第一三話「勇者の登校」
――兄妹の日常は一変した。
彼等はいつもの様にカツラとメガネ、そしてマスクを着用して家を出た。顔ばれしたくない人の必須変装アイテム“王道三点セット”である。
しかし、彼等の変装にはいくつかの特筆すべきポイントがあった。
直人の頭には給料を前借りしてまでわざわざ特注したカツラ……その名も“オーダーメードアフロ”とレイバンのサングラスが、一方唯は金髪ウイッグと厚さ二センチはある牛乳瓶メガネを身に纏っている……
もはや変装の域を遥かに通り越した異形の怪物がそこにいたのだ。
自宅を警護するマッチョなSPと挨拶を交わし、学校へと歩を進める。片道一〇分ちょっとの危険な通学路である……
兄妹は“今までの生活を変えたくない”という理由で、レンの進めた黒塗りハイヤーでの車送迎を断っていたのである。
自宅を出てすぐの十字路で、直人は唯と目配せをした。
「大丈夫だ……危ない奴はいない……」
……俺達以外は……直人は心の中で呟いていた。
唯は直人の言葉を聞いて肩を落とし、一つ溜息を付いた。
「兄さん、何でいつもこんな格好しなきゃならないの? 校則違反もいいとこよ!」
唯の言っていることは正しい……それを証拠に生徒会には早くも目を付けられている。
しかし兄妹がレンや担任の先生と話し合い、これが無難だろうという結論に至ったのだ。
最も目立ちたがり屋で、アイドルを目指している唯には不評を買った訳だが……
――そう、勇者に選ばれてプレスリリースされて以来、兄妹の日常は一変した。
サインをせがむ自称ファン、報道陣と言う肩書きのパパッラッチ、合うのが初めての自称友達、ストーカー行為を繰り返す自称恋人、等々に囲まれて……兄妹のプライベートはあっという間に崩壊したのである……
コーディネーターのレンは「平日は学校に通ってもらっても構いません」と言う発言をしていたが、実際にはそれは難しいことだったのだ。
あれは勇者としてプレスリリースされた、翌日の日のことだった。
兄妹は現在の様な変質者スタイル……ではなく、素顔をさらして学校へと向かっていた。
駅に着くまでにもちらちらと、妙な視線が気になってはいたのだが……
――そして事件は起きた。
これまではあっさりと通過していた、渋谷のスクランブル交差点での出来事だった。
信号待ちで立ち止まった、僅か一〇数秒後のことだ。
気が付くと兄妹は、自分達を中心に、二重三重の人垣に囲まれていたのである……
「何が起きた!?」
直人は驚きの余りパニックになっていた……皆が皆、手にしたスマホで、断りもなしに勝手に写真を撮りまくっている。どこからそれが出て来たのか!? 色紙を持って当然の様にサインを要求してくる人々の群れという群れ……
最終的に兄妹を撮影した写真はすぐさまSNSにアップされ、彼等が今渋谷のスクランブル交差点にいることが、あっという間に拡散して行ったのである。
兄妹が立ち往生して僅か数分後、人垣の輪は数千人に膨れ上がっていた。
ただ困惑する直人をよそに、唯は取り囲んでいるファンに向けて、握手をしたり手を振ったりして答えている……
天性のアイドル性という奴だろうか? しかしそれが原因で、人垣の数はもはや交通渋滞を引き起こすレベルにまで達しつつあったのだ。
歩道に入りきれない人が車道にまで膨れ上がって行く。ついには車を止めて写真を撮る人まで現れた。今や渋谷の中心地は、人や車の流れが完全に静止したカオスの世界へと変貌を遂げていたのである。
直人はまるで、自分がパニック映画の主人公になった様に感じていた……
このままでは収集がつかない……しかし唯は、憧れていたアイドルの様に人々から崇められて、完璧に舞い上がっている……
一方直人は、自称ファンのお姉様方に、顔やら腕やらおっぱいやらを押し付けられて身動きが取れなくなっていた……嬉しいやら苦しいやら、もう何が何だか良く分からない直人だった。
しかし事態は、予想もつかない形で収束したのである……
ド―――――――ン!
銃声が耳を貫いた……
兄妹を中心に膨れ上がっていた群衆が、一斉に辺りを見回す。
「今度は何だ!?」
直人は迫り来るおっぱいの圧を残念ながら跳ねのけて、音のする方へと向き直った。
交差点の対面には信じられない光景が広がっていた……
――そこにはアサルトライフルを持った数百名の機動隊員が、臨戦態勢で仁王立ちしていたのである。
嫌な予感がする……
直人は悪寒を感じ、ファンによって自分から遠ざかってしまった唯の元へと進軍した……人垣を搔き分けて強引に突き進む。
「唯!」
直人は叫び、手を伸ばし、しっかりと唯を抱きしめた。
「兄さん、あいつら……」
「間違いない……俺達の知っている奴等だ」
物々しい格好をした武装集団……
忘れもしない……兄妹が勇者に任命されたあの日、彼等の逃亡を阻止した連中だった……
“デュランダル”――表向きは勇者の活動を支援する国際組織……国内では司令官J・スペンサーを筆頭に、レン達コーディネーターやSP、機動隊員等から構成されている。
……しかし、勇者業から逃亡を計る人間には死の制裁を加える、非常な面を併せ持つブラック組織だ
そのブラック組織――デュランダルの機動隊員総勢数百名が、アサルトライフルを携えて渋谷のスクランブル交差点に近付きつつあった。
「奴らの目的は俺達だ、間違いない」
「みんな、私達から離れて! あいつら撃ってくるわ!」
唯が声を張り上げて叫んだ。
彼女は自分を取り囲むファンを、心底心配している様に見えた。
それはそうだろう! 理由はどうあれ自分に興味を持つファンが、目の前で撃たれるのを黙って見ている人間などいない。
「早く逃げて――――!!」
唯が再び叫んだ。
先程の発砲と唯の必死の警告で、兄妹を取り囲む群衆が波が引くように遠ざかって行く。しかし逃げ惑う群衆は、完全にパニックに陥っていた……群衆同士でぶつかり合い、吹っ飛ばされ、転倒する人も見受けられた。
市民のことはどうでもいいのか!?
直人の脳裏にこの組織に対する疑念が再び走る。
――今や機動隊員は兄妹の目と鼻の先にいた……アサルトライフルを携えて、一糸乱れぬ行軍で、真っ直ぐにこちらへと近付いてくる。
「兄さん……何でこうなるの?」
「私、ファンのみんなともっと仲良くなりたいのに……」
唯は拳を握り締め小さな身体を震わせていた。葛藤、怒り、恐怖……様々な感情が駆け巡っているに違いない。
「唯……気持ちは分かるが、今はこの場を切り抜けることに集中してくれ」
直人は唯をかばう為に、機動隊員との間に割って入った。
「全員――――――止まれ!」
号令と共に機動隊員は兄妹の五メートル手前で一斉に停止した……0.1秒の誤差も無い規律正しい動きだった……
これから戦争でも始める気か!? 緊張のあまり思わず身体が強張る。
「桐生直人・唯勇者殿ですか?」
全機動隊員を後ろに従えて、見るからに屈強などでかい男が直人の前に歩み出た。
「私はこの部隊の隊長である岩田と申します」
「は、初めまして……」
まるで巨岩だった。
そしてある意味モンスターにも通じる見た目の恐い男だった……身の丈一九〇センチはあろうか? 筋肉はパンパンに張っており、機動隊を辞めて今すぐボディービルダーに転職すべきと思える程のガタイの良さ。額と頬には刃物で切られた様な鋭利な切り傷があった。
唯は小動物の様に身を小くして、直人の背中の陰に完璧に隠れていた……直人は妹が又腹話術を始めないことを切に願っていた……
直人はビビりつつも、目の前の大男を見上げた。
「それで、今回は何の御用ですか?」
思わず声がうわずる。
「コーディネーターのレンから、緊急招集がかかったのです」
そう言うと岩田は、胸ポケットからごついスマホを取り出し、直人に向けて画面を見せた。
ディスプレイには、SNSのサイトが起動しており、タイトルにはこう書かれていた……
《渋谷の街が大パニック!? 新参勇者ここに見参!》
画像には渋谷スクランブル交差点の風景と、兄妹の写真が何枚もアップされていた。
直人はそれを見て
自分はこれまで学業と仕事を両立してきた……勇者業だって例外ではない……今回も両立させるつもりだ……しかし、学校に通学さえできないのであれば、話にならないではないか!?
「桐生勇者殿は、我々の車送迎を断ったと聞いています」
「はい。俺と唯の希望です」
「しかしこのままでは
兄妹は自分達の周囲を見回した。遥か彼方で群衆が事の顛末を見守っている。
信号待ちの度に群衆に囲まれたら、学校に辿り着くことさえできない……
「そこでどうでしょう? 今回は私達が勇者殿を警護して、学校まで送迎させて頂きます」
「はい……仕方……ありませんね」
普通の生活を送りたい……兄妹の思いは家を出て僅か数分で、弾けたバブルの様に目の前から忽然と消えて行った……
こうして二人は、ライフルを持つ禍々しい機動隊員に警護され、学校への登校を果たしたのだった。
勇者としてプレスリリースされた翌日の日の出来事だった。
校門で怯える先生と生徒達をよそに、岩田隊長はさも平然と言い放った。
「それでは、これから毎日機動隊員百名で、勇者殿を送迎させて頂きます」
「よろしいですか?」
……勘弁してくれ。
軍隊と化した百名の機動隊員を前に、直人は心の中で呟いていた。
――こうして兄妹の、カツラとメガネ、そしてマスクと言う変質者スタイルでの登校が確立されて行ったのである。
……変質者とお近づきになりたい者など世の中にはいない。
問題は去り、兄妹は平穏な日常を取り戻したかに見えた。
ところが、渋谷の街を巻き込んだトラブルは、兄妹の永い受難の始まりに過ぎなかったのだ……
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