第207話、蜘蛛の巣


 城内の一角、四つある塔のうちの一つを登ったソルラ、リルカルム、シヤン。


「あれですね! ありました!」


 ソルラは、部屋の奥にある小結晶体と台座に気づいた。リルカルムが肩をすくめる。


「よかった。階段を登らされて何もありませんでした、は、くたびれ損だもの」

「では――」

「待つのだぞ、ソルラ」


 シヤンが天井を見上げている。


「何か、いるぞ……」

「ふふふ、気づかれたか」


 シャカシャカと動く足。闇の中から姿を現したのは、上半身が女、下半身が蜘蛛――アラクネだった。


「残念だけど、ここがお前たちの墓場だよ」


 糸の塊が放たれる。ソルラは躱すと、外れた塊は床にべちゃりと音を立てた。その水気を含んだ音に、リルカルムが顔を歪める。


「嫌な音」

「下りてくるのだぞ!」


 シヤンが叫ぶが、アラクネはニヤリとした。


「ふふふ、見るからに近接型よね、犬っころ。わざわざお前らの得意そうな下になぞ下りるものかい」


 天井に張り巡らした糸を器用につたうアラクネ。


「お前たちこそ、こっちへ来なよ。相手してあげるよ」

「空中戦ができるのは自分だけと思わないことです!」


 ソルラが翼を広げて、飛び上がる。リルカルムとシヤンは目を見開いた。


「あ、馬鹿――」


 空中に上がり、剣で斬りかかるソルラだが、躱された上に宙にかかる糸に引っかかる。


「この糸っ!」

「蜘蛛の糸は軽量強靱」


 アラクネはするすると無数に張り巡らした糸を移動する。


「同じ大きさなら、人間を絡め取るなど造作もないこと。お前は、あたしのエサだぁー!」


 糸の塊を引っかかっているソルラへと飛ばす。


「まあ、そうよね」


 リルカルムはニヤリとした。


「でも、アナタ。その糸、正しい糸かしら?」

「なに……ハッ!? これは!」


 アラクネは驚愕する。自分の仕掛けた糸の数が増えていた。いや、自分が仕掛けた覚えのない糸だ。


「蜘蛛の糸って、くっつく糸とくっつかない糸ってものがあるのよねぇ」


 災厄の魔女は、薄ら笑いを浮かべる。


「さも当然に蜘蛛は糸を移動するけれど、それはくっつかない糸だから。くっつく糸なら、蜘蛛と言えど引っかかれば捕まってしまう」

「お前っ、何をした!?」


 吼えるアラクネ。リルカルムは身をくねらせた。


「ええぇ? 見てわかるでしょう? 糸をランダムで増やしてあげちゃったのよ。アラクネのアナタなら、どっちの糸か見分けつくでしょ? ……あれぇ? ひょっとして見分けがつかないのぉ?」


 あまりの煽りに、聞いていたシヤンもドン引きである。


「どうするのぉ? まさか自分で張った足場から動けなくなっちゃったぁ? じゃあ、遠慮なく、魔法をぶつけてやるわねぇ」

「おのれェ。……なんてな!」


 アラクネは歯を剥き出した。


「いけっ、子グモたち!」


 部屋の天井、その暗がりから無数の蜘蛛が振ってきた。大きさは7、80センチほどと、魔物系の蜘蛛としてはさほど大きくないが、一般的な蜘蛛と比べては破格のジャンボサイズだ。


「リルカルム!」

「慌てない。動かなくていいわよ、シヤン」

「へ?」


 群がる子蜘蛛集団。しかし、リルカルムとシヤンがに近づいたそれは、たちまち見えない壁に触れて焼けていく。


「な、何を! 防御魔法!?」

「ワタシぃ、蜘蛛って嫌いなのよねぇ」


 リルカルムは煽る。


「自分がされて嫌なことってあるじゃない? そういうのを想像したら、そうされないように対策を立てるのは自然なことでしょう?」


 自ら結界に突っ込み、焼けて果てていく子蜘蛛集団。リルカルムはアラクネを見上げた。


「それより、いいのぉ? よそ見しているうちに、糸が増えているわよ? そのうち、身動きできなくなるんじゃないかしら」


 アラクネの周りに、覚えのない糸が増えていく。それらが粘着質の糸だったら、魔女の言うとおり、絡め取られてしまう。蜘蛛の魔物である自身が、糸でやられるなどアラクネの恥さらしである。


「ふん、勝ち誇るのは早いわ!」


 アラクネは蜘蛛足で跳んだ。その跳躍力は蜘蛛譲り。


「糸のないところで仕切り直せば――っ!」


 眼前にシヤンが現れた。否、跳んだのだ。


「糸がないなら、跳べるのだ、ぞッ!」


 シヤンの鉄拳がアラクネの上半身の腹を直撃した。その胴体が、人と蜘蛛の体で二分される。


「やー、お見事」


 パチパチとリルカルムが手を叩く。アラクネは絶命し、倒したシヤンは一息つく。


「意外と弱かったのだぞ」

「ワンパンだったわね。いや大したものよ」

「リルカルムも凄いのだぞ。どうやって糸を出した? 魔法?」

「糸? ワタシ、糸なんて出してないわよ」


 災厄の魔女は帽子の端をつまんだ。


「幻でも見ていたんじゃない?」

「幻……幻覚の魔法!?」

「そういうこと。まあ、ワタシが攻撃魔法を使うには、この部屋、少し狭かったからね。そうじゃなければ、すぐに消し炭にしたんだけど」


 鼻をならすリルカルム。


「あのぅ……お取り込み中、失礼します」


 ソルラが糸に引っかかったまま、上から恐る恐る声をかけた。


「手がお空きでしたら、糸を解くのを手伝ってほしいのですが――」

「大体、あんたが突っ走ったせいでもあるんだからね。ワタシが攻撃魔法を使えなかったのは」


 そっぽを向くリルカルムである。ただでさえ広いとは言えない空中をさらに狭くしたソルラの行動には、少々思うところがあるリルカルムである。

 そんな彼女を、シヤンはなだめた。


「まあまあ、なのだぞ。それよりも、あの台座の上のあれをどうにかするのが先なのだぞ」

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