第222話、士気のない軍隊


 あれだけ早く部屋から出てこい、と思っていた皇帝に対して、今では会いたくないとジャガナー大将軍は思っていた。


 レムシー皇女の亡国へ誘う卑猥なゴッコ遊びに付き合わされた貴族の子女たちが、ガンティエ皇帝の逆鱗に触れて処刑された。


 帝国存亡の危機にあって、淫行にふけった貴族の子たちの首が刎ねられる。貴族として無能や権力をはき違えた馬鹿が消えるのは、帝国としてはよいが、嫌々付き合わされた上に巻き添えを食らった者は気の毒としか思えない。


 親からの命令で、皇帝一族の心象をよくするために、その主催する会に参加を強制された挙げ句、処刑されるとか世を恨みたくもなろう。


 ……そういう者まで命を奪わねばならないという事実は、ジャガナーの良心を苦しめた。

 皇帝が言わなかったので、敢えて確認せず、当事者「だけ」処分するように手配したジャガナーだったが、娘を折檻している皇帝から再度呼び出された時は、本当に行くのが嫌だった。


「レムシーを玩具にした者、その一族郎党も処刑せよ」

「……」


 皇帝は、当事者だけに済ませるつもりはなかった。敢えて本人に言わなかったのは、この事態を恐れたからだ。

 皇帝の一族を傷物にし、その権威を貶めた――そうだろう。平時であったなら、ジャガナーも聞いていた。


 だが今は戦時であり、状況は思わしくない。一族郎党にまで範囲が伸びると帝国軍の将校にも影響が及ぶ。

 パウペル要塞にこもる帝国軍は、現在の軍の中でももっとも温存された部隊であり、反撃に出た時の有力戦力となるはずだ。


 そこへきて、レムシーのお遊びに巻き込まれ、一族郎党だからという理由で、貴重な反撃戦力の幹部、指揮官らが処分される。

 皇帝は自分の首を絞めているのだ。皇帝の一族という面子のために、国を滅ぼそうというのだ。


 ――だが、わからんでもない。


 ジャガナーは、要塞にこもる帝国軍将校らを見て思う。皇帝への不信がはびこり、さらに皇女の巻き添えに息子、娘が処刑されるとなった親たちの中で、一部の者は皇帝への敵意を漲らせていたのだ。


 一族郎党を始末せよ、というのは、こういう肉親を処された者たちの反抗や恨みを、根絶するためでもあるのだ。たとえ幼少の子供だったとしても、両親兄弟姉妹が殺されたと将来、復讐しにくるかもしれない。


 この点に限れば、皇帝の判断も間違っていないというのが何ともやるせない。だが根本的な原因を突き詰めれば、娘レムシーにあるのだから、正しかろうとも不満を抱くジャガナーである。


 そんなあまり積極的ではないジャガナーの思考を察したか、皇帝は、貴族の子女の一族の始末を自分の親衛隊に命じた。


 皇帝の命令には絶対の親衛隊は、帝国軍の重臣だろうとも容赦なく逮捕、そして処刑していった。

 むごたらしく残忍に、見世物のように処刑が実施されたのもよろしくなかった。兵たちは集合をかけられ、その処刑の場を見守った。皇帝に逆らう者の末路、つまりは見せしめ、恐怖による支配である。


 皇帝とその娘レムシーへの不満は、いまや末端の兵にまで届いている。だからこそ、敢えて残虐な処刑を見せつけることで、恐怖を擦り込むのだ。


 これが平時であったなら、それなりに効果はあっただろう。繰り返すが、戦時の劣勢、士気が上がらない状態のこれは、あまり賢い方法とは言えなかった。

 要塞作戦室。ずいぶんと人が減った会議の場で、ジャガナーは報告を受ける。


「脱走者が相次いでいます」

「……」


 帝国に未来がない。暗愚な皇帝の下にいれば殺される――などなど、理由は様々だが、現状に絶望していることは共通している。

 場にいる幹部たちの誰ひとり、脱走と聞いて憤慨する者はいなかった。まともな時ならば――


『脱走者だと!? 我が帝国軍にそんな不忠者がいるのか! 地の果てまで追いかけ、捕まえろ!』

『上官は何をやっているのだ! 捕まえるまで帰ってくるな!』


 ほぼ脱走者が悪いと決めつけ、息巻いていただろう。それがどうだ。作戦室にいる誰もが、諦めにも似た表情を浮かべている。


 脱走が出ても仕方がない。幹部たちがそう思っている時点で、事態は深刻なのだ。本来、取り締まらねばならない者たちが、その気にならない。あまつさえ、脱走者側に同情している。


 皇帝とその一族への忠誠は、すでに失われた。それはジャガナーも同じだった。

 大将軍として、部下たちの士気を保ち、律するところは引き締めねばならない。だが、今やそんな気分にもなれない。役職からすれば怠慢であるが、ジャガナー本人の皇帝への忠誠心は底を突いていたのである。


 上がこの有様なのだから、下がこうなっても仕方ない。

 このままではいけない、とわかっているが、どうしようもない閉塞感。皇帝があのままである限り、何をしても無駄に思えるのである。


 帝国は終わった。そう、心の中で呟いてしまうほど、終末感が拭えないジャガナーである。


「実に不本意ではあるが、パウペル要塞に駐留する我が軍は、指揮系統を含めて、ガタガタである」


 ジャガナーの発言に、幹部たちは注目する。……そういえば、上官が粛正された結果、後任としてこの場にいる者が何人かいた。自分のよく知らない者さえいるというこの空間は、これから話すことに真実味を持たせる。


「将校の穴は埋まるが、部隊の連携や練度、役職についたばかりで慣れない者も少なくない。いずれ戦闘に巻き込まれた時、慣れない者が統率がとれないのは問題だ。よって、要塞駐留軍で、大規模な演習を行おうと思う」


 ハルマーとハルカナに侵攻を受けている現状。いくら皇帝が要塞から動かなかったとしても、敵が来てしまえば戦わざるを得ない。


「賛成です」

「現状での戦力評価は必要でしょう。指揮官が代わり、戦時任官された者たちの動き、働きぶりを掴んでおかねば、満足に戦えません」


 以前は戦力評価5だった部隊が、現状3しかないとなかったら、全体を指揮する際、ぶつける戦力を間違い、そこから戦線崩壊もあり得る。怖いのは、弱いことではなく、それを上層部が把握していないことである。


 弱いなら弱いで仕方ない。そこを補うよう指揮をとるのが指揮官の仕事だ。だが実力のわからない部隊など、怖くて使えない。


 かくて、要塞に駐留する帝国軍は、演習を実施する運びとなった。だがジャガナーは、これをただの演習で終わらせるつもりはなかった。

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