第四話「連行」
――明後日、午前九時。
「ピンポーン♪」
一秒の誤差もなく玄関のチャイムは鳴らされた。
ドアを開け、恐る恐る外に出る……今だかつて外出にこれ程の恐怖を感じたことはなかった。
「お迎えに上がりました。勇者殿」
兄妹の前には、コーディネーターのレンがスーツ姿で立っていた。
前回とはうって変わって紳士的なお出迎えだ。それもそうだろう。
昨日、兄妹は一睡もできないまま朝を迎え、顔面蒼白の状態で渋谷区役所に出頭し、震える手で勇者登録を行ったのだから……自宅には既に二四時間体制でSPが張り付いており、兄妹の行動は逐一監視されていた……
二人は区役所職員の用意した《勇者申請登録用紙》に氏名・住所・電話番号などを記載し、同意書にサインを行い、拇印まで押したのだ。夜逃げを事前に阻止した責任者のレンは、鼻高々だったに違いない。
――玄関の前には黒のリムジンが待機していた。そして自宅の周囲には、目に付くだけで四人のSPが警護にあたっている……物々しい雰囲気が、困難な時代の到来を告げていた……
レンに促され、兄妹はピカピカに磨かれたリムジンの奥に押し込まれた。リムジンには白手袋をはめた五〇代と思われる男性の運転手がハンドルに手をかけている。
レンは首を振り左右を確認した後、ドライバーに挨拶をして、運転席の隣に乗り込んだ。
「二〇分ほどドライブします」
リムジンは音もなく発信した。広い後部座席の右に唯、左に直人が座っている。車体と同じ色の黒の革張りシートが、得も言われぬ高級感を醸し出している。
所で兄妹は、リムジンには場違いな至ってカジュアルな服装をしていた。直人は薄茶色のチノパンに青の半袖、そして唯に至っては一体何を考えているのか!? 独り次元を超越したゴシックロリータの服を身に纏っていた。
「仕事なんだから、もう少し地味な服装の方が良いんじゃないか?」
兄として突っ込む直人に唯は……
「どうせ先が無いんだから、毎日着たい服を着るの! お墓の中でどうやって服を着るつもりなの? 兄さん」と跳ね返されてしまった。
リムジンは兄妹の住む渋谷区南平台町エリアを離れ、高層ビルの林立する六本木エリアに入っていた。右手にはプログラマーとして一度は働いてみたかった六本木ヒルズ……を軽く素通りし、車は最終目的地である東京ミッドタウンに程なくして到着した。
東京ミッドタウンは……高さ二四八メートルの東京ミッドタウンタワーを中心に、ホテル、ショップ、美術館、公園、レストランを備えた大規模複合施設だ。それ自体が自律した小さな街の様に機能している優れものである。
「ここに私達の組織である勇者協会(The braves association)があります」
レンが事務的な口調で説明を始める。
「私達スタッフは皆、広く言えばこの勇者協会に所属しているんですよ」
「……………………」
「そして、勇者協会で怪物の討伐を専門に行う組織が、これから皆さんが所属するデュランダル(Durandal)になります」
「ちなみに四〇階から四四階が私達のオフィスフロアーです……ここには公園やレストランが併設されていて、皆さん働くことを楽しんでいます。私のお勧めはレストラン街にある黒毛和牛の鉄板焼きです。一度食してみるべきですね」
……ど~~せあんたらのビジネスは、勇者の命を糧に成り立っているんだろう……直人はその説明を冷めた心で聞いていた。一方唯は“黒毛和牛”と言う単語に、片耳を器用にピクリと動かしていた……人間技には思えなかった……
レンの説明を受けている間に、リムジンは静かに地下駐車場に潜り込んでいた。
一階のエレベーターホールに上がり、四〇階以上の高層階に上がる為の専用エレベーターに三人で乗り込む。
目的の四四階に到着するまでは、ものの数分とかからなかった。
エレベーターの扉が開くと、そこには見るからに屈強そうなガードマンが、肩から自動小銃を吊り下げて立っていた。レンを見るなり訓練されたキビキビとした動作で敬礼をした。
直人はその光景を見て、身が縮みあがる思いだった……股間は実際の所、リアルに縮み上がっていた……レンは何も言わなかったが、もっと正装して来るべきではなかったのか? 勤務初日の定番の服装と言えばスーツだ。自分自身の服装もどうかとは思うが、唯に至ってはゴスロリである……
唯はひらひらに膨らんだスカートを両手で押さえながら、ガードマンの横を涼しい顔で通り過ぎて行った……そんな唯にも自動小銃を下げたガードマンは律義に敬礼をした。
直人は兄として恥ずかしくなって、顔から火が出る思いだった。
エレベーターを降りて、左右に二つある大きな通路の、右側の通路を真っ直ぐ進む。
道の突き当りにその扉はあった。
《司令官 J・スペンサー》と、表札には書かれている。
レンが扉の横に設置された認証機器に指をかざす。すると、目にも眩しい黄金の自動ドアがゆっくりと開場した。
「司令官、桐生直人・唯、二人の勇者をお連れしました」
「うむ…………」
J・スペンサーと呼ばれた男は、静かにゆっくりと兄妹の方へ歩み寄った。
でかい……それが初対面の印象だった。直人の身長が一七八センチだから、この司令官を名乗る男は、二メートル以上ありそうだった。身体は格闘家の様に屈強であり、筋肉がパンパンに張っていることがスーツの上からでも窺える。日焼けした肌は浅黒く、首には純金製と思しきネックレスがこれ見よがしに巻き付いている。コーディネーターのレンと同様に、銀色の目がギラギラと輝いていた。
直人はその威圧感から、思わず一歩後ろに退いていた。一方、直人の隣にいた筈の唯は、ゴスロリのスカートを手で抑え、兄の背中の後ろに完全に隠れていた……初対面の上司(司令官)に対して、ゴスロリは幾ら何でもまずいだろ唯! 直人は心の中で最愛の妹に突っ込みを入れていた。
兄妹の予想に反して、司令官は右手を差し出して、彼等に握手を求めて来た。見た目とは裏腹にフランクな人物の様だった……拳はゴツゴツとして岩の様だが……
「桐生直人・唯君かね……J・スペンサーだ、よろしく!」
直人は恐る恐る右手を出して握手をした。司令官は力強く彼の手を握り返した。
「うっ……」
プロレスラーと握手をすると、こんな感じになるのだろうか!? 司令官は笑顔なので他意はなさそうだが、その万力の様な力に直人は恐れおののいていた。
「君達のことは、レンから聞いている」
司令官はネイティブスピーカーさながらの流暢な日本語で兄妹に話しかけた。
「魔法力が日に日に増しているそうだな」
「……いいえ、ただ成長期なだけです」
直人は謙遜してそう答えた。成長期の魔法士は、魔法力が右肩上がりに伸びる傾向があるのだ。
「君達には大いに期待しているぞ……君達ならば、先代の勇者を超えられるかもしれない」
「先代の勇者って……」
直人が恐る恐る尋ねた。
「九雅相馬だ」
「九雅相馬!?」
直人はその言葉に全身がワナワナと震えるのを感じた……
九雅相馬――国民中から尊敬を受けている、この国を三回救ったと言われている伝説の勇者――学校で見たPVの中で光り輝いていた勇者の中の勇者――
その九雅相馬を俺達が超えられるだと!?
冗談だろう???
その時の直人には、司令官の言葉が、単なるリップサービスに聞こえていた。
「期待してくれるのは嬉しいけど、九雅相馬に匹敵するギャラは貰えるの?」
口を挟んだのは、直人の背中に目下退避中の唯だ。
背中越しから声色を真似て、腹話術の様に声を出しているので、自分が言ったと誤解されると多いに困る直人だった。
「ハッハッハッ!」
その言葉を聞いて司令官は高らかに笑った。
「何とも頼もしい発言だな。桐生直人君よ」
「……………………」
……こ……こいつ!
勘違いしてやがる!!
直人は唯の
「勿論、仕事に比例するファイトマネーは払わせて貰うよ。詳細はそこのレン君に聞いてくれたまえ」
「はっ! 司令官殿。勇者・桐生直人、確かに
唯はゴスロリのスカートを抑えながら、直人の背中越しに彼の名前を勝手に
「所で、最後にこれだけは言っておくぞ」
「何でしょうか?」
兄妹は完全一致で返事をした。
「私達を裏切るなよ!」
低くドスの効いた声だった。
……その言葉に直人は心臓が止まる思いだった。
まさか? 夜逃げ(未遂)のことがバレているのか!?
司令官の一言に直人の顔は蒼ざめて行き、唯は直人の背中の後ろに影の如く張り付き、完膚なきまでに身を潜めていた……唯の腹話術スキルはこの緊急事態をバネにして、技能の向上を見せたのである!
びびりまくる兄妹を他所に、レンの銀色の瞳が鈍い光を湛えていた……
「それでは司令官、失礼致します」
レンは頃合いを見計らい司令官に敬礼すると、兄妹を別の部屋へと先導した。
廊下を歩く途中、直人は違和感を感じて、自分の右手を恐る恐る確認した……右手の甲には先程の握手によって、浅黒い
――東京ミッドタウン・四〇階。
兄妹はレンに先導されて、赤絨毯の通路を真っ直ぐ歩んでいた。
直人は拳の感触を確かめる為に、グー・パーの動作をしきりに繰り返している。骨や神経に異常はなさそうだが、何て握力だ……果たして同じ人間なのか疑わしい限りだ。
そして“人外”と言えば、目の前を歩くコーディネーターのレン……モデルさながらの整った容姿に、銀色に光る涼し気な眼。ショートカットの髪も美しく銀色に輝いている。こちらは良い意味で人間離れしている……
直人は芸術作品の様なレンの美しさに見とれていた……中でもとりわけ美しいその尻に見とれていた。
「桐生兄妹!」
「はうっ!」
そこで唐突に呼び止められて、直人の返事は漫画のキャラが発しそうな奇妙なものになっていた……尻に注いでいた視線を光速で天井へと向ける。
「これからミーティングルームで、勇者業の説明を行います」
「は、はい!」
「その後、スチール撮影と記者会見を行います」
「記者会見!?」
兄妹はお互いに顔を見合わせた……二人とも目が点になっていた……
「俺達が行うのは怪物退治ですよね? 何故スチール撮影や記者会見が必要なんですか?」
直人の疑問にレンが淀みなく返答する。
「勇者業には莫大なお金がかかります……テレビ放映による契約料は大切な収入源ではありますが、それだけに頼っている訳ではありません」
「つまり、どういうことでしょうか?」
「人気取りも勇者業の運営に必要な大切なお仕事です。お二人には怪物退治だけではなく、グッズ販売でお金を稼いで頂きます!」
「………………!?」
兄妹は再び目が点になっていた。
合点が行く所もある……直人が学校で見た九雅相馬のPVの出来が良かったのはそういう意味もあったのだろうか?
「……わ、分かりました。それではともかく勇者業の説明からお願いします」
「こちらに入って下さい」
レンが指紋認証で扉を開錠する。内部はパーテーションで区切られたいくつもの小部屋で構成されていた。いわゆる会議室という奴だ。パーテーションは擦りガラスになっており、部屋の外部から中の様子を伺い知ることはできない。
そんな中、通路を歩く三人の足音だけがやけに耳に付いた。部屋によってはプレートが《会議中》になっているので、声が漏れて来そうなものだが、余程機密性の高い素材を使っているのだろうか? 中からは人の声はおろか、一切の雑音さえも聞こえては来ない……
会議室に足を踏み入れる。兄妹は入口から入って、奥の席である上座に座らされた……とりあえず唯を奥の席へと押し込む。
そこで扉がガチャリと音を立てて閉まった。
……監禁されたな……と直人は思った。
白い長机の上には《勇者労働契約書》と書かれたA四判の用紙と、朱肉が二つづつ置かれている。朱肉の横にはやはり二つのグラスが置いてあり、そこになみなみと水が注がれていた。
……今から生きている死体……つまり勇者の契約をさせられるのだ。
――調印後、向こう三年、俺達は職業的勇者になる。
死ななければの話だが……
兄妹の顔に漆黒の影が射す。
二人は死んだ魚の目で《勇者労働契約書》を睨み付けていた。
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