第一〇話「戦闘訓練」

 ――翌週の月曜日。

兄妹は学校帰りに東京ミッドタウンに向けて足を運んでいた。

本日から勇者として怪物と戦う為の、戦闘訓練を受けなければならないのである……その東京ミッドタウンに隣接するひのきちょう公園の地下深くに、怪物と戦う為のシミュレーションルームがあるのだ。

 公園内の池を右手に眺めながら直進すると、程なくして日本家屋の縁側を思わせる休憩施設へと辿り着いた。

 長く突き出た天井には立派な瓦屋根が敷き詰められており、その下でスーツ姿のサラリーマンが池を見ながら菓子パンを食べていた……仕事をさぼって縁側でご休憩とは大層なご身分だな……直人は心の中で毒づいていた……そう、俺達は平和な日常から離れ、これから曰く付きの仕事に行かなければならないのである。

 ……今日のカリキュラムは怪物退治の予行演習だ……できるならあの男と代わりたい。

 隣の芝生は青く見えると言うが、その時の直人には仕事をふけて菓子パンを食べるサラリーマンが、黄金色に輝いて見えていた……

 その瓦屋根の休憩施設の背後に、シミュレーションルームへと向かうエレベーターがあった。無論このエレベーターは誰しも利用できる代物ではない。表向きは公園の管理者が利用できることになっており、扉の前に設置された鉄柵には《関係者以外の利用を固く禁じます》の一文があった。勿論、関係者にどっぷりと浸かっている兄妹には、幸か不幸か関係の無い話である。

 直人は気持ちを切り替えて、エレベーターの《▼》ボタンを確認した。 

 見ると《▼》ボタンの上に、指紋認証用のセンサーが付いている。直人はレンに言われた通り、そこに指をかざした。

 エレベーターの扉が音もなく開く……同時に、照明と天井に設置された監視カメラが作動を開始する。

 兄妹は一抹の不安を感じながら、揃ってエレベーターの中へと入って行った……まさかあの菓子パン男も、公園の直下に勇者専用の訓練施設があるなどとは思うまい。

 コンソールを確認する。エレベーターの内部には《▲》《▼》の二つのボタンしか設置されていなかった。直人が《▼》ボタンを押すと、エレベーターは地下空間へ向けて、果てしなく長い下降を開始した。


 ……どれだけの時間が経過したことだろう……時計は見ていないが、優に一分以上は経っている筈だ。

 室内には「ウイィ――――――――――――――――――――――――――ン」という規則正しい音以外、何も聞こえてはこなかった。

 間が持たない……こんな時は妹鑑賞にかぎるな……直人はそれとなく隣の唯に目を移した。

 今日の唯はパンダの顔がドアップでプリントされたTシャツに、白黒チェック柄のミニスカートを履いていた……今日の唯も見た目に限ってはいつも通りに可愛いのだが、うちの妹は性格まで常に可愛いという訳ではない……

「なあ唯……」

 直人は唯の顔色を伺いながら、さりげなく声を掛けた。

「昨日の女性が言ったことだけど……」

「……兄さんが言いたいのは、サトカナさんの言ったあのいっやらしいセリフのことかしら?」

「…………………………」

「さっきは凄かったわ……ゼーハー、ゼーハー……君の身体……脱ぐと逞しいのね♡……ゼーハー、ゼーハー……って奴ね! で、それが一体何!?」

 唯は昨日のサトカナのセリフを、本人そっくりの完璧なモノマネで言ってのけた……それにしても、若干脚色されている気がするのは気のせいだろうか?

「べ、べべ、別にやましいことは……何もしてないっていうかさあ……」

「ふ~~~~~~ん、どうだかねっっ!?」

 今日の唯の当たりはいつにも増してきつかった……腕を組み、上目づかいに直人の目をやぶさめの的の様に射抜いている……時間をさかのぼれば昨日から射抜かれ続けている……実際目に穴が開くのも時間の問題の様に思える……事実、昨日は土手っ腹に穴が開きかけたのだ。

「べ、別に、変態の兄さんがいつどこでどんな女の子と何をしようが、私には全~~~~~~っ然関係なんて無いんだからからねっ!」

 そう言うと唯は、餌を頬張るリスの様に頬っぺたを膨らませ、プイッとそっぽを向いてしまった。家の妹は性格まで可愛いという訳ではないが、怒った顔も別に悪くはないと思う直人だった……加えて怒った妹に罵られるのもまんざら悪くは無い……と一人悦に浸る変態の直人がそこにいた……

 唯をそれとなくでていると、程なくしてエレベーターの扉が開いた。

 エレベーターの前には又、指紋認証で施錠しなけらば開かない扉が現れた。一度唯と顔を見合わせた後で、直人は人差し指をセンサーの前にかざした。扉はもったいぶった様に何とも重々しく開き、二人の新人勇者にその門を開いた。


 兄妹の前には細く長く無機質な通路が、只延々と延びていた。靴音を響かせ、無限に続くかと思われる通路を直進する。そこは静寂に支配された人工的な空間だった。直人は先程見た公園の自然が恋しくなっていた。ここには無駄な物が何一つとして無い……例えば仕事をふける菓子パン男とか……つまり落ち着かないのだ。

 通路を歩いていると、何度か左手に扉が現れた。それぞれフロア1、フロア2と書かれている。

 最後に出現したフロア3の前で立ち止まる。ここが事前にレンから指定されたフロアだ。扉の前にはやはり指紋認証のセンサーがあり、部外者の侵入を頑なに拒んでいる。

 ……デュランダルのオーナーは指紋認証マニアか何かだろうか!? それとも親族に指紋認証装置でビジネスをする輩がいるとでもいうのか!?

 直人は半ば呆れて、本日三度目の指紋認証を行い、見るからに堅牢そうな扉を開錠した。

 ゴ――――――――――――――――――ッという重苦しい音と共にその扉は開かれて行った……地獄の門をくぐる様な心境でその中へと入る。

 兄妹は目の前に出現した驚愕の光景に、思わず言葉を失った。

 扉の先には何と――――

 円形闘技場が広がっていたのである。

 テレビで何度か見たことがあるローマ式の円形闘技場に似ていた。直径一〇〇メートル以上あろうか? 中央の闘技場を取り囲む様に、周囲には観客席が設置されており、最上部にはアーチがおごそかにそそり立っている……


「これは一体!?」

兄妹は口を揃えて呟いていた。

「お待ちしていました」

 入口の横に立っていたスーツ姿のレンが二人に声をかける。

「どうですか? 私達のこの設備!」

「金のかけ過ぎでしょう!」

直人は思わず突っ込んでいた。

 未だ貧乏暮らしが抜け切らない、兄妹の率直な感想だった。

「最高の人材には、最高の舞台を用意する……これが私達の方針です」

 兄妹はその舞台に圧倒されていた……まさか東京のど真ん中にこんな場所があるなんて! 地下を大きく刳り貫いて、勇者の為だけにこんな施設を作ったのか??? 唯の口はポカ――ンと開きっぱなしだ……それはそうだろう! 先週まで晩御飯の金を節約する為に、近所の商店を駆けずり回っていたのだから……

「それで……ここで何をするんですか?」

 直人の質問にレンは思わずズッコケていた。

 気を取り直して立ち上がると、澄ました顔で乱れたスーツを直し、机におかれた怪しげな備品を指差した。

「まずはあれを装着して下さい」

 机にはVRゲームで使用する様なヘッドセット、つなぎのパイロットスーツ、そしてグローブとおぼしき物が二組づつ置かれている。

 まさか兄妹仲良くVRゲームをして終わりではあるまい……

 レンが机を指さして言った。

「これは仮想現実に再現された敵と戦う装置です。お二人にはバーチャル空間の中で、凶悪なモンスターと戦って頂きます!」

「モンスターの動きは、過去に勇者が戦った映像から再現してあるのでとてもリアルですよ」

「そういうことですか」

直人が返事を返す。

「それでは着替えて下さい」

「……………………………」

 ……その時、直人の頭に試着室ですっぽんぽんにされた目くるめく体験……じゃなかった……悪夢が蘇った。

「着替えですが……パンツは履いてもいいんですよね?」

 直人が質問すると、レンと唯が同時に振り返り、露骨に不愉快な表情をした。

「下着を脱ぐ必要はありません。パンツがあってもつなぎは着れるでしょう? それとも勇者・桐生直人君は、人前で全裸になる趣味でもあるんですか?」

 “ある!”という言葉が漏れそうになった直人だったが、冗談でも口にするとヤバそうな雰囲気だったので一応口をつぐんだ。

「ど~~せレンさんに、下着を脱がすのを手伝って欲しいんでしょう? サトカナさんみたいにねっ!」

 唯の鋭い視線が頬に刺さる。若干の期待と共に周囲を見回した直人だったが、サトカナの姿はここにはなかった……

「試着室はあちらです。脱ぐのはご自分でどうぞ」

 レンは表情を変えず、冷静に氷の対応をした……


 つなぎのスーツを肩に担ぎ、試着室に入る……スーツ自体は軽量化されており、見た目に反して以外と軽い。至る所にセンサーが設置されたスーツを着用し、全面のジッパーを閉める。それからやはりセンサーだらけのグローブをはめて、最後にヘッドセットを被った。ヘッドセットを被ると、自動で電源がオンになる仕組みだ。

 着替えに手間取る唯を待って、兄妹は揃って円形闘技場へと入って行った。

 それにしても、バーチャル空間で戦うのなら、こんな阿保みたいに壮麗で予算のかかる円形闘技場が必要だったのだろうか???

 何故ならバーチャル空間の世界も、兄妹のいる円形闘技場そのものだったからだ!

「VRスクリーンの左上に、武器と書かれたフォルダーがあるのでタップして下さい」

 言われるがままにタップすると、種別毎に分類された武器がズラリと現れた……剣・杖・銃・爆弾・毒等々……直人はその中から剣をタップして、見るからに格好良い”ズルフィカール”と書かれた剣を選択した。

 すると、直人の右手に先端が二又に分かれたサーベルが出現した……刀身は青白く光り輝いており、振り回すとどこぞの映画で見た光剣の様にブ~~~~~~~ンッという羽音を立てる。

 一方唯は、《マインドブレーク》なる杖を手にしていた。唯を視認すると、直人のVRスクリーン上に、唯の武器やHP・MPが表示された。

「他に服装なども選択できるので、お好みでそうぞ」

「…………………………」

 何か言いたそうな直人に対してレンが釘を刺した。

「このマシーンには、勇者・桐生直人君の大好きな“全裸”機能はありませんよ! あいにくですが……」

 …………無いのか!?

 直人は心の中で舌打ちすると、服装から全裸……じゃなかった……渋々鎧を選択した。一方唯はやはりというか魔法少女を選択した。

「初めはレベルの低いモンスターから始めますので、戦闘に慣れて行って下さい」

「はい」

 兄妹が揃って返事をする。

「それでは開始します! レディー・ファイト――――!!」

 レンの戦いの宣言と共に、バーチャル空間での勇者戦闘訓練が開始されたのである。

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