第255話、災厄の魔女、消える


 俺たちは、魔の塔ダンジョンを、邪教教団から取り戻した。


 教主ジーンベック・モルファーを俺が倒した頃、邪王が塔にいた教団幹部クラスを残らず駆逐し、ソルラたちが抵抗続ける信者やその使役する魔物を討伐した。


 捕虜とした教団員の話では、教団の主要戦力を注ぎ込んだ作戦が失敗し、ジーンベック・モルファーまで討たれたならば、もはや教団に戦う力はないとのことだった。


 乾坤一擲の作戦の結末は、邪教教団に二度と立ち上がることを許さない大敗北だったということだ。


 これで世界を滅ぼそうとした迷惑な集団が、この世からなくなった。……本当にそうだろうか?


 邪教教団のみならず、この手のことを考える者は案外どこにでもいて、ただ実行できる力も金もないから、平穏に世の中が回っているだけではないのか?


 人は目先のものに囚われる。今を生きているから、先のことを考える余裕がある者ばかりではない。

 そうした者が『今』に絶望した時、世界を滅ぼそうとしたりするのではないか。その芽は、どこにでもあるに違いない。


 塔を奪回し、ラウダ・ガンティエ皇帝とその娘レムシーの身柄は回収した。レムシーはおまけだが、皇帝の身にはまだ利用価値があるからな。


 しかし、リルカルムの姿は、どこにもなかった。

 災厄の魔女と言われた彼女は、魔の塔にいたが、邪教教団の襲撃の際に行方不明となり、奪回後の捜索でも見つからなかった。


 死んだ、とは思えない。何せあれで不死の力を持っている。邪教教団の捕虜も、残念なことにリルカルムのことは知らないという。


 塔にいた人間は、皇帝と皇女以外は皆殺しだったから、その魔女も死んだのでは――と捕虜は言ったが、実際、彼女の死体を確認したわけではないからわからないと言った。


「……」

「リルカルムは姿を消した、か?」


 邪王が言った。皆で探し、捕虜から魔の塔の制御方法を聞き出して調べたが、塔にその存在は確認できなかった。

 ……まあ、塔で確認できるなら、邪教教団の方でその身柄を押さえるなり処理しただろうから、もう魔の塔にはいないのだろう。


「潮時だと判断したのだろうな」


 魔の塔と皇帝の件が片付いたら、遅かれ早かれ、災厄の魔女である自分を危険視した者が手を出してくる、と。


「それで大人しく身を引いたと?」


 邪王は首を横に振る。


「彼女は、攻撃されると喜んで反撃する口だと聞いたが……?」


 そんな女が、何も言わずに去るだろうか、と邪王は疑問を口にした。俺は苦笑する。


「魔の塔ダンジョンが手元にあったなら、世界を相手に戦争もできたかもしれない。だがあれで、その昔、世界を敵に回して封印されているからな。考えなしに好き勝手はしないさ」


 何だかんだ、封印を解いた礼と称して、魔の塔ダンジョン攻略に協力してくれた。俺たちといる時は、その残忍な振る舞いはなりを潜めていた。彼女なりに、俺たちに合わせてくれていたのかもしれない。


「多少は恩人と見てくれていたんだろうと思う。こちらの意見にも従ってくれていたしな」


 だから、何も言わず、去ったのだと思いたい。

 少なくとも、俺が彼女を仲間だと思っていた程度には、彼女も俺と仲間たちを戦友と認めてくれていたのだと思う。


 ただ、彼女は、やはり俺たちと合わないという感覚があったのだろう。だから、魔の塔ダンジョンが襲撃された時を、その機会と捉えて姿を消したのだ。こちらとなお共にあろうと思ってくれていたなら、きっと俺たちに姿を現していただろうから。


「あるいは、自分の存在が貴殿の重荷になると思って身を引いたのでは?」


 邪王は言った。

 それは――俺はまたも苦笑した。英雄、ヴァンデ王国の大公である俺のそばに、伝説の魔女がいれば、俺の評判が下がるとでも? いやいや……。


「彼女はそんな殊勝な人間ではないよ。自分が第一、他人のことは、所詮他人だ」


 災厄の魔女という割には、面倒見はよかったとは思う。自分をしっかり持っている人間だし、少なくとも人に忖度して、嫌味の一つも言わずに去るなんてことはしないだろう。


「やっぱり、これ以上の長居は面倒だと感じたんだと思う」


 何だかんだ、戦いも収まってきていたし、魔の塔ダンジョンの力を使って、大規模な戦闘になる――という可能性がほとんどなくなりつつあった。リルカルムとしても、力が行使できないなら、塔にいても退屈だろうしな。


 果たして、リルカルムはどこにいて、そしてこれからどこへ向かおうというのか。俺の前から消えたということは、少なくとも俺と敵対する意思はない、と考えていいんだよな……?



  ・  ・  ・



「……よろしかったのですか、リルカルム様?」


 サキュバスのエリルが言えば、魔女の帽子を被ったリルカルムは、つばの先に触れた。


「うん、まあ。この辺りでいいでしょうよ」


 魔の塔にいて、邪教教団の襲撃によって行方不明になった魔女は、帝都を離れ、しかし塔が見える位置にいた。


「平和な世の中というのは、ワタシは好きになれないよね」


 災厄の魔女は笑みを浮かべる。


「アレスには世話になったけど、それだけ。これ以上は彼ではワタシを満足させることはできないわ」

「リルカルム様でしたら、己が望みを果たすことも可能だったのでは? たとえアレス様と対立しても――」


 そうエリルが言った時、フッと息が詰まる。従属の首輪が絞まり、エリルを殺そうとする。


「……ねえ下っ端悪魔。あなたを生かしておいてやっている、ということ、忘れてない?」


 リルカルムは、ゾッとする笑みを浮かべた。


「ワタシとアレスが戦って何になるの? お互い殺せないのに戦って何が楽しいというの?」

「――っ! ――っ!」

「脳味噌まで豚になった下っ端悪魔。ワタシをそそのかして世界を荒らそうとしても無駄よ。そういうのはね、ワタシ自身がやりたいからやるのであって、他人から指図されたくないのよ」

「…………」

「ワタシが楽しんでも、アレスや邪王が水を差しに現れたら、それ以上は楽しめないじゃない。幻滅、最悪っていうやつよ。ワタシは気持ちよくなりたいけれど、それを邪魔されるのは嫌いなのよ。わかる?」


 グッタリしているエリル。ジタバタもがいていたのが、嘘のように動かない。――あらあら、死んでしまったのかしらぁ?


「それと、もう聞こえないだろうけど、言っておくわ。ワタシ、悪魔は嫌いなのよね」


 首の骨が折れ、エリルは果てた。その体は魔力となって霧散していく。残った首輪を回収し、リルカルムは踵を返した。


「さあて、これからどこに行こうかしら。違う世界に行くのも悪くないわね――」


 心機一転、というのもよいだろう。それならば出発の景気づけに名前を変えてもいいかもしれない。


「……リルカルム。……リム。うん、リムがいいわ」


 リルカルム改め、リムは立ち去る。後ろの塔には振り向くことなく。


「バイバイ、アレス。バイバイ、この世界!」

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