第九話「プレスリリース」

 その後兄妹は、報道陣に対してプレスリリースされた。

 つまり勇者の初勤務は定時間では終わらなかったのである……

 初日から残業かよ……ブラック企業だな……と直人は思った。兄妹は今疲労困憊の状態で、マスコミの白日の下に晒されていたのである。

 ともあれ周囲を確認する……ここデュランダルはホームではない……敵地なのだ。

 プレスリリースはホテルのパーティー会場を思わせる厳かな部屋で行われていた。

 天井からは幾らするのか見当も付かない程豪華なシャンデリアがぶら下がっている。兄妹はそんな会場で、用意されたフォーマルなドレスに身を包み、豪華な椅子に腰かけていたのである。

 貧乏暮らしが板に付いている直人は、そわそわとして落ち着かず、今すぐ唯と家に帰りたい気持ちで一杯だった……しかしそんな直人も、来賓の綺麗なお姉さま方をチェックすることに関してだけは余念が無かった……

 会場には優に三〇〇人を超える関係者が詰めかけていた。全員がドレスを着用し、胸元にはデュランダルのシンボルカラーである真紅のポケットチーフが挿さっている。

 兄妹が座っているステージの背後には、【新勇者誕生! 桐生直人・唯兄妹】の吊り看板が掲げられ、右下には《勇者ランキング一一位》の文字が記載されている……兄妹はまだ他の勇者に会ったことがないが、日本では現在一一組の勇者が登録されており、モンスターからこの国の平和を守る役目を負っているのだ。新米である兄妹は当然一一位からのスタートであり、順位が上がる毎に月給にインセンティブが加算される仕組みである。

 現在勇者ランキング一位を保持している《二階堂竜司・ベネディクト沙月》ペアは、月給を軽く超えるインセンティブを貰っているらしいが……


 ――午後八時。プレスリリースが開始された。

 熱を帯びた会場で、兄妹は満場の視線を一身に集めていた。直人に取ってこれは拷問に等しかった。元来人前は得意ではなく、プログラマーを生業とする彼の舞台ではなかったのだ。

 そんな緊張でガチガチに固まった直人に向けて、女性アナウンサーが唐突にマイクを向けた。

「桐生直人君、日本中があなたを見守っています! 勇者としての抱負を聞かせて下さい」

「……抱負ですか?」 

「そうですねえ~~、沢山稼ぎたいです!」

 その回答にレンは、口に含んでいたワインをブ―――――――――――ッと残さず吐き出していた。

 ワインが気管支に入ったのだろうか? ゲホゲホ言いながら、むせ返りつつ苦しんでいる。いきなりどうしたというんだ? 可哀そうに……直人は舞台の上で自分が当事者であるという自覚が全くないまま、藻掻き苦しむレンの様子を見つめていた。

 一方、パーティー会場はざわついていた……

 直人の空気を読まない発言に、顔をしかめたり、失笑する者さえいた……事情はどうあれ、ここは大人の発言をするべきだったのだ……

 怪訝な表情をする大人達を前に、妹の唯がすかさずフォローを入れる。

「兄が今言ったのは、沢山モンスターを倒し、この国の平和を維持したい! という意味です……結果的に勇者ランキングが上がり、収入にも繋がるのではないかとは思いますが……」

「そ……そうです! 俺達は金の為に戦う訳ではありません!! え~~とぉ~、何だっけ? この国の平和を守りたいとは思ってはいます……」

 直人の全身から冷や汗が、ナイアガラ瀑布の様に流れ落ちて行った……

「な、成程……それでは妹の桐生唯さん! あなたの抱負を聞かせて下さい」

 唯は眩いスポットライトの中、無数のフラッシュを浴びていた……しばし沈黙を保ち、観客の注意を引いた後、唯は言い放った。

「この国から怪物を根絶します!」

「お――――――――――――――――――――――――――――っ!!!」

 こういう発言を聞きたかったんだ! とばかりに、報道陣と関係者が唸った。フラッシュが一斉に焚かれ、唯の好感度は一気に頂点へと登り詰めて行った……

「親子が平和に暮らせる国を作りたいです。それが私達兄妹の願いです」

 唯はそう言うと直人にウインクし、手を伸ばした。

 直人は差し出されたその小さく可憐な手をしっかりと握り締めた。

 ……過程はどうあれ、最終的に美しい兄妹愛の絵がそこにはあった!

 天使の様に可愛らしい妹と、か弱い妹を守る兄の姿が出現したのだ……報道陣はうっとりとしてその光景をいつまでも見守っていた……

 ――勇者は聖人君子であることが求められる。

 後日、テレビで放映された映像では”美しい兄妹愛! 桐生直人・唯 新勇者誕生”のテロップが掲げられ、直人の「稼ぎたいです!」発言は完全にカットされていた……

 事実は人知れずにねじ曲がる……兄妹が大人の社会を垣間見た瞬間だった。


 ――午後九時。

 プレスリリース後、ようやく勇者の初勤務が終了した。

 しかし実際に勇者として戦うまでには、シミュレーションルームでの模擬戦を一〇〇時間も受けなければならないのだ。そしてデビューまでは東京ミッドタウンのトレーニングルームまで通い続けなければならない。無論学業の後で……

 しかしそれは又来週の話だった。

 所で、プレスリリースを終えた兄妹は、先程の撮影スタジオへと足を運んでいた。

 唯が撮影でお持ち帰りOKと言われていた魔法少女のステッキを貰う為だった。

 少女趣味を前面に押し出した、キラキラとして可愛らしいデザイン。唯はステッキを受け取ると、童心に還ったのか? くるくるとステッキを回しながら、自分自身もバレリーナの様に回転して遊んでいた。

 そんな中、撮影スタジオで後片付けを行うスタッフの中に、直人を全裸にしたくだんの幼女……ではなく、幼女風の成人女性・サトカナを見つけた。

「あっ……試着室ではどうも……」

 直人は思わず顔面を真っ赤っ赤にして挨拶した。

 兄のぎこちない態度に何かを察したのだろうか? プレスリリースでは天使の様だった妹が、今は悪鬼さながらの物騒な表情で二人のやりとりを見つめている……

「あら……桐生直人君、もう帰るの?」

「私もね、これから上がるの……それで、良かったらどうかな? 出会いを祝して、これから二人で食事でも……」

 サトカナはもじもじしながら、上目遣いで直人のことを見つめている。

 お……お誘い~~~~♡ 俺、まさか口説かれてんの!? 勇者全然悪くないじゃん!!

 直人は一瞬、隣の唯を忘れて有頂天になっていた……

 そんな兄の下心を察したのだろうか? 妹の頬っぺたが“ぷく~~~~~~っ”と膨れ上がって行った……魔法のステッキを握る手が、小刻みにカクカクと震えている……

 サトカナは幼女体形で可愛らしいが、こともあろうか成人女性の持つ色気さえも持ち合わせていたのだ……つまりいたれりつくせりだった……このまま地の果てまでも同行したいのは山々だが……

 ど~~せいつ死ぬか分からないし……

 しかしだ……そこで直人の心に急ブレーキがかかった。

 ベキイイイイイイッ!

 下を向いた唯が、おもむろに魔法少女のステッキを真っ二つにへし折ったのである。


 先程まで見つめ合っていた二人が、恐る恐る唯の方を振り返った。

 ……唯の身体からはどす黒い瘴気が立ち昇っていた。

 直人とサトカナの額を一条の冷や汗が伝う。

 嫉妬に狂った妹程恐ろしいものはない……一体何をしでかすのか? 実の兄でも見当が付かないのだ……

「あの~~直人君。やっぱりお姉さん、今日は少し疲れちゃったから、これで上がらせて貰うね……」

 直人は横目で唯の顔色を伺いながらサトカナに微笑んだ。

「また今度ね♡」

 サトカナは残念そうな顔をしてくるっと踵を返した。

「あっそうだ……」

 彼女は後ろを向いたまま直人に話しかけた。

「さっきは凄かったわ……君の身体……脱ぐと逞しいのね♡」

 サトカナはそう言い残すと、スタッフの輪の中へと足早に消えて行った。

 その言葉を受けて唯の表情が、天使以外の何者でも無い少女から、地獄の鬼神そのものへと変化して行く……

「このロリコンがあ~~~~~~~~~!!」

 踏み込みと同時に、唯の渾身のボディーブローが、直人のどてっ腹に炸裂した。

「ぐはあああ――――――――――――っ!」

 ダイナマイトが爆発したかの様な衝撃だった。

 直人は前のめりになって思わず膝を付いた。

 パンチが減り込んだ場所からはくすぶる白煙が立ち昇っている……

 い……意識が遠のいて行く……報道陣の前では天使の仮面を被っていた……ということなのか!? つまりこちらが素!! 全国民が確実に騙されるぞ……

 お……俺の妹は……天使の仮面を付けた……鬼神……ガクッ…………

 直人は悶絶しながら気絶して、前のめりに地面へとダイブして行った。

 ――嫉妬した妹の恐ろしさを知った、勇者初日の日の出来事だった。

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