第五話「勇者労働契約書」

「それでは勇者業の説明を行わせて頂きます。質問は随時して頂いて構いません。全ての説明を終えた後で、勇者労働契約書に拇印をお願いします」

 つまり……こちらの意志は関係ない……ということだ。

 納得しようがしまいが、最後に捺印をさせられるのだ……直人は顔をしかめた。仮にここで「サインはしない!」と言ったらどうなるのだ!? 今日中に死刑が執行されるのだろうか???

 レンは銀色の目を光らせて、緊張する兄妹をよそに説明を始めた。

「契約書にも記載してありますが、今から口頭で説明させて頂きます」

「勇者の任期は三年間です。通常勤務は平日月曜日から金曜日。午前九時から午後六時までの実働八時間労働になります」

「午後六時以降は残業扱いとなりますので、別途残業代1.25倍の給料が発生します」

「ちなみに午後十時以降は深夜勤務扱いとなります。その場合残業しなくても、1.25倍の給料が支払われます。国の労働基準法に準拠していますので、その点は心配なさらないで結構です」

「それと怪物は私達の都合良く、平日のみ出現する訳ではありません。仮に土日出勤頂いた場合は代休の取得が可能になります」

 そこで直人は恐る恐る口を挟んだ。

「レンさん、俺達は学生です。学校には引き続き通えますか? つまり……勇者業ばかりやっている訳にはいかないのですが」

 レンが微笑と共に応える。

「そうですね……お二人は学業があるので”兼業勇者”という扱いになります。平日は学校に通って頂いて構いませんが、モンスターが出現した場合、学校を休んで頂きます」

「前職を辞めたくない、辞められない、兼業勇者の方も中にはいます。つまり、ダブルワーカーですね……しかし兼業勇者は土曜日にここ、デュランダル本部に出勤して頂き、実働八時間労働に励んで頂きます」

 その後、緊張する兄妹をよそに、レンが《勇者労働契約書》の記載内容を兄妹の前で淡々と読み上げて行った……


「何か質問はありますか?」

「はいっ!」

 唯が元気よく右手を上げた……ゴシックロリータのフリル袖が柔らかくふわりと広がる。

「勇者は命懸けの仕事ですよねぇ?」

「無論です。勇者はモンスターからこの国を守る、最後の盾となる人間です」

「はっきり聞きましょう! 月給はいくら出ますか?」

 鋭い眼光で鼻を膨らませて気張る唯に向けて、レンは一本の指を差し出した。

「まずはこれだけ出せます」

「……なるほど。百万円ですか?」

「桐生唯さん、額が違いますよ」

「…………まさか、いっ……いっ……」

「一千万!?」

 兄妹は一瞬の誤差も無く、口を揃えて叫んでいた……

 訓練を積んだ聖歌隊を思わせる完璧なハーモニーだった。

「ちなみに今の額は新人勇者の月給になります。給料は毎月査定されますので御心配なく……ランキング上位の勇者ともなれば、毎月口に出せない金額を貰っていますよ」

 妹の唯は日頃家系のやり繰りに苦しんでいる貧乏中学生だ……故に少女の顎は驚きの余りテーブルまで落ちていた……

 桐生家の収入は今は亡き両親に代わり、直人が在宅プログラマーとして支えているのだ……無論その稼ぎは多いものでは決して無い。

 直人は足元を見られない様に、テーブルの下で小さくガッツポーズをしていた……

「で……でも……」

 唯の口は破格の月給額を受けてからっからっに渇いていた。テーブルに置かれたグラスを手に取るや、おもむろにそれを一気飲みする。

「い……いくら給料が高くても、使えなければ意味がないと……思うわ……」

 やはり金の力は恐ろしい……唯の後半の言葉は、小声になって大気に掻き消されていた。

 そこで直人が口を挟んだ。

「もし……俺達のどちらかが死んだ場合、遺族にはいくら支払われますか?」

 ……聞かずにはいられない質問だ。“俺が死んだら妹はどうなるんだ!?”直人は気に病んでいた疑問をレンにぶつけた。

「その場合、三年の任期で支払われる筈だった給料の満額と、恩給である一億円が支払われます」

 レンは表情を微動だにせず、機械的に説明を行った。

 ……兄妹の両親は、勇者とモンスターとの戦いに巻き込まれて死んだ……それ以来実際の話、彼等は金に飢えていたのだ……結果的に兄妹の質問は、金に関することに集約されて行った……

 それにしても……勇者の遺族が貰う金額と、巻き添えになった市民の遺族が貰う金額が違い過ぎるんだが……直人は身体を震わせながらも、下を向いて感情を抑えていた。

「他に質問は?」

「………………」

「それでは拇印で捺印をお願いします」

 兄妹は目を見合わせた……時を忘れそのまま数秒間お互いに見つめ合った……

 逃亡罪は死刑。自宅は警護という名の下、二四時間監視され続けている。

 最終手段であった夜逃げはもう不可能な絵空事に思われた。

 ……俺達は既に詰んでいるのだ。

 ――兄妹は震える手で、二人揃って勇者労働契約書に捺印した。


「それではこれからスチール撮影に入ります」

 契約が終わるとレンは、同じフロアーの別の部屋に兄妹を招き入れた。

 部屋では大勢のスタッフが忙しく働いていた。いかにも業界人といった感じのカメラマンやメイキャップ、衣装を手に持ったスタッフの姿が多数見受けられる。

「勇者のお二人が入りました!」

 レンの言葉と共に、スタッフ一同はピタリと足を止めた。そして兄妹の方を一斉に振り向くと、割れんばかりの大きな拍手を送った……

 一体何が起きたのだろうか? 鳴り響く地鳴りの様な拍手に、兄妹はキョトンとしていた。有名人でも見る様な目で、兄妹のことを憧れの眼差しで見つめているではないか!?

 こんな時、どんな反応を返せば良いのだろうか? 大上段からセレブ有名人よろしく”やあモブども! 調子はどうかね?”等と、超上から目線なセリフを吐けば良いのだろうか!? しかしながら高校生の直人はこの時、戸惑いを隠せなかった……彼の実態はセレブ有名人ではなく、超貧乏学生だったのだ……

 そこで兄妹が、しばし茫然と固まっていると、背後から知らない人物にいきなり話しかけられたのである。

「桐生直人君と、唯さんね」

 名前を呼ばれて振り返ると、タンクトップを着た格好良いお姉さんが、熱い眼差しで兄妹のことを見つめていた。首からはいかにも高そうな、そして何より重そうなニコンのカメラを吊り下げている。

「は、はい俺が桐生直人です」

 直人は心臓の高鳴りを覚えつつ自己紹介した。

「桐生唯です……よろしく……お願いします……」

 何かを察したのだろうか? 唯は直人の後ろに身を縮めて隠れてしまった。

「私はカメラマンの辻彩夏つじあやか。ヨロシクネ!」

 “ヨロシクネ!”と同時に、ウインクされてしまった。その魅力的な笑顔に思わず顔が赤くなる……

「これから君達のことを追っかけまわすから、そのつもりで」

「どど……どういうことですか!?」

「私は君達を記録する報道カメラマンに選ばれたのよ……聞いてなかったの?」 

「初耳です!!」

 即答したものの、直人は先程レンから受けた説明を思い出していた…………勇者の仕事は怪物退治だけではなく、グッズ販売で活動資金を稼ぐ必要があると……つまりこれは、勇者に課せられた芸能活動の様なものだろうか?

「そう言えば説明を受けた様な気がします……」

「ほらネ!」

「まず俺達は、何をすれば良いのでしょうか?」

「そうねえ…………とりあえず全部脱いで!」

「…………………………………………………」

 兄妹は直立不動のまま、その場で固まっていた……

「ぬ……脱ぐ!?」

「ぜぜぜっっ全裸ですか!?」

 唯の顔から血の気がサ――――――――――ッと引いて行った。

「はははははははははははは」

 それを見た彩夏は腹を抱えて大笑いした。

「ぬあ~~~~~~んちゃってね。冗談よ♡ ジョ・ウ・ダン、まさか、本気にした?」

 彩夏は唯の反応を見て大いに楽しんでいる様だった。

「冗談ではあるんだけど。下着一枚にはなってもらうわよ。あそこの試着室でね」

 彩夏が壁際にある試着室を指さして言った。

 ……下着一枚あるかないか? 

 それがあることで人間と動物を大きく隔てた、アフリカ大地溝帯並みの大きなきわの様に直人には思われた……彼はパンツの偉大さと深淵さに触れて感動の余り涙した……

 兄妹は一先ず安堵して試着室へと進んだ。

 試着室の手前には横長のテーブルが設置されていた。期せずしてそこには、何とも怪しげな胡散臭いグッズが所狭しと並んでいたのである……


 それは中二病の人が見たら大喜びして飛び跳ねそうな宝の山だった。もっともプログラマーとして生計を立てている直人には、ガラクタの山以外には見えないのだが……

 テーブルの上には甲冑やマント、抜き身の長剣や短剣、槍、手裏剣、ヌンチャク、三節棍、紫のローブ、魔法のステッキ、実戦では使えないと思われる竹ぼうきまでもが置かれていた。

 そんなガラクタの山を見て、鼻の穴を馬の様に広げて興奮している人物が隣にいたのである……妹だった。

「わあぁ~~~~お兄ちゃん! 凄いよ♡」

 唯の心は完全に幼稚園児にまで巻き戻された様だった……魔法のステッキをくるくる回しながら、踊り始めたのである。

 それを見てすかさず彩夏が反応した。素早いフットワークで唯の隣に陣取ると、高速連射でシャッターを切り始めたのだ。唯の可愛らしいダンスと共に、彩夏もステップを刻む。

 直人はその光景を見て、思わず鼻血が出そうになった……唯、可愛すぎる……何て可愛いんだ……お前が妹で良かった……正に兄貴冥利に尽きる瞬間だった。

 所がそんな彼の至福の瞬間は、長くは続かなかったのである。目に見えない何者かが、直人の袖口をくいくいと引っ張っている……そして唐突に、とんでもない要求をしてきたのである。

「……やっぱり、全部脱いで下さい♡」

 その女の子は甲冑を手にして立っていた……スタッフの一人と思われる、身体が甲冑に隠れてしまうぐらい小さな女の子だった……

 小っちぇ~~~~それが第一印象だった。身長は一四〇センチあるかないか……唯と同じくらいである。甲冑よりもランドセルを手にした方が似合いそうな女の子。結ったおさげ髪が、駄目押し気味に、その幼さに拍車をかけていた。

「えっ!? 君今何て言ったの?」

「私が全部脱がせてあげます!」

 そう言うと女の子は、おもむろに直人のズボンに手をかけた。

「ちょっ、ちょっと待って!」

 直人は慌ててズボンを両手で押さえ込んだ。

「子供じゃないんで、一人でやります」

 そう言って試着室に入り、ドアを閉めようとしたのだが……女の子の手がそれを遮った。

「時間が押しているんです。桐生直人君。初めてなのに……一人で出来る訳ないでしょう?」

 女の子は意味深な言葉と共に、上目使いで全裸になれと要求してくる。

『ひ、ひえぇぇぇぇぇ~~~~~』

こ、これが勇者業界の実態なのか!? 否、勇者としてスカウトしておきながら、実際はいかがわしい別の職種だったりするのではあるまいか???

  ……うむ、勇者よりかは悪くない!

 直人のHな妄想が、幾何級数的に膨らんで行った。

しかしだ……世間体せけんていというものもある……そして妹は目と鼻の先にいるのだ。ここは一応助けを呼んでおこう。

『誰かぁ―――――、助けてくれぇぇ――――――!!』

 直人は叫ぼうとした……しかし、実際に助けを呼ぶ為に彼ができたことは何もなかった。理由は不明だが身体の動きが封じられ、指先はおろか舌さえも動かせなかったのである……

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