第三話「夜逃げ勇者」

 ――そこでアナウンサーが容赦の無いメッセージを告げた。

「勇者に選ばれた方は、政府機関への二四時間以内の出頭が義務付けられています」

「……繰り返します……勇者に選ばれた方は、政府機関への二四時間以内の出頭が義務付けられています」

 兄妹にはアナウンサーの規則的なメッセージが、死神の下す死刑宣告にしか聞こえなかった。

「……どうしよう……どうしよう……」

 唯は蒼白い顔でオウムの様に同じ言葉を繰り返している。

 ――そこで唐突に、リビングに設置された電話が鳴った。

「プルルルル……プルルルル……」

 唯がビクッと身体を震わせた。群れから外れた小鹿の様に敏感に物音に反応している。顔面蒼白の状態で直人の方を振り返る。

「出るな!」

 直人は反射的に叫んでいた。

「唯! 今すぐ荷物をまとめろ」

「ここを脱出する」


 兄妹は二階のそれぞれの自室に行き、荷物をまとめ始めた。直人は必要最低限の着替えとクレジットカードを掴むと、愛用のリュックサックに押し込んだ。

 ……何故こんなことになった? 中等部の頃、UNPA剣道大会で優勝したからか? ……調子に乗って目立ちすぎたのか? ……それにしても何故俺達なんだ!?

 直人はノックもなしに妹の部屋を勢いよく開けた。

「終わったか唯?」

「……終わったわ……何もかも……」

 唯は荷物をまとめてはいなかった……自室の中央で、蒼白い顔のまま膝を折って座り込んでいる。両目から落ちた涙が絨毯に染みを作っていた。茫然自失の唯を、タンスの上に置かれたぬいぐるみのコレクションが物言わずに見守っている。

「唯、俺も手伝う……時間がないんだ」

 直人はガラス細工を手に取る様に、唯の両腕をそっと掴み立ち上がらせた。

 ……こんなに小さな中学生の女の子が勇者!だと……国は俺の妹に死ねと言っているのか!?

 直人は怒りで全身を震わせていた……

 とにかく……今すべきことは、自宅をすぐに脱出することだ。

 勇者の発表があったのは午後七時、これから出来る限り遠くに行かなければ逃げ切れない。

 唯を励まし、大きめのリュックサックに、お気に入りの洋服コレクションを詰め込んで行く。

「後は旅先で揃えればいい……」

 唯を気遣って使った”旅”という言葉――しかし実際の所これから兄妹が行うのは旅では無く”夜逃げ”だった。

 うつむいたままの唯の右腕を掴み、廊下を突き進む。そのまま一階に駆け降りる。物心付いた頃からいつも兄妹を包んできた暖かい家。彼等は両親に続き、これから家さえも失うのだ。

 ――勇者の発表があってから二〇分が経過していた。今から通勤者の帰宅ラッシュに紛れて、渋谷から郊外の街を目指す。そこから夜行列車かバスに乗り込み、人目のつかない街を目指すつもりだ。漁港か農村部ならば仕事もあるだろう。

 兄妹は両手に荷物を持ち、静かに玄関のドアを開けた。

 直人が期待していたのは、薄暗く人気の無い宵の住宅街だった……しかし、実際彼が目にしたのは、それとは真逆の光景だったのだ……

 ――兄妹の家は武装した機動隊員によって、くまなく包囲されていたのである……


 玄関前には一〇数名の武装した機動隊員が群がっていた。ドアを開けると同時に、兄妹の家は目もくらむ照明で隅々まで照らし出された……街に誕生した新しいランドマークさながらに、きらびやかにライトアップされている。

 兄妹は眩しくて、思わず両手で目を覆っていた。

 直人は心の中で舌打ちした……対応が早過ぎる……俺達が必死になって夜逃げの準備をする間、機動隊員は先回りして、家を包囲していたのか!? たかだか二〇分間でか???

 二四時間以内の出頭の話は一体何だったのだ!?

「…………………………………………」

 兄妹と機動隊員は、しばし声を出さずに睨み合った。

 既に精神的に追い詰められている唯は、膝の震えを抑えることができず、立っているのがやっとだった。

 ……これ以上唯を苦しめる訳にはいかない……

 直人の全身が紺碧のオーラで包まれて行く。

 それを合図に機動隊員は、手にしたアサルトライフルを一斉に肩口に構えた。

 銃から一斉に照射された深紅のレーザーサイトが、兄妹の全身をくまなく捕えている。 

 今や兄妹はライフルの照準の中でロックオンされた的になっていた。すすり泣く唯の両目から涙が止めどもなく零れ落ちて行く。 

 平和だった渋谷の住宅街は緊張を孕み空間は軋んでいた……両者は今、一触即発の状態にあったのだ。


「どこに行くつもりですか!」

 突如機動隊員の中から、スーツ姿の一人の女性が歩み出た。

 ……背は高く身長一七五センチはあろうか? すらりとしたモデルさながらの美しい容姿。何より特徴的なのは、ミステリアスに光る銀色の目。その眼光は獲物を捕らえた肉食獣さながらに、兄妹を凝視したが最後離すことは無かった。

「勇者に当選した人間は、政府機関への二四時間以内の出頭が義務付けられています」

 武装した機動隊員とは対照的に、女性は表面上、武器は携帯していない様に見えた……あくまで表面上だが……

「勇者業からの逃亡は、この国で最も重いペナルティが課せられます」

「知らないのですか?」

「さあ、どんなペナルティですか?」

 一度言葉を溜めた後で、その女性は恐ろしい言葉を告げた。

「死刑です」

「…………………………」

 直人は頭をハンマーで殴られた様な衝撃を覚えた……全身を包んでいた紺碧のオーラが、しぼむ様に消えて行く……魔法士が戦意喪失した証拠だった。

 勇者業からの逃亡は死刑――はったりじゃなかったのか!?

 一方唯は”死刑”という言葉を聞いて、膝から崩れ落ちていた……


 夜逃げを謀ろうとしたことは事実だ……

 しかし、逃亡する前から逃亡罪を着せられてはたまったものではない。

 冤罪は御免だ!

「あなた達は、ここで何をしているんですか!?」

 直人は声を張り上げて叫んでいた……夜逃げを見破られない為の演技だった。

「政府機関には、二四時間以内に出頭します……俺達はこれから勇者になる。そうなったら信じられない程忙しくなるでしょう。俺達はその前に兄妹水入らずで、日帰りの旅行に行くつもりです……」

 直人の反論にまばたき一つせず、その女性は即答した。

「兄妹水入らずは認められません。今後あなた達の身柄は、私達コーディネーターが二四時間警護します。無論この自宅も含めてです」

 警護? 警護だと??? 本当は警護とは名ばかりの軟禁ではないのか!? 直人は心の中で毒づいていた。

「それに、旅行は勇者になってからでもできます。勇者業は週休二日制。休日出勤した場合、代休も取れます」

 スーツの女性の微動だにしない立ち振る舞いと、アサルトライフルを持った重装備の機動隊員に直人は圧倒されていた。唯に至っては膝から崩れ落ちたまま、一度も顔を上げていない。数的優位を作られて自宅を包囲された時点で、戦いの前に勝負は決していたのだ。

「ふう――――――――」

 直人は肩を落とし、わざとらしく溜息を付いた。

「…………兄妹で旅行できないなら、仕方ありませんね」

「政府機関には、明日二人で出頭します」

 直人はそう言うと、地面に膝を付けたままの唯を抱き起こした……ショックなのだろう……長髪でブラインドされて表情は見えないが、全身が細かく震えている。

 ……とにかく家に戻りたい……直人の頭の中にはその一心しかなかった……夜逃げを阻止された彼等に残された道は、家に逃げ帰ることだけだったのだ。

 機動隊員とスーツの女性に背を向けて家へと引き返す。全身が緊張で強張っている。足はおもりが付いた様に、一歩一歩が重かった。

「桐生兄妹――」

 突如スーツの女性が兄妹の名前を呼んだ。

 直人はギクリとした。

 ……夜逃げを謀ったことがばれたのだろうか? 刑罰を課すつもりなのか? 後ろを振り返った直人の顔面は完全に引き攣っていた。

「私はコーディネーターの立華たちばなレンと言います。これから三年間、あなた達のマネージャー役を務めます」

「私のことはレンと呼んで下さい」

 そう言うとレンは、ミステリアスな銀色の瞳でウインクした。

 直人の心臓が一瞬ドキンッ! と跳ねた。

「勤務初日は明後日あさってからです――私が朝九時に迎えに上がります」

 レンは事務的な口調で、勇者としての勤務開始日を兄妹に告げた。

 既に兄妹の身柄は、死刑台に向かうエスカレーターに乗せられた様なものだった。 

「……はい」

 唯を肩に担いだ直人は、小声でそう答えるのが精一杯だった。

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