第七話「決戦、瓦礫都市原宿」

 ――バドラと兄妹の距離は三〇メートルに詰まっていた……もう手の届く距離だ。 

 直人の大きな誤算は、スピードにおいても奴の方が勝っていたということだ。

 素人が玄人と指すチェスの様に、兄妹は一手ずつ確実にチェックメイトへと誘導されている様だった。熱い思いのみでは勝てないのだ……熱い思いのみで戦いに勝てれば、誰もが歴史に名を刻む革命家になっている筈だ。

 このままじゃ……このままじゃ負ける…………

 距離一〇メートル――兄妹は敵のプレッシャーに呑まれていた。背後から怪物の荒い息使いと羽音が聞こえて来る。

 ――距離を詰めたバドラの容赦のない攻撃が続く……大口から、地獄の業火が至近距離で解き放たれる。

 唯がN・Aバリアを空中に生成した――

「バリイッ!」

 既に唯のバリアは脆弱だった。バドラの炎が唯のバリアを一撃で破壊する。粉砕されたバリアがガラスの様に砕け散り、夜の奈落へと落ちて行った……

 唯のダメージは思ったより深刻に見えた。 

「まだだ……」

「こんな所で死ねるか!」

 直人は唯を抱きしめながら叫んでいた。

 渾身の力で直人は飛んだ。身体から紺碧のオーラが大量に噴出して行く。数えきれない無数のネオンが、光の束となって兄妹の横を駆け抜けて行く。

 公園通りを飛ぶ兄妹の左手に、ニトリの大型店舗、前方にはJRの高架橋が飛び込んで来た。地面に向けて滑空する……低空飛行に切り替えて、高架を下からくぐり抜ける。

 バドラの火炎弾が、高架橋に向けて豪雨の如く降り注ぐ……橋桁は一瞬で崩れ落ち倒壊……線路は飴細工の様に変形し、奇怪なオブジェへと変わり果てていた……

 直人は急速旋回で左に舵を切り、明治通りを原宿方面に向けて飛んだ。

 バドラは永遠に逃げることが出来ない自分の影の様に、ひたひたと兄妹を追走している。

 そんな彼等の戦いなどお構いなしに、往復四車線の広い道路の左右には、おしゃれ極まりないブランドショップが行儀よく立ち並んでいた。

 ――大きな十字路にさしかかり、視界が開けたその時だった……

 前方に倒壊したビルの残骸が、無数に横たわっていたのである。


「これは何だ!?」

 そこは幅一〇メートルの熱源が、問答無用に何もかもを溶解させた跡地だった……結果、そこにあった無数のビルが倒壊……ビルの突端は地面に食い込み、道路を陥没させていた。アスファルトには縦横無尽にひびが入り、美しかった原宿のけやき並木は既に見る影も無かった。《LAFORET》の銀の冠が、吹っ飛ばされて数一〇〇メートル先の道路に転がっている。

 ……隠れ蓑……そして無数の瓦礫……

 直人は倒壊し横倒しになったビルの物陰に回り込んだ。

 低空飛行を続け、建物の間を縫う様にジグザグに飛ぶ。

 ……追走する巨竜はこれで俺達のことを完全に見失った筈だ。推定一五メートルの巨体が、小回りの利く人間を追いかけることは不可能だろう。

 直人は唯を大切に抱えながら、横倒しになったビルの物陰に静かに着地した。

 虚ろな目で唯が周囲を見る。

「兄さん……ここは?」

「原宿……跡地だ。元の原宿はバドラがライトニングボルトで削り取ったのさ」

「そして、ここが奴の墓場だ」

「どうするつもり? 兄さん」

「唯はここで自分の身を守ることに専念してくれ」

 唯はきつい眼差しを直人に向けた。

「……勝機はあるの?」

「ゼロ以上だ」

「いざという時は力を借りる」

 そう言うと直人は、唯の手を優しく握りしめ、耳元で何事かを囁いた。

「怪物が待ってる……行ってくるよ……」

 遠ざかる兄を見つめる妹の瞳から、静かに涙が流れ落ちた。

 人は倒壊したビルの物陰から物陰へと移動しながら、バドラの待つ十字路へと歩を進めた……怪物に唯の居場所を悟られる訳には行かない……

 バドラは十字路のど真ん中に着地していた。兄妹の姿を探している様に見える。

 ……唯は避難させた……これで心置きなく戦える。

「ここだ!」

 直人が叫んだ。

「俺ならここにいるぞ!!」

 直人はラフォーレ原宿と、賃貸マンション“グリーンファンタジア”の存在した瓦礫の山の前に立っていた。

 直人とバドラの視線が至近距離で交錯する。

 バドラは一週間獲物にあり付けなかった獣の様に、口から涎を垂らし目を光らせた。肉食獣そのものの様な本能を、怪物は直人に見せ付けた。

 ……こいつ……俺を喰う気だ……

 全身を悪寒が駆け抜けて行く。

 ――バドラとの距離二〇メートル……

足掻あがくまでだ! サイコキネシス!!」

 直人は声を張り上げた……直人の全身が紺碧のオーラで包まれて行く……身体中から青白いオーラが大気中に発散される。

 同時に、直人の周辺に埋もれていた瓦礫の山が一斉に浮かび上がった……ガラス、鉄、コンクリート……その残骸達だ……

 直人は瓦礫の山と巡り合い、無尽蔵の武器を手に入れたのだ……それが彼の最も得意とする能力だった。

 ――サイコキネシス。

 直人のサイコキネシスは強力だった。彼の思念によって、一〇トンを超えるであろうコンクリートの塊までもが宙に浮かび上がっていたのだ。

「当たれぇ――――――――――――――――――――――――――――――!!」

 直人が絶叫した。

 周辺に浮かんでいた鋭利な数千の瓦礫の群れが、一斉にバドラに襲い掛かった!

 バドラは完全に虚を突かれたのだ……通常、ゼロからエネルギーを作り出す魔法は起動に時間がかかる……一方、既に存在する物体を操作するサイコキネシスは、魔法ほど起動時間を必要としない。

 バドラがバリア魔法を起動させようとした時には、時既に遅かった……

「くたばれえ――――――――化け物おぉ!」

 自身が破壊した数千の瓦礫の弾丸が、バドラに次々と減り込んで行く……

「グアガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ―――――――――!!」

 断末魔の絶叫とおぼしき怪物の声が、原宿の街を覆って行く――――――


「殺ったのか?」

 原宿の街は白い砂塵で覆われていた……コンクリートの破片ががバラバラと落下を続けている。直人のサイコキネシスによって、バドラのいた十字路は小高い瓦礫の丘に変貌していた。

 高さにして二〇メートルはあるだろうか? 都市を構成した残骸が、今は最強生物の墓標の様にそびえている。

 直人は瓦礫の山を前にして、蒼白い顔で肩で息を繰り返していた……今の攻撃でヴリルを大量に放出した為だ――ヴリル欠乏症。勝負所と読んだからこそ、あそこまでやった訳だが……つまりそれは、二度同じ攻撃が出来ないことを意味していた……

 腰元の鞘からアヴァロンの剣を引き抜く。月明りを反射した長剣が不気味にギラリと輝いた。

 直人はアヴァロンの剣にヴリルを注がなかった……この剣の禍々しい特徴である、所有者のヴリルを吸収して剣の力に変えると言う能力……いな、魔力と言うべきだろうか? その魔力は今は使いたくない……実際の所、直人は剣を持つだけで精一杯だったのだ。

 敵の生死を確かめるべく、直人が瓦礫の山へと近付いて行く。

 額から汗が止めども無く流れ落ちる……直人は手甲てっこうに付いた吸水性のある布で汗を拭いた。

 その時だった! “バラッ”という音と共に瓦礫の山が倒壊し、内部から巨大な腕が伸びてきたのである……

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