第3章 駆け出し勇者

第一話「下北沢のスライム」

 ――夕暮れ時。

 下北沢駅前広場にその怪物は出現した。

 体長一メートル弱の円錐形、真ん丸の二つ目と細長い眉、鼻を思わせる二つの穴、左右に引き延ばされた横長の口……青い半透明の体の向こうが僅かに透けて見えている。

 そいつはモンスター界最弱の怪物。

 ――スライムだった。


 怪物は人目を引く……学生や主婦、会社帰りのサラリーマン等、皆が足を止めてその怪物に見入っていた。手にしたスマホで写真を撮り、SNSで投稿を行っているのだ。

 人は人を呼ぶ。ましてやここは下北沢だ。僅か数分後には、群衆の数は数百人に膨れ上がって行ったのである。

「怪物とは言え所詮スライムだ」

 誰かが口にした。

 そう、スライム一匹ならば、勇者でなくとも何とかなる……そんな油断があったのかも知れない……

 群衆は怪物の突然の出現に逃げ出すこともなく、むしろそのサプライズを楽しんでいたのである。

 人々に取り囲まれて、そのスライムはアイドル化していた……

 女子高生や子供はこう口にした。

「カワイ~~~~」

「キモ可愛い♡」

「お持ち帰りしたい♡♡♡」

 ……しかし見た目とその本性が時に真逆なのは、人間だけに限った特性ではない。そう、怪物とて例外ではないのだ……


 怪物の討伐を一手に引き受ける国際組織・デュランダルは焦っていた。

 下北沢に突如現れては霧の如く消えて行く……神出鬼没のこの怪物に対して、市民への避難勧告が遅れていたのである。

 警官隊はスライムへ近づこうとする群衆への対応に追われていた。

 怪物と闘うのは勇者だが、彼等が来るまで市民の安全を守るのは、警察の仕事になっているのだ。

 しかし……見るからに弱そうなスライムを前にして、警官の一人は訝っていた。

 ……スライムを倒すだけなら勇者でなくてもできるのではあるまいか?

 そう俺達警官でも……一般市民でさえも……

 RPGの世界では、レベル1のプレーヤーが棍棒で戦える相手だぞ!? そして俺達は棍棒……ではないが、警棒を持っているのだ。

 見た目に関して言えば、その怪物は全然強そうに見えない……それどころか、どこか可愛らしくさえあったのだ。

 畜生! 上の取り決めさえなければ……俺が今すぐ警棒で叩き割ってやれるのに!

 警官は怪物に遭遇した時、多かれ少なかれそんなジレンマに駆られるのだ。

「勇者はまだか!」

 警官の一人が叫んだ。

 膨れ上がる群衆……その数は優に三〇〇を超えようとしている。

 もはや派出所に詰める警官だけでは、誰がどう見ても人手不足になっていたのである……

 そんな状況で惨劇は起きた――

 スライム相手に気が緩んだのだろうか?

 群衆の中から一人の女子高生が抜け出し、スマホ片手にスライムに近寄って行ったのである。

「おい、近付くな!」

 警官の一人が、女子高生を怪物から遠ざけようと、二者の間に割って入る……警官は無防備な背中を怪物に晒していた……

 その時だった。

 ズバッ――――

 同僚の警官は肉が割ける嫌な音を聞いた。

 

 そのスライムは群衆を睨め付けていた。

 必要以上に人間が近づいたのがいけなかったのかもしれない。

 愛くるしかった表情は一変し、見るからに不機嫌そうな顔に変貌を遂げている。

 ジェル化した円錐形の体内からは、ロボットアームを思わせる一本の長い腕が伸びていた。

 腕は硬質化しており、先端は日本刀の様に鋭利な刃物と化している。

 警官は背中を深く切られ、前のめりにその場に崩れ落ちていた……

 卒倒した警官を中心に血の水たまりが勢いよく拡がって行く。

 警官の目は虚ろであり、口から吐血を繰り返している。

 正に絶体絶命の状態だった。

「ギャ―――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」

 群衆が同時に叫び声を上げた。

 それが合図だった。

 一瞬で群衆の心理は一転したのだ。

 彼等の心理は興味から逃走へと変化したのである。

 群衆は人を撥ね飛ばし、突き飛ばし、我先にと逃げ惑った。

 平和だった夕暮れの時の商店街が、秒速でカオスへと変貌を遂げる。

 ノイズとしか言いようがない人々の騒めきが、波紋の様に街へと伝播して行く。

 群衆は皆、他人のことなど全く気にしてはいなかった……ましてや背中を刃物で抉られて、昏倒する警官のことなど誰も気に掛けてはいなかったのだ……

 ……自分さえ助かれば良いのか!?

 仲間を手に掛けられた警官は深い憤りを覚えていた。


 ――その時、二人の勇者が逃げ惑う群衆の流れに逆らい、怪物目指して突き進んでいた。

 市民が逃げる方向の逆に進めば、我々の初陣の相手に出くわす筈だ。

 二人の勇者――桐生直人・唯兄妹は、下北沢駅前広場へと歩を進めていた。

 彼等の傍らでは複数台のドローンがハエさながらに飛び回り、先程から勇者の姿を撮影し続けている。勇者の戦いの様子は動画配信され、勇者協会(The braves association)の活動資金へと変わるのだ。

 直人は出発時にレンから聞いた話が腑に落ちなかった。

 情報ではスライムの攻撃を受けた警官が死に体だと言うが……

 スライムにそんな戦闘力があるのか!? RPGの初期装備の代名詞"棍棒"で殴り倒せる相手……それがスライムではないのか!?

 所で、これが初陣となる直人は戦士の装備を身に纏っていた。胸部と肩、腕にプロテクターを装備した機動性を重視した出で立ち。腰にはコーディネーターから譲り受けた魔剣アヴァロンが刺さっている。

 ちなみに戦士のコーディネートはレンが担当した……全体的に青っぽい衣装は、青侍をイメージしたのだと言う。

「フレッシュでピッチピチの勇者・桐生直人君にピッタリですね♡」

 と、鼻息の荒い上気した顔を近付けて言われてしまった。

 “闘いに見た目など関係ない”

 “見た目などはっきり言ってどうだっていい”

 等と、硬派を気取っていた直人だったが、女性ファンが増えてグッズも売れる! と言われて即座に考えを改めたのだった……

 勇者は月々に貰う給料とは別に、グッズ展開などで儲けた金額を、インセンティブとして取得できるのだ……直人の瞳に福沢諭吉の姿と円マークが明瞭に浮かんだのは言うまでも無かった……勇者になり高額の給料を約束された今も、未だに貧乏根性が抜けないのだ。

 一方唯は、赤い色彩に彩られた魔法使いスタイルだった。

 インナーに鎖帷子くさりかたびらを着込み、背中から魔法防御力の高いローブを羽織っている。魔法使いは敵の魔導士の攻撃を受けやすい為だ。

 近接戦闘も睨み、手には強化金属製のロッドが握られている。

 直人はそんな唯を、上気した表情で長いこと見つめてしまい……

「兄さん、Hな目でそんなに見つめないで……」

 と、紅潮した顔でモジモジしながら言われてしまったのである。

 無論そのセリフは、直人に取って御褒美以外の何物でもなかった……

 とにかく魔法使いの衣装に身を包んだ唯は、鼻血が出そうなほど可愛いと思う直人だった……実際スチール撮影を担当した辻彩加は、興奮しすぎて鼻血を終始噴きまくり、撮影中に卒倒した挙句救急病院に直行したのである……これで二度目だ! 最終的にはサブカメラマンとして控えていたサトカナの手を借りて撮影は無事終わったのだが……これも二度目だ! 技術力はあるが撮影のできない専属カメラマンってどうなんだ!? と思う直人だった。


 そんなしょうもないことを回想しながら、勇者・桐生兄妹は下北沢駅前広場に到着した。

 駅前だというのに人気は無く、実に閑散としている。商店のシャッターは根こそぎその門扉を閉ざし、皆口を閉じた貝さながらに何者かの侵入を頑なに拒んでいた。

 地方都市のシャッター通りを彷彿とさせる寂れた光景がそこにあった。

 そんな人気の途絶えた下北沢にいたのは、倒れた警官と彼を庇う同僚、そして人類の敵たる怪物だけだった……

 ――スライムは今、目と鼻の先にいた。

 ……これがリアルな怪物か!?

 VRではない、TVゲームでもない生の怪物。

 つまり俺達の初戦の相手?

 こいつがか???

 直人は初めての実戦を前に、まるで緊迫感が感じられないことに当惑していた。

 怪物というものは、勇者を見るなり殺意剥き出しで襲い掛かって来るものではないのか!?

 しかしながら当のスライムは、下北沢駅前広場を我が物顔でぴょんぴょんと跳び跳ねて遊んでいる……スーパーボールが弾むが如き驚異の跳躍力で……

 こいつは、自分が切り裂いた死に体の警官のことなど、まるで眼中に無いのだ……その姿は暇を持て余してすっかり退屈している夏休みの子供の様に見える。

 それにしても……勇者の存在さえも軽~~く無視するとは!?

 直人は肩透かしを喰らい、すっかり拍子抜けして、急速に戦意が抜けて行くのを感じていた……真面目にやることがアホらしく思えたのだ。


 治療が必要な警官。

 油断した勇者。

 ブッキングミス。

 今思えば、悪条件が色々と重なっていたのだ……

 ――こうして勇者・桐生兄妹の、命懸けの危険な初陣が幕を開けたのである。

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