第253話、ジーンベック・モルファー


 地獄の底から悪魔が囁きかけているような声だった。いや、それは俺のイメージも入っているが、五十年前の大悪魔にも、こんな感じの声の奴がいた。


 暗黒司祭らしいガウスが、その場に膝をついて、声の主を探すように天に視線を向ける。


「お許しください、モルファー様ぁ!」


 気でも狂ったのか? 先ほどまでの高圧的な態度は消え、ただただうろたえている。


『くどい。もうよい、お主は用済みよ』

「も、モルファー様ぁ――あああぁ! うああああああっ!!!」


 ガウスが絶叫しながら、その場に前のめりに倒れ込んだ。メキメキ、と嫌な音を立てて、暗黒司祭の背中が膨らんだ。


 明らかに異常な状態。破裂するように膨れ上がり、そして爆発した。

 俺はとっさに飛び退いた。周囲に散った血が光り、闇の塊が生えてきた。死体に生えてくる蛆虫――ということもなく、闇の塊は、フード付きローブをまとった人型に変化する。


 何となく予感があるが、聞いておこう。


「何者だ?」


 カースブレードを向ける。魔術師のような姿だが、明らかに異質。人間とは思えず、大悪魔ではないかと疑う。


『お主は、わしを知らぬか?』


 ゾッとする声だった。空気もまた重々しい。


「知っていれば、聞かない。少なくとも、私と会ったことがあったかな?」

『そう。直接は会ったことはないな。これは失礼した、アレス・ヴァンデ殿』


 深々と被ったフードのせいで姿は見えない。しかし、袖から出ている手は、とても細く、まるで骨だけのようにも見えた。スケルトン、アンデッドの仲間か……?


『わしは、邪教教団モルファーの教主、ジーンベック・モルファーだ」

「モルファーの教主……! ジーンベック・モルファー」


 こいつが、邪教教団のボスか。教団トップがまさかの登場だ。しかし、こいつが……。


「邪教教団を作った人間が、ここに現れるとは思わなかった。いったい何用かな?」


 魔の塔ダンジョンの制御装置を取り戻されるのを阻止するため、と思われるが、わざわざ部下を犠牲に、登場とか正直意味がわからない。演出のため、とかそこまでふざけた理由ではないはずだが。


『知れたこと。この塔は、我ら教団の所有物である。それを取り戻しただけに過ぎぬ』

「……なるほど」


 それはまあ、ごもっともではある。この魔の塔ダンジョンは、邪教教団モルファーが作ったものとされていた。当然、所有者を名乗る資格はあるだろう。

 だが、はいそうですか、では済まないのが世の中というものだ。


「所有者と宣言するのも勝手だが、お前たちが企んでいた邪神復活は果たされなかったし、これからも果たされることはない。そうなる前に塔は解体させてもらう」

『ほう、塔を解体する、か』


 クックッ、とジーンベック・モルファーは笑ったようだった。


『ガンティエ帝国が保有している理由に興味はないが、お主の言い分には興味が湧いた。ならば問う。この塔は魔力を収集する器だ。この力を使えば、世界を統べることも夢物語ではない。それでも解体するか?』

「世界制覇に興味はないのでね。わかりやすい争いの種は、滅ぼすに限る」

『平穏を望むか?』

「お前のように世界の破滅は望んでいない。それは確かだ」


 ヴァンデ王国の王族に生まれた身として、国と民の平和と繁栄を願っている。邪教教団の破壊願望で滅ぼされてたまるか。


『破滅は望んでおらん、か……。なるほどなるほど』


 ジーンベック・モルファーは、宙に浮かぶと、そこに椅子があるかのように座った。


『わしは、この世の全て、邪教に囚われた人々を世界から一掃したいと思っておる』


 神を信じる宗教すべてを邪教とし、邪教を破壊するための無神教団――それが、モルファーである。


『この世に神などおらぬ。故に、神を騙るこの世の宗教はすべて邪教であり、それによって人々の精神は汚染されてしまった。もはや世界を滅ぼすことでしか、浄化することはできぬのだ』

「……」

『お主は、争いの種は滅ぼすと言った。で、あるならば、この世の民を洗脳する宗教もまた、滅ぼさねばならぬ。違うか?』


 違うと思う。


『ユニヴェルも太陽神も、その他諸々、世界で信仰されている神などという存在は、権力者たちに利用され、悪を滅ぼせと言う。神のお告げなどという嘘で民を欺き、自分たちを正当化し、攻撃する……』


 深々と溜息をつくジーンベック・モルファー。


「世界から宗教がなくなれば、どれだけ多くの人間が救われるだろう。無益な血が流れることもなかった。宗教は人を守らない。守られた気がするだけだ。ただの気休めだ。その気休めのために、人を攻撃し、富を吸い上げる……ああ、何と浅ましく、おぞましいことだろうか。……人間は汚い。その血は汚泥の如し、だ」


 宗教に対する憎しみ、憎悪。何とも愉しそうに語るじゃないか、ジーンベック・モルファーよ。


『世界の争いの原因は多々あれど、皆、大義名分を求める。それで利用されるものは宗教だ。信じる者は、たとえ理不尽なことを口にしようとも、それが正義と思い込み、愚劣なる行いさえも平然と行う。略奪、虐殺も、宗教が認めるのだ。世紀の大犯罪でさえ、罪に問われない。宗教とはかくも便利な装置であり、詭弁の塊なのだ」

「それで、お前たちは、宗教と名のつく者を攻撃してきたのか?」

『如何にも。宗教は悪である。邪悪である。人は救いを求めて群がるが、救われてなどおらぬ。ただ不安から目を逸らしているだけの弱者に過ぎぬ。そしてそのような弱者を利用し、搾取するのが宗教の本質よ』


 モルファーは生き生きと、己の宗教観を語った。どこの世界にも口の回る者はいるということだ。さすがに教主をやっているだけのことはある。


「しかし、モルファーよ。お前の敵は宗教だろう? 何故、世界を滅ぼそうとする?」

『言ったはずだ。邪教に囚われた人々を世界から一掃したいと思っておる、と』


 ……確かに言ったな。


『一度、宗教に囚われた者は、愚かになる。こやつらは心に刻んだ「教え」とやらを行動規範とする。たとえ宗教から脱しても、その規範はその者を縛り続けるのだ。宗教に汚染された者は、いつまでも争いを生む火種として燻り続ける。そのような者は滅ぼさねば、いつまでも争いが続く』


 そうであるならば――ジーンベック・モルファーは頭上に手を伸ばした。


『世界を一度、綺麗さっぱり全て滅ぼさねば、浄化されない。いつまでも争いが続く。それが延々と続けば、死者の山は何度も世界を滅ぼしたくらいの数に膨れ上がる。それならば一度滅ぼせば、未来永劫続く死傷者の数より少ない犠牲で済むであろう』

「世界が滅びてしまえば、数もくそも関係ないんだがな」


 俺は、カースブレードの切っ先を、ジーンベック・モルファーに向けた。


「さすが宗教家は言葉が多いな。少なくとも、俺とお前ではどこまで言っても、意見は平行線に終わるだろう。だが、一つだけ同意することがあるとすれば、お前の言う宗教家が悪というのも一理あるな。――そうだろう? 宗教家」


 お前のことだよ。ジーンベック・モルファー。

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