは決して期待するな唯! 直人は心の中で妹に突っ込んでいた。

「終わったわ!」

 唯は額の汗を拭って言った。

 唯の仕事っぷりに、近くで容態を見守っていた同僚の警官は驚きで目を丸くしていた。

 重体だった警官の背中の傷は見事に塞がっており、青白かった顔色には精気が戻りつつある。

「あ……ありがとうございます!」

 先程とは打って変わった感謝の表情で警官は言うと、相棒を肩に担いだ。

「今のは応急処置です。一応病院で精密検査を受けて下さい」

 警官はその言葉に深々と頭を下げると、その場から立ち去った。

 ……今の警官、勇者の魔法を目の前で見るのは初めてだったのかもしれない……だいたい魔法力を有する市民の数は一万人に一人だ……

 そう俺達はここ日本においても、又世界においてもマイナーな存在なのである。


 下北沢駅前広場には、勇者である兄妹とスライムを除いて他に誰もいなかった。

 市民の安全は確保したのだ。

 桐生兄妹はようやく怪物であるスライムとまともに向き合っていた。

 怪物……と言えども、敵はたかだかスライム一匹。

 レベル【1】の最弱の相手だ。

 唯の言う通り早々に格好良く一撃で倒すのが賢明というものだろう。

 倒した後でドローンに向かって決めポーズでも取ってやろう……ゴールを決めたサッカー選手の様に。

 ……その後で女性ファンが増えて、グッズも売れて……フフフフフ……フフフフ……

 色と金欲に負けて妄想に歯止めが利かなくなって行く直人がそこにいた。

 そんな直人のスケベな心情を一発で見抜き、唯が咳払いをした。

 いかん……直人は思わずよだれの垂れた口元を拭い、腰に挿したアヴァロンの剣を引き抜いた。

 闘い方や立ち振る舞いもボーナスの査定の材料に入るのである……気を付けなければいけない。

 直人が生命エネルギーたるヴリルを開放する。

 直人の全身が紺碧のオーラで包まれて行く。

 今回、アヴァロンの剣へのヴリルの供給はしない……アヴァロンの剣は別名、吸血の剣と勇者仲間からは呼ばれているのだ。仮に剣者が生命エネルギーたるヴリルを供給した場合、アヴァロンの剣はその威力をパワーアップさせることができる反面、剣者のヴリルは目に見えて減少して行くのである。

 何よりも、自分の剣にドクドクと献血を行っている様なあの感じが嫌だな……と直人は思った……子供の頃から献血の類は大の苦手なのだ。

 相手はたかがスライム一匹……アヴァロンの剣にヴリルを供給するまでもない。

「一撃で仕留める!」

 直人はドローンに向けてカメラ目線で“一撃”宣言をした……無論女性ファン開拓を狙ってのことだった。

 直人がスライムに向けて颯爽と間合いを詰めて行く。

 中段の構えから一気に敵の間合へと踏み込む。

 直人はスライムの頭頂部目掛けて、死の切っ先を振り降ろした。

 ……勝ったな! と直人は思った。


 しかしそれは全くの過信だったのだ……

 戦いにおいて敵を舐めた時点で、彼等の勝機は減少に転じていたのである。

 キ―――――――――――――ン!

 高調波の音が耳を突く。

 重金属同士がぶつかった時の音だ。

 周囲のビルの窓ガラスが粉々に砕け散り、雪崩の如く落ちて行く……

 ――直人が見たのは、体を真っ二つに裂かれて絶命する哀れな怪物の姿ではなかった。

 彼の一撃は何と、レベル【1】と目されるスライムにディフェンスされていたのである。

 スライムの頭頂部には、ロボットアームを思わせる高質化した腕が生成されていた。腕の先端は磨き抜かれた日本刀さながらに尖っている。まるで野生動物のツノの様だ。

 ……これで警官をやったのか!?

 直人のこめかみから冷や汗が流れ落ちて行く。

 初戦から真剣同士の切り合いかよ!

 しかも……相手はスライム……だと!?

 つばぜり合いの状態から、スライムが生成したアームで直人を突き飛ばした。

「何て……何てパワーだ!?」

 直人は面食らっていた……正直びびっていた……カテゴリー最弱、レベル1のスライムに!!

 これが人外である怪物の実力という奴か!?

 ……しかし……とてもじゃないが、近所のおばちゃんでも倒せるレベルではないぞ! それとも近所のおばちゃんの戦闘力は……俺がそう考えていなかっただけで……誰もが剣道有段者と渡り合えるレベルなのか!?

 直人はスライムにパワー負けしてすっ飛ばされながら、近所のおばちゃんの戦闘力について思いを巡らせていた……

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