その背中を追いかけて…

霜月りんご🍎

その背中を追いかけて…

 その女は、見る者全てを魅了するかのごとく美しかった。

 静寂に包まれた夜道を歩く彼女の長い髪は、月光に照らされ淡く艶めき、大きく露出された長い腕や脚は、その月明かりを反射して光り輝いてすら見える。

 コツ、コツ、コツと靴を鳴らしながら歩く彼女の姿は――まるで、作り物のようだった。



 なんとなく眠れず、男はタバコを吸うためにベランダに出た。

 ――うう、さむっ……

 11月も下旬となり、本格的な冬が始まろうとしている今、風はなくとも羽織物がないとかなり寒い。静まり返った住宅街に漂う空気が、よりいっそう辺りを冷たくしており、男はひとつ身震いした。

 大きく煙を吸って一服する。煙が肺をめぐり、男は満たされた気分になった。

 1本目が短くなり、2本目を箱から取り出そうとした、その時。

 コツ、コツ、コツ、と靴音がした。おそらく女性のものだ。

 それはただの靴音のはずだった。都会を歩いていると、そこらじゅうで聞こえてくる、ただの――

 だが男には、その音がなにかとても蠱惑的なものを秘めているように感じた。

 全神経が耳に集中する。

 吸う予定だった2本目のタバコは、知らぬ間に手から落ちていた。

 吸い寄せられるように、音がした方に目を向ける。そこには――

 妖艶とも、神秘的とも、またあるいはチャーミングとも言える、女の全ての美しさを兼ね備えた女が歩いていた。

 男は息が止まった。いや、息だけでなく、心臓や時間、全てが止まったように感じた。

 何も、聞こえなくなっていた。まるで、五感のすべてが完全に支配されてしまったかのようだ。

 ただ、熱く激しく燃え盛り、全身を駆け巡る血液だけが、男の触覚を刺激する。

 ――気がつくと、男は外へ飛び出していた。身体が脳の命令など受けず、勝手に動いていたのだ。

 ――待って、待ってくれ……!

 必死の思いで女のあとを追う。

 今が真夜中だとか、寝間着姿だとか、そういった現実的なことは完全に忘失していた。

 ほんの一瞬で抱いた、この焦がれるような感情はもはやとどまるところを知らず、荒波となって男の理性を押し流そうとしている。

 男は走って走って女を追いかけることで、その波を鎮めようと努めた。



 しばらく、前を歩く女を男が追いかける、という状況が続いた。

 男の頭も、だんだん冷静になっていく。

 そこで、この状況の不可解さに気づいた。

 どれだけ走っても、女に追いつくことができない。はじめから女との距離は50メートルほどで、そこまで離れていなかったはずだ。

 まるで、自分が尾行されていることを知っており、意図的に足を速めているようだった。『逃げている』のとは少し違い、男の尾行を『まこうとしている』でもない。強いて言うなら、『導いている』に近かった。

 そしてもうひとつのおかしな点。

 それは女の服装である。

 先述したように、今は11月下旬で何かコートのようなものがないと寒く感じる。  

 それなのに女はミニ丈のボディコンシャスを着ていた。肩から胸にかけて大きく開いた、袖のないその服は、とてもこの時期に羽織無しで着るものではない。どう考えても真夏仕様だ。

 先程の激情は鳴りを潜め、代わりに女への不信感が広がっていた。

 突然、女が止まった。

 男もそれに合わせて止まった。周りを見回し、自分が街外れの通りに出ていることに気がついた。

 女は、あるビルの前で立ち止まっていた。4階建てほどの高さで、灰色の外壁の建物だった。

 女は数秒ほどそのビルを眺めたあと、まっすぐに中へ入っていった。

 少し迷った末、男はその後を追った。

 だが、女の時は当たり前のように開いたガラス製の自動ドアも、男には開いてくれなかった。

 ――どういうことだ……なぜ開かない? 故障か?

 不思議に思った男は、ビルから少し離れて全体を眺めてみた。

 ビルの看板が目に入る。

 男は、今までのあまりに馬鹿げた自分の行動に、嘲笑するほかなかった。



 ――そのビルの名は『株式会社:人造人間生産所』



 とあるビル内の研究室にて。

 「やったー! 大成功!」

 「ついに努力が報われた!」

 「みんなお疲れ様ー!」

 複数の男女の研究員たちが盛り上がっていた。

 その部屋には大きなスクリーンと、様々な種類の端末があり、それらをつなぐコードが絡まり散らばっていた。

 そして、その大きなスクリーンに先刻まで映っていたのは、ひどく恋い焦がれるような顔をして走っているの男の姿だった。彼は真夜中にもかかわらず寝間着姿で、何かを追いかけているようだ。

「しっかし、この男マジで滑稽だよなあ。めちゃくちゃ必死に追っかけてるけど、『彼女』に届くわけないんだっつーの」

「そんだけ『彼女』のクオリティが高いってことでしょ。良かったじゃないのよ。あたしたちの苦労が、やっと実を結んだわね」

「あー、早く打ち上げしたい! ねえねえみんな、何食べたい?」

「打ち上げの前に、『彼女』への労いの言葉を――」

 研究員たちが賑わっている研究室に、ひとりの女が入ってきた。

 ハイヒールに、ミニ丈のボディコンシャスドレスで脚や腕を大きく露出、つややかな黒髪に透き通る肌を持った、たいそう魅力的な女だった。

 研究員らは女を見たあと、満足そうに笑みを浮かべた。

「おかえり。『AH1号』」

「よくやったぞ」

「――ただいま帰りました。皆様も、大変お疲れさまでした」

『AH1号』と呼ばれた女は清らかな声でそう述べ、美しい所作で一礼した。

『Artificial Human1号』……通称『AH1号』――それは、彼ら人造人間研究員が一番最初に製造したヒト型ロボットのことである。

 そして、今彼らが行っていたのは、完成したAH1号のテストだった。街を歩かせ、彼女がどのくらい、人間としてこの世界でやっていけるかを測るものだ。要するに、『人間らしさ』の測定である。

 結果は合格。

 街で彼女は13人とすれ違ったが、誰も気に留めなかったからだ。街を闊歩するAH1号は、生きている人間そのものだった。

 そして極めつけは、AH1号を生きた人間だと本気で思い込み、惚れ込んだあまり必死に追いかけた男の存在だ。

 美しい容姿に、溢れ出す生命的な魅力。それが男を惹きつけて止まなかった最大の要因だろう。AH1号は文句のつけようがないほどに、完璧な人間と化したのだ。

「さ、こっちに来て座れよ。みんなで祝杯をあげようぜ」

 研究員のひとりの男が、AH1号を手招きする。

 研究員の若い女が、この部屋に備え付けの冷蔵庫から、人数分のビールを取り出してきた。もちろん、AH1号かのじょの分も、だ。

 「それじゃあ、AH1号の社会人デビューに〜……」

 「かんぱーい!!!」



 冬が始まり、夜の闇はいっそう深くなるばかりのこの頃。

 街の外れの通りにある、とあるビル内の研究室は、いつになく煌々と照明がついており、若者たちの笑い声で賑わっていた。



 彼らが造ったあの人間が、今後社会でどのような活躍を見せるのか。

 彼らも予期せぬもうひとつのその物語は、また、別の機会に――

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