第238話、堕ちていくレムシー皇女に対する反応
ガンティエ帝国東方戦線。
傭兵軍を率いていたナジェ皇子だったが、合流した帝国軍から、正式に軍への復帰を命じられた。
皇子には、そのまま東方方面軍司令官として、ハルマー軍を国境の外まで追い出すよう皇帝の命令が下った。
「好き勝手やらせてもらえるなら、まあ、やりましょう」
ナジェは順次合流する部隊を、再編成し、東方戦線を持ち直させた。聞けば、南方戦線も、ジャガナー大将軍の軍がハルカナ軍に対して破竹の進撃を繰り広げているという。
「数は充分ではないとはいえ、帝国が本気を出したら強いねぇ」
そう他人事のように言うナジェではあるが、東方戦線に限れば、彼の軍才も貢献している。
活躍を続けるナジェの東方軍だが、皇子としても皇帝とその周りがどうなっているのか気掛かりなところであった。
突然攻勢に出始めたのは何か理由があるのか? 前線にいてはわからないことはあるのだ。
そして事態は、ナジェの思っている以上に変化していた。
まず、魔の塔ダンジョンをラウダ・ガンティエが新たな城とし、支配下に置いたこと。何でもパウペル要塞に魔の塔ダンジョンが攻め込み、大臣ら家臣の大半が戦死したが、皇帝は何とか塔を攻略したのだという。
嘘だろう?――ナジェは思った。
隣国に三十年も君臨し続けた魔の塔ダンジョンを、数日と経たずに攻略するとか、眉唾ものである。
だが、どうやったかはともかく、魔の塔ダンジョンは皇帝の城として帝都にあるという。そして側近ら後任も決まり、帝国の運営に乗り出した。……あのままサボり続けていたらどうしようもないのだが、ようやく皇帝陛下も仕事をする気になったらしい。
だが、いい話もあれば悪い話もある。
皇帝が人目も憚らず、娘であるレムシーを公然と奴隷扱いしたり、そのレムシーもまた父を誘い、淫らに過ごしているなど云々。
「なーんか、すっげぇイラつくのは何でかな?」
こちらが命をかけて帝国を守っているというのに、何故そんな皇帝一族の醜聞が聞こえてくるのか。どうせやるなら、見えないところでやれよ――と何百回でも言いたい。
少し前からおかしい、という話は聞こえていた。しかしそれは皇帝が仕事をし始めてからも、なお続いていて、ナジェとしても頭が痛くなった。
特に酷いのが、レムシーに関係する話である。醜態の中の醜聞といえば、レムシーの犬食い事件が特に有名らしい。
「犬でも食ったのか?」
なんて最初は思ったナジェだったが、詳細を聞いた時はまさにドン引きだった。
要するに、鳥のフンとステーキ肉、どちらを召し上がるのか、という話である。
『わ、わたくしに、このようなものを――』
顔面蒼白のレムシーに、皇帝側近のエリルはニンマリ笑ったという。
『人間でいらっしゃるつもりなら、それで構いませんが、こちらの皆様も同じものを食べることになりますのをお忘れなく。皇女様が人間の尊厳をお捨てになって惨めな姿をさらせば、他の方々は、きちんとテーブルでステーキ肉を食べることができます』
要するにレムシーだけ恥辱に塗れれば、他の者たちは普通に食事ができるということだ。
しかし鳥のフンなど食べられるわけがない。自分だけ惨めなのも冗談ではないが、周りの視線があからさまだったことで、レムシーは絶句した。
――お前、おれたちに鳥のフンを食わせるつもりか?
――お前が我慢すれば、皆助かるんだ。
――人間の食えるものがあるんだから、そっちだろ。どうせお前は変態だろうが……!
周囲の無言の圧力。それがなくても、フンとステーキでは選択の余地はなかった。レムシーは屈服し、恥を忍んで上等な肉を犬食いした。家臣団が見ている前で。
「……何をやってるんだよ、皇帝陛下」
自分の娘に、鳥のフンとステーキ肉を選ばせるとか、常軌を逸している。精神的におかしくなっていないだろうか、とナジェは不安にかられた。
報告する部下は言った。
「皇帝陛下はレムシー皇女を奴隷扱いしているようでして。実際、奴隷印があるわけですし――」
「それはレムシーが、お遊びでつけたんじゃなかったのか?」
自分で言ってみて、ナジェはやるせなくなる。母親は違えど、レムシーは一応、妹である。
恐ろしく残忍で、肉親でさえ殺す妹だから、ナジェの本音を言えば死んでくれても一向にかまわない女であるが。
「それはそうなのですが、噂では、昨今の帝国に纏わる不幸は、レムシー皇女にあるとして、特に厳しく当たっているようです」
娘というよりモノ扱い、だという。普段使いの椅子にしているとかいう話もあるから、そう言われるとそうかもしれない。
――皇帝も、レムシーには激甘だったんだけどなぁ。
可愛さ余って、憎さが百倍、というものだろうか。
――わからん。一体何だっていうんだ……。
中央を離れているナジェは頭を抱えるのである。しかし今は、東方方面軍司令官として、やることが山積みである。
・ ・ ・
一方の南方戦線。
ジャガナー大将軍は、帝国中央からの使者からここ最近の話を聞いた。
パウペル要塞を留守にした件についてお咎めはなく、引き続きハルカナ軍を撃退せよ、と命じられた。
独断が追認され、今では南方戦線を一任されている。
――ようやく陛下はまともになられたか。
もちろん、全て納得しているわけではない。パウペル要塞に魔の塔ダンジョンが突き刺さった時に消息不明になっており、生存は絶望視されたが、皇帝は生き延び、あまつさえ魔の塔ダンジョンを征服した。
偉大な皇帝、と一言で片付けられればいいのだが、腑に落ちないことが多すぎる。
とはいえ、自分に対する制裁はなく、なお軍を任せてくれる以上、ジャガナーは深く考えることをやめた。
これまでがあまりに最悪過ぎたのだ。深く考えたくないほどに。
そこで聞こえてくる皇帝とレムシーのスキャンダルな話には、相変わらず眉をひそめるものの、皇帝がレムシーを疫病神扱いし、虐げていると聞いて、やはり深く考えるのをやめた。
むしろ、スカッとした。年甲斐もなく、ざまあ見ろと叫びたくなった。
新たな家臣団がどういうメンツなのか気になるところだが、それら新たな者たちの前で、レムシーが犬のように這いつくばったという事実のほうに注意は向いた。
ここにはいないナジェがドン引きしたのに対して、ジャガナーはその場に居合わせられなかったのを残念がった。
それだけレムシー皇女に対する彼のヘイトは溜まっていたのだ。
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