第五話「崩壊、東急ハンズ」

 爆音と衝撃派が渋谷の街を呑み込んで行く――

 兄妹は圧倒的なエナジーに煽られて上空に吹き飛ばされていた……衝撃で二人の繋いだ手が振りほどかれる……

 眼下の東急ハンズは一瞬にして瓦礫の山に変貌していた……ビルの上半分はファイアーボムの衝撃で原子分解されて完全に消失――残されたのは粉微塵に砕かれたコンクリートの残骸と、異様な形に湾曲した鉄骨の足場だけだった。ビルの惨たらしい変死体が、何の手向たむけも無く足元に転がっていた。

 

「唯!!」

 直人が絶叫する。

 唯は上空に吹き飛ばされた衝撃で脳震盪を起こし気絶していた……そのか細い身体は高度三〇〇メートルの上空にあり、今正に落下を始めようとしていたのだ……

「間に合え!」

 直人は歯を食いしばり、飛翔魔法を限界まで加速させた――身体全体が紺碧のオーラに呑まれて行く……ヴリルが高速で消費されて行く。

 ――唯の身体は高度三〇〇メートルまで舞い上がり、既に落下を始めていた……あの時、繋いだ手を離さなければ……

 長く艶やかな赤髪と、魔導士のローブが風で上方に棚引いている。

 唯に急速接近し両手を広げる……こんな所で……目の前で妹を失う訳にはいかない!

 落下地点を予測、側面から最速で接近する――

 落下を止めない唯の身体に手を伸ばす……

 ”ドスン!”という音と共に、唯は直人の腕の中に落ちてきた……

 今日二度目のお姫様抱っこ。腕の中に広がる妹の温もりに直人は歓喜した。

「間に合った…………」

 言葉が口を衝いて出る。

 しかし、ここで安堵するのは時期尚早だ……ファイアーボムで東急ハンズを粉砕したバドラに背後を取られているのだ。

 気が付くと直人は唯をきつく抱き締めていた……妹は決して失う訳にはいかない……兄にとってこれ以上の宝物が他にあるだろうか!? 直人はたった今それを、手の中から喪失しかけていたのだ……


 高度を下げ、林立するビルとビルの間に入って行く……一端バドラの死角に入り、体制を立て直す必要がある……直人は唯を抱き締めたまま、一五階建てのオフィスビルの非常階段に着地した。ここなら奴からは俺達の姿が見えない筈だ。

 唯に目を移す……腕の中でぐったりとうなだれた唯は、どうやら気絶しているだけで外傷は無い様に見えた。

「良かった……」

 肩を落とし一先ひとまず胸を撫でおろす。

 直人は狂おしいほど愛おしい妹の表情に、一瞬戦いを忘れ見とれていた……

 笑う唯、照れる唯、怒る唯、大泣きする唯……今まで色んな唯を見てきたけれど、今腕の中で気絶している唯は、幼稚園児の頃無邪気に遊んでいた唯を思い起こさせた。

 子供の頃――両親が亡くなる前の、あどけない女の子だった頃の唯――

 直人は気絶した唯を見つめながら自問自答していた。

 ……あの怪物……バドラは底が見えない程強い。俺達に勝算があるとは到底思えない……

 こんなに可愛い中学生の女の子が、凶悪な怪物と殺し合いをしなければいけないのか?

 唯だけでも安全な場所に避難させて、俺一人で戦うべきじゃないのか? そう……俺一人で戦い、命を落とせば妹は救えるのではあるまいか……

 直人は唯を抱いたまま自問自答を繰り返していた。迫る死を前にして、身体は恐怖で震えている。

 噛み合わせている筈の歯がいつの間にか開き、ガクガクと音を立てていた……

 畜生、こいつのどこが勇者なんだ! 直人は心の底からそう思った。


「…………いつまでそうしているつもり?」

 ふと腕の中で声が聞こえ、直人は現実に引き戻された……

「……続きをやりましょう……兄さん」

 目を覚ました唯は上目使いで直人に言った。

「続きってお前…………」

 腕の中の唯は美しいルビー色の瞳で、直人を真っ直ぐに見つめている。 

「決まってるでしょう……怪物退治」

「唯…………たった今気絶していたばかりだぞ……ダメージは無いのか?」

「あるわ……今も頭がボーッとする……でも、私達がやらなければ、あいつは街を破壊して、又市民に犠牲者が出る……人が大勢死ぬわ!」

「唯……聞いてくれ」

 直人は最愛の妹に優しく語りかけた。

「お前が気絶した振りをしていれば、俺は一人であの怪物と戦える」

「……………………」

 一瞬間が合った――

「どうゆうこと? 兄さん???」

 唯は低い声でそう言うと、直人の目を鋭い眼光で睨んだ。

「今から俺が安全な場所にお前を下ろす……そのまま戦いが終わるまでそこを動かないで欲しい……」

「だからどうゆうことなの! 兄さん!?」

「勇者の敵前逃亡は死刑だが……戦えない場合は話が別だ……そして幸いなことに、今この場にドローンはいない……」

「…………………………………」

 今度は永い間があった。

「犠牲は少ない方がいい……これが最善の策だ、唯」

 直後、直人の首に巻き付いていた白く細い腕が、怒りでワナワナと震えた……

 唯は兄を罵る酷い言葉を自分の中で何度か押し殺すと、最後にようやく口を開いた。

「何を……言い出すのかと思えば……」

「バッドアイデアよ、兄さん……ダメ、絶対に駄目!!」

 唯は直人に駄目出しをすると、長い溜息を付いた。

「兄さんを犠牲にして成り立つ生活なんか、私は絶対に欲しくない!」

 直人は唯の厳しい眼差しを、真正面から受け止めていた。

「……だってそうでしょ? 私達もう二人だけなのよ!」


 ――六年前のことだ……兄妹の両親は、勇者と怪物との戦いに巻き込まれ、惨たらしい最期を遂げた……よりにもよって二人の結婚記念日に、デート中に起きた出来事だった……

 遺骸は損傷が激しいという理由で、兄妹が見ることは叶わなかった。そして両親は小さな骨壺の中に納められ、最終的に兄である直人の手に引き渡されたのだ。

「六年間、あれから兄さんは家計を支え続けてくれたよね……」

「ああ……出来損ないの……在宅プログラマーとしてだけどな……」

「私はそんな兄さんをずっと見てきた……」

「あなたは私の兄であり、父親であり……私の…………」

 そこでまで言うと唯は、小さな両手で顔を隠し身体を震わせた……手から零れた涙が、白い首筋を静かに伝った……

 直人は腕の中の唯をきつく抱き締めていた。

「唯も……ずっと家事を手伝って、家を支え続けてくれたよな……」

「そう……そうよ」

 唯は途切れ途切れに言葉を続けた。

「だからこれからも……ずっと二人で生きて行くのよ……」

 直人は唯から視線を外し、しばらくの間真上を向いた……泣きそうになったからだ……胸の中に込み上げてくる熱い感情をぐっとこらえる。鼻の辺りが熱くなった。

 感情の波が引くのを待って、直人が口を開いた。

「分かったよ唯…………俺が間違っていた」

「最後まで、二人で戦おう」

 直人は泣き続ける唯にそう告げた。

「ありがとう……兄さん」

 直人は唯の頬を伝う涙を優しくぬぐうと言った……

「二人であの家に帰ろう!」

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